heartache





「だったら勝手にすればいいだろ。
話が終わったなら俺はもう寝るぞ。明日も配達の仕事がある。」

「あっそ。じゃあおっしゃる通り勝手にしますけど。
ああもう、クラウドになんて話さなきゃ良かった!」


苛立った彼女が投げたクッションを片手で受け止めて、盛大にため息をつく。
思わず眉間に皺が寄って、それにまたナマエが顔を顰めた。

さっきからずっとこんな調子だ。



1時間前、俺は仕事帰りのナマエにどこか覇気がない事に気がついた。
話を聞けば、彼女の上司は相当意地の悪い男らしい。
どうすればそいつを対処できるだろうかと相談されて、俺は首を傾げた。

だったら、さっさと辞めればいいだろ。

金なら俺が稼いでくるし、そもそも上司だろうが何だろうがナマエが他の男の話をしているのが気に食わない。
この話を、俺は早く終わらせたくて仕方がなかった。

それから相談は少しずつ口論に変わり、ついには喧嘩になって今に至る。


「悪かったな。だったらティファにでも相談してきたらどうだ?
俺よりよっぽど相談相手になるだろ。」


雨の予報を伝えるラジオの電源を落とす。
一瞬の沈黙は、ナマエの叫びにも似た残酷な言葉に破られた。


「もういい!!クラウドなんて嫌い!!」

「なっ……!?」


ばたばたと荒い足音が唖然とする俺の横を通り過ぎて、玄関に向かっていく。

ばたん。

遂に乱暴に閉じられたドアの振動で、テーブルの上のグラスが小さく揺れた。



「……くそっ、」


思わず言葉を吐き捨てて、泥のような不快感を押し流そうと水を呷る。
俺の言った通りティファの元へ行ったのだろう、しばらくすれば帰ってくる筈だ。
それまでに俺も落ち着こうと、俺はベランダに出た。
空を埋め尽くす重い雨雲。
それにも何だか気持ちが澱む。
ため息をついて乱暴に頭を掻くが、夏手前の生温い風は大して俺の頭を冷やしてはくれなかった。



「遅いな……」


時計に目を向けると、あれから既に1時間半は経っている。
そんなにティファと話し込んでるのか?
それとももういっそ泊まってくるつもりなのだろうか。
直接連絡を取ろうにも、彼女の携帯は目の前のテーブルの上だ。

重い腰を上げて、俺は自分の携帯を耳に当てた。
電話の相手は、言うまでもない。


『もしもし、クラウド?』

聞き慣れた幼なじみの声。
後ろでナマエの声も聞こえないかと耳を澄ますが、それは聞き取れなかった。


「ティファ、すまない。
ナマエがそっちに居るだろ。今から迎えに……」


玄関に向かいつつ、携帯を肩で押し当てながら傘を手に取る。
ここからセブンスヘブンまではそう遠くない。
徒歩で十分だろう。

色々考えつつティファに言いかけると、彼女は『えっ?』と、戸惑ったように口を開いた。


『ナマエなら1時間前くらいにとっくに帰ったよ?』

「はっ?」

『クラウドに申し訳ないことしたから謝らなきゃって。
あんまり泣いてたから家まで送ろうかって言ったんだけど……』


言葉が詰まる。
もう帰った?
どんなにゆっくり歩いても、1時間前ならとっくに家に着いていい時間だ。
何か事件に巻き込まれたか?
モンスターに遭遇したかもしれない。
怪我でもして動けなくなっていたら?

不安と心配と焦燥感に携帯を持つ手が震える。
少なくとも、ナマエに何かあったことは違いない。


『ナマエ、まだ帰ってないの?』

「ああ。」

『私も探すの手伝う。手は多い方が良いでしょ?』

「すまない。助かる。」


上手く言葉が出ない俺の心を察したティファの申し出を有難く受ける。
電話越しの物音から、彼女もすぐに探しに出ようとしてくれているのが分かった。

ぱらぱらと鳴り出した雨音がいっそう俺を焦らせる。
は、と小さく息をついた俺に、ティファが静かに言った。


『ううん。何かあったら連絡する。
……早く見つけてあげなきゃ。ナマエのこと。』



弾かれたように玄関を飛び出す。
とりあえずセブンスヘブンまでの道のりを辿るが、ナマエの姿は無い。
途中でティファと合流したが、彼女もまだナマエとは出会っていないと言った。
再び二手に分かれて、次は薄暗い脇道を辿る。


その先の公園に、ナマエは居た。



「ナマエ!!」

「あ……クラウド。」

「お前、何やってるんだ!
こんなところにいて、風邪でもひいたら……」


勢いのままにナマエに駆け寄る。
怪我はないか。どこに言ってたんだ。何かあったのか。
溢れ出る言葉が口から零れる前に、ナマエが突然頭を下げた。

「ごめんなさい、クラウド!
本当にごめんなさい!」

「ナマエ……」

彼女の陶器のような頬に、いくつも水滴が伝っていく。
その中に涙が混じっているのは、真っ赤になったその目が証明していた。


「本当はクラウドのこと大好きだよ。
でも私、あんなに心無いこと言って……」


視線を下げると、かたかたと小さく震える身体。
それが寒さからなのか、不安からなのか。
分からないまま、傘を放った俺はナマエを抱きしめた。


「……大丈夫だ。」

「えっ……?」

「ちゃんと分かってる。
だから、今日はもう帰ろう。」


心掛けて優しく、宥めるようにナマエの耳元で声を掛ける。
その小さな背中を撫でると、彼女は恐る恐る腕の中から顔を上げた。


「怒ってないの?」


自分が怒っているのか、怒っていないのか、そんな事今はどうでも良い。
早くナマエを屋根の下に入れてやりたかった。


「口喧嘩なら、家でもできるだろ。」


……目を閉じて浮かぶのは、俺の前から去っていった帰らぬ友人たち。

二度と……もう二度と、大切な人を失いたくない。


「……こんな気持ちは、もうたくさんだ。」


ナマエを抱く腕に思わず力がこもる。
それにはっとして彼女を見ると、その冷えた両手が俺の頬を包んだ。


「クラウド、」

「うん?」

「好き。」


優しく撫でる冷えきった指先にそっと擦り寄って、その感覚を忘れないように、目を閉じた。


「愛してる。」

雨音にかき消されないよう、俺は再びナマエを強く抱きしめた。




……翌日、2人揃って風邪を引いたのは言うまでもない。








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