10. Beating Drum






「ちょっ……何、」



突然彼に抱き締められて、咄嗟にその胸板を押し返そうと手を突っ張る。


いきなり何。
心を襲うのは嫌悪感みたいなもの。
そもそもこいつは私を散々痛め付けた男だ。
これも拷問のうちかもしれない。
どうなるか知れない。
今すぐ離れるのが得策に違いない。
違いない、はずなのに。


……それでも、暖かいと思ってしまった。



弱りはじめた身体での抵抗は意味を成さず、口だけで反抗するも、身体は大人しく彼の腕の中におさまってしまっている。

抗いたいのに、そのままで居たいと何かが訴える。
締め付けられている訳でもないのに、心臓がばくばくと音を立てて仕方がない。
不快なはずなのに、心が落ち着いて離れたがらない。

どう足掻いても、もう無駄か。
必死に御託を並べて、首を振って。
でもそう気付いて、諦めて彼の胸に身体を預ける。

その瞬間、私はハッと目を見開いた。



どくん、どくん、




薄いシャツ越しに音を立てる、彼の心臓。
それは私のそれよりも早く鼓動を刻んでいて。


「……気付いた?」


そうやって微笑む彼の表情が、強がりだと気付いた。

柔らかい声と、優しい表情。
格好のつかないその笑顔に、何かがぐらりと動いた。

こんなの、まるで。




「惚れてんだわ。もうどうしようもないくらい。
お前が欲しくて堪んねえの。」



恋みたいだ。なんて思うより先に、答え合わせが終わる。
ゆっくりと指先で頬を撫でられて、額にキスが落ちてきた。


「ナマエの背負ってるそれ、少し俺にも分けろよ。」


カッコつけてるくせに、耳が真っ赤になってる。
余裕ぶって笑うその声は小さく震えていた。
そんな彼を見ているとなんだか虚勢を張るのも面倒になってきて、頬に添えられた手に小さく擦り寄る。



「……レノ、」


確か、名前はそれだった筈だ。
1度呼ばれていた事を思い出して、声にしてみる。
はっと息を飲む音に顔を上げると、彼の心臓が更に早く音を立てた。
それがおかしくて思わずその胸元を撫でると、その手に彼の手が重なる。
もし私が笑い方を覚えていたら、きっと今笑ってただろう。


「見る目、無いね。」


茶化してみると、ぎゅっと握られる手。
そのまま彼はそれを口元まで持っていって、優しく私の手のひらに口付けた。

「どうだろうな。」


でも、後悔はしてないぞ、と。

そう言って優しく笑いかける彼の胸元に、また顔を埋める。


嫌いだったはずだ。
恨めしくて仕方なかった。
でも、こんなに心が落ち着いたのも初めてだ。



……委ねてみても、いいかもしれない。

どうせ先の短い残りの人生。
顔を上げて、目の前の薄い唇にゆっくりと自分のそれを重ねる。

嬉しそうに、本当に幸せそうに、温かく笑った彼の笑顔が、目に焼き付いて離れなかった。








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