07. 始まり
今日も仕事が終わった。
ぐーっと背筋を伸ばすと、凝った背中がぱきっと音を立てる。
立ち仕事故に足もやっぱり浮腫むし、いくら楽しい仕事とは言え、疲れには逆らえない。
今日は、帰ってマッサージしてから寝よう。なんて呑気に考えながら、アパートのドアを開く。
「ただい……ま……」
そんな悠長な考えは、ドアを開けた瞬間に飛んで行った。
「……なに、これ……!?」
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バーの在庫の整理も無事に終わり、いつも通りバイクで家へと向かう。
風を感じながらひとり走るこの夜道が、俺は好きだ。
考え事をするには丁度いいから。
少し走らせて、すぐにアパートにつく。
いつもの場所にバイクをとめて、荷物を持ち直してから、家の方に振り返る。
いつも通りの夜。
だが、その日は一つだけ違った。
「……ナマエ?」
俺のアパートの前でしゃがみこむひとつの人影。
その人影……ナマエは、ゆっくりと顔を上げた。
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「とにかく座れ、何か飲み物を持ってくる。」
慌てたようにドアを開けて、クラウドは私を家に招き入れてくれる。
1時間前。
家に帰ると、何もかもが荒らされた後だった。
引き出しはひっくり返されて、しまい込んでいたお金はもちろん全部盗られている。
空き巣だった。
安いアパートだったのが悪かったのかもしれない。
近所付き合いなんてもちろん無い。
ああすればよかった、こうしておくべきだった、そんな後悔が渦巻くが、そんな事を考えている場合ではない。
警察に通報するにも、今日はたまたまケータイを机の上に置いたまま出てきてしまっていて、それも見事に盗られていた。
それから、頼れる人もおらず、思い浮かんでどうにかやってきたのは、たまたま場所を聞いていたクラウドのアパートの前だった。
涙でボロボロになった顔が鏡にうつって、嫌になる。
それ以上見たくなくて俯くと、クラウドが私にスマホを差し出した。
「それから……ほら、電話。
長距離でもあのバイクで良いなら送っていく。」
「……いないの。」
電話を受け取ってから、それを見つめてじっと考える。
でも、誰一人頼れるような人は思い浮かばなかった。
自分の返事する声が掠れていて、また情けなくなる。
小さく首を振った私に、クラウドが聞き返した。
「"いない"?」
「電話、する人。」
「両親は。兄弟とか、親戚とか……」
「だれも、」
「……てっきり、あんたは電話を借りに来たのかと。」
少し驚いた顔で、グラスを2つ持った彼が言う。
何も出来ない自分が嫌で、迷惑をかけている自分が嫌で、また涙が込み上げてくる。
思わずしゃくり上げると、お茶をいれたクラウドが駆け寄ってきた。
「な、泣くな。大丈夫だ。」
グラスをひとつ渡してくれて、肩を優しくぽんぽんと撫でられる。
外で待っている間に冷えたそこに、熱がうつって来るのが分かる。
「ここにいて構わない。
……だから、頼む。泣くのはやめてくれ。」
こくこく頷いて、彼がいれてくれたお茶に口をつける。
それを見たクラウドも、手元のグラスをあおった。
気遣いに溢れた彼の言葉や行動に、パニックになっていた心が少しずつ凪いでいく。
「落ち着いたな?……よし。」
「……一晩だけ泊めて。
明日、どうするか決めるから。」
「ああ、分かった。」
ぐいっと飲み干したグラスを、クラウドが預かってくれて、部屋の隅になけなしの荷物を置く。
「……ごめんなさい。」
私が呟くと、シンクにグラスを置いた彼が振り返る。
「……俺も、居ないんだ。両親も、親戚も。」
それから、小さく私に笑った。
「お揃いだな。あんたと、俺。」