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 君がこころに棲みついた


こんなにも、愛せるものかと。

「あっあの、わ、わたし」
「わたし、もうい、いざやさんの、い、いいいいなりにはなりませんから…ッ!!」

「……へぇ…。」

目の前を、大学時代から自分を盲信していた女が走っていく。そうか、彼女はこういう選択を取ることも出来るようになったのか。
素直に感動した。見えなくなった彼女を尊敬した。

なら、俺はその選択を応援しよう。
俺が感動した選択を、彼女が貫くことができるように。



昔話からしてみよう。

一番古い記憶は父親に殴られた自分を見下ろして涙を流す母親の姿。
同じ時期、同級生に親に見捨てられた子どもというレッテルのもと子どもらしい情動の槍玉に挙げられていた。
痣は誰につけられたものか分からない。
教科書やノートは読み書きできるものじゃなかった。

小学校を卒業する前、父親と母親の間に双子が産まれた。
そこで俺は、父親が父親ではないと知った。
いじめられっ子の兄がいるなんて可哀想だと双子の娘を抱きしめた男は、すぐに遠い場所に引っ越すことを決めた。

母親は、男がいない場所で俺を抱きしめた。

新しい小学校を卒業する頃には傷は消えていた。
男は双子を溺愛して、見目のいい家族を作るために母親に俺の服と、痩けない程度の食料を用意させた。

ただいまと言った俺に、たぶん母親は気付かなかった。
だからもう一度話しかけようとしたけど、双子がいたからやめた。
階段を上がろうとしたとき、開きっぱなしのドアから視線を感じて

それから二度と、母親が自分の声に応えることはなくなった。

中学は全寮制の、また遠い場所に決まった。
机にパンフレットが置かれていた場所だ。
手続きは自分でした。
面接には知らない男と女が、まるで両親のようについてきた。

いってきますと言った俺を感情なく一瞥して双子に笑いかけた母親をみて、男は嬉しそうに笑ってみせた。

昔話はこれくらいでいい。
なんでここまで話したかというと、この感情の根幹は恐らくここにあったからで

つまり、このとき俺は自覚したんだ。

ああ、俺は人間が大好きなんだ、と。




「はい、よろしくお願いします。 ……はは、もちろんです、では。」

「……悪い顔してやがる。」
「蘭くんほどじゃないよ。」
「新しい仕事か?」
「うん、この前言った子が請け負ってた仕事。今人気のカフェとの合同企画なんだけど、彼女辞めちゃったから。」
「へぇ、信者辞めたから辞めさせたのか?」
「まさか。彼女が俺を忘れられるように他の子に手を出してみたら縋ってきたから、それなりの贖罪を提案してみただけだよ。」
「贖罪、なァ……」
「結果不倫がバレて辞めさせられてたけど、それは俺とは関係ないよね。ああ、よかったら蘭くんいる?」
「いらねーよ。この凶悪なツラ誰のせいだと思ってんだ。」
「蘭くんはもともと凶悪な顔だよ?」



「初めまして、折原臨也と申します。」
「田中トムです、よろしく。」
「突然の担当変更本当に申し訳ありません、よろしくお願いします。」
「いやいや、会社員さんは大変だね。」

「お前か。」
「え?」
「お前だろ、アイツの『王子様』」
「……褒められたのか、からかわれたのかどっちでしょう?」
「確かに顔はいいな。」
「あの、俺の声って届いてます?」
「それに、すげぇ胡散臭い笑顔。」
「……俺は貴方みたいな人好きなんですけどね。」
「別に、まだ嫌いとは言ってねぇけど?」
「好きでもなんともない女の子に救いの手を差し伸べるなんて、まるでヒーローみたいだ。」
「自分が悪者の自覚あんのか?」
「一般的にみれば、好きでもない女の子を依存させて弄ぶ悪い奴に見えることは自覚してますよ。貴方みたいな正義の味方に、嫌われることも。」
「……どういう意味だ?」
「悪役には悪役のルーツがあるって話です。出来ることなら俺だって、普通に愛して愛されたかった。」
「…………」
「……なんてね。まぁとにかく、俺は貴方もこの店も好きなんでお仕事の間だけでもお付き合い頂ければ幸いです。」



