いまでもまだ、君のことが
「大丈夫?」
彼女は日傘を俺に差し掛けた。
道端で蹲ってたもんだから、体調を崩してるように見えたらしい。俺はいや、と答える前に手のひらの中の小鳥が突然ばさっと羽を痙攣したように動かした。
「お、生きてた」
「えっ、鳥さん? 怪我してるの?」
彼女は俺の手のひらに包まれた小鳥を覗き込み、俺の隣にしゃがんだ。と思うとごそごそとショルダーバッグをあさり、薄いレースのハンカチを取り出し、小鳥の翼についていた泥を拭った。小鳥はびくりとして逃げようとしたが、俺がしっかり押さえていた。頭につん、と何かが当たる。彼女の日傘だった。彼女は小鳥に夢中だ。
「見たところ、怪我はしてないみたいね」
「たぶん」
俺は小鳥を目の高さまで上げて、片方の翼をひろげてみる。もう片方。そして両足。きゅっと縮まった足も、綺麗な羽も、どこも血はついていない。
「落ちた時に驚いて、飛び方を忘れちまったんだろ」
俺は指で小鳥の頭を撫でてやる。
「大丈夫だ。お前は飛べる」
立ち上がり、空を見上げる。いい風が吹いていた。
彼女も日傘を持ち直して、不安そうに立ち上がった。
「本当に飛べる? お医者に見せなくて大丈夫かしら」
俺は小鳥を力いっぱい、青空に向かって放り投げた。彼女がちょっと悲鳴を上げて、俺の肩をぎゅっと握る。
解き放たれた小鳥は慌てふためいて翼を広げ、なんとか風を掴もうともがき、ばたばたとしばらく不格好に飛んでいたが、そのうちコツを思い出したようで、すうっと空高く、飛んでいった。
「ほらな」
俺はいつまでも俺の肩を握っている彼女を振り返る。彼女は眉をしかめ、恐ろしそうにしていたが、小鳥が順調に飛び去っていったのを見送って、ほう、と肩から力を抜いた。
「最高の励まし方ね!」
そう言って微笑んでくれた。そのとき初めて彼女の顔を見た。運命だった。
それから俺は結構頑張った。
別れちまったらそれっきり、そんな相手に対して絶対離れたくないなんて思ったのは初めてだったし、そのためにはどうすりゃいいのかなんて当然知らなくて、だからそのやり方が正しかったのかどうかはわからない。
とにかく彼女も俺と一緒にいることを望んでくれたし、会いたいと願えば応えてくれた。
俺も彼女もこんなふうに一人の異性と徹底して付き合っていくなんていままでやったことがなくて、何をするにも手探りだった。間違えやしないかドキドキして、たいていは失敗して、傷つけて、傷つけられて、苦しかった。
俺は彼女を知らなさすぎたし、彼女も俺を知らなさすぎた。
好きだからわかってほしい、でも知ってほしくないこともある。
衝突しないように、突き放しすぎないように、距離感を測るのはかなり難しくて、俺達は何度も何度もすれ違った。
それでも俺は彼女が好きだったから。
喧嘩しようが手放す気はさらさらなかった。
何度だってやり直せると思った。
いままでそうしてきたように。
そのつもりだったのに。
「うそ」
彼女は真っ赤な眼で俺を睨んでいた。
「クロノくん、肝心なこと何も言ってくれない。本当の君は絶対に見せてくれない。私といるとき、すごく苦しそうな顔してる。私といたら、クロノくん笑顔になれないよ」
そんなわけない。俺が求めてるのは君だけなんだ。
「クロノくんに幸せになって欲しかった……。できれば、私がその源になりたかった」
でも、無理なんだね。彼女は悲しげに微笑んだ。
どうしてそこで、微笑むんだ。
泣きわめけよ。そんな、何もかも諦めたような顔、しないでくれよ。
「ごめんね。何もできなくて。私、弱くて」
行くな。頼む。弱くてもいいから。
苦しくてもいい、傷つけるだけでも、それでも、そばにいてくれよ。
好きならそれでいいだろ。それだけで十分だろ!
それ以上に何も求めてねえよ。
癒やしも救いも、そんなもんいらねえよ。
だからいろよ。
ここにいろよ! なあ!
彼女がいなくなった部屋。
どれだけ泣いても、声を枯らしても、落ち着く気配なんかなかった。床に蹲って、赤い鈍色に染まるフローリングが黒く落ち窪んでいくのを見るともなしに見ていた。
「クロノくん。お元気ですか。青い空を、小鳥が飛んでいます。あのときあなたが救った小鳥に、よく似ています。この言葉はあなたには届かないでしょうけれど、だから言うのですけれど、私は今でもまだ、あなたのことが」
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