「シズちゃん、もしかしてこのパンケーキ君が作った?」
「は?」
「トムさんにしては生地に粗さがあるというか繊細さに欠けるというか……」
「……もう少し修行が必要だな静雄。」
「……うす…。」
「にしてもすげぇな折原、合格ラインだと思ったからアンタに出すように言ったのによ。」
「いや、悪くはないんですけど……。俺、ここの味に惚れてるんで分かっちゃうんですよね。」
「はは、嬉しいこと言ってくれんな! じゃあ静雄に惚れられるまで付き合ってやってくれな!」
「っ、トムさん!」
「うーん、どうでしょう。それは困りますね。」
「へー、困るっていうと?」
「そりゃ、ンなことありえねーんすから困るに決まって」
「トムさんほどの腕がなくても惚れてるっていうのに、これで料理にまで魅了されたら俺はもうシズちゃんのために死ねる。」
「「…………」」
「……相変わらず熱烈だな。トムさん妬けてくるわ…。」
「そんないいもんじゃねぇっすよ、重い。」
「トムさんも好きですよ、料理うまいし。」
「おーありがと、折原に言ってもらえると自信つくわ。」
「……また、キッチン貸してください。」
「……ほんと仲良いなお前ら…。最初はそのうちこの店物理的に潰れるんじゃねーかってヒヤヒヤしてたわ。」
「……?」
「シズちゃん、俺が来たらとりあえずフライパンどこかにめり込ませてましたよね。懐かしいなぁ…」
「いやアンタもだからな…? わざと静雄が苛つくような喋り方して言葉選んでたべ。」
「今も苛つくっすよ。」
「それが気ぃついたら休みに二人で飲みに行ってんだから、人間関係って分かんねぇもんだよなぁ……」
「自然の流れみたいに言わないでください、俺の努力の賜物です。」
「言ってろ。」
「もー、意地悪言うなら試食してあげないよ?」
「幽に頼むか。」
「もー!!」



「そういえばシズちゃん、俺のことすごい嫌いだったよね。」
「今も好きではねぇけどな。」
「でも、俺の話聞いてくれるじゃん。悪いところ怒って、なのに離れていかない人間って初めて。やっぱり俺の直感は正しかった。」
「ドMなのか?」
「……否めないね。昔は所謂イジメに快感を覚えてたし、今はシズちゃんに怒られると嬉しくなるし。」
「……イジメと並べんのやめろ、胸糞悪ィ…」
「普通の人間って、たとえ俺の性根を見破っても離れていくだけだから、だから俺も歯止めが利かなくなってたんだよきっとそう! シズちゃんは俺と、俺の被害者になる予定だった人間たちの救世主だね!」
「重ェよ……。」
「人間たちが愛しいのは変わらないけど、なにも触らないで見ているだけでも楽しいって思い出したんだ。シズちゃんと遊ぶのに忙しいしね。」
「本当に気持ちが悪いなテメェは……。」



「折原、先に釘刺しとくぞ。」
「なんですか、こわいですね。」
「今日から静雄の後輩がうちの店に入ることになってる。静雄は可愛がると思うが、見逃してやってくれよ。」
「……いつの間にか、ずいぶん信頼されたもんですね俺も。」
「ああ、静雄見てるアンタは俺から見ても可愛いよ。」
「そんなこといってると、面白がって本気で落としにかかるかもしれませんよ?」
「今は本気じゃなかったのか? はは、末恐ろしいな。」
「……で、後輩ちゃんのお名前は?」




「正臣くん!!」
「っ、え……」

「うそ、でしょ……」





「随分久しぶりだな、新しい玩具でも見つけたか?」
「それがね、違うんだよ! 出てきたんだ、古いオモチャが!!」
「珍しいな、覚えてたのか?」
「いや、全く。会いに来てくれるまですっかり忘れてた、彼のことなんて塗り潰されていたっていうのに、」

「俺を見た彼の、あの、顔……!!」

「ふ、ふふ、ふふ、最高、やっぱり最高だよね、自分に向けられる、自分が作った絶望っていうのは……!」
「……ああ、そうだろうな。」
「もう何年も前のことなのに、俺は忘れてたのに、きっと彼も忘れてたのに、なのに、でも、ああもう、こんなの仕方ないよね、俺はもう、この遊びはやめようと思ってたのに」

「期待されたら、応えてあげなきゃ」





いつだったか、双子が寮に遊びに来たことがある。
久しぶりに会えて嬉しいと俺に抱きついた双子の、目蓋は赤く腫れていた。
なんでも、男が母親に暴力を奮うようになったらしい。
そして母親は、双子に笑わなくなったと。

だろうね、と頭を撫でたときの双子の顔は印象的で、答えを求めてたから俺は初めて双子に兄らしいことをした。

あの家に自分が必要なことなんて分かっていた。
俺には暴力も放置も苦じゃなかったから、むしろ自分を必要とする人間の表情を真近で見られることに快感さえ覚えていたのだから、家族のためを思うなら俺が残ってやれば良かったんだろうと思う。

学校に届けを出して、双子とともに家のドアを開けたときの男の表情は、本当に、最高だった。

歓喜と狂気に目を細めて、縋るように伸ばされた手を

警察に阻まれたときの、あの顔と言ったら……!


「ふ、ふふ、たのしみ」
「…………」
「たのしみ、たのしみ、楽しみだなぁ、楽しみだなあ! これだから俺は、人間が」


「……人間が、好きだ。」

「ああ、おかえり。」
「……ただいま、蘭くん。」





end

2016/09/19


紀田くんの味方だったはずのシズちゃんが紀田くんに嫉妬していく様を泣きながら眺めてる臨也さんは、だけどたぶんとてもしあわせだからつらい。



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