あなたの声を聞くために
あなたの声を聞くために
必要なものがいくつかあります。
ひとつは器官
あなたの声をとらえる耳がなければいけません。
ひとつは感覚
とらえた声をただしく受け取る聴覚が必要です。
音を聞くために必要なそれらと、
もうひとつ。
「 」
「………やだなシズちゃん、こんなしょうもない嘘つかないって」
口が開く。唇が動く。
それでだいたい言いたいことがわかるのはなにもシズちゃんだからじゃない。読唇術なんて中学のときに習得済みだ。
「ほんとに静雄の声だけ聞こえないの?」
「うん。っていうか聞こえてたらこんな怪我してないって」
「静雄、これから物を投げるときは名前呼ばない方がいいってさ」
「 」
「そうだよねぇ、シズちゃん短気な馬鹿だもんねぇ」
「 」
「わーわーわー!やめてやめてもういいから帰ってくれて大丈夫だから!!」
無声映画のようになんの音もしないシズちゃんを騒がしい新羅が抑えようとする。なんともシュールな光景だけど、生憎笑えるほど元気じゃない。
俺にとって、もっとも大切なもののひとつがなくなってしまった。
「臨也は生きてたし、僕の家で続きなんてさせないし、今のところ聞こえないのは静雄の声だけみたいだし、こんなビハインドがある状態で臨也もややこしいことしないだろうし、いいから君は帰りなよ」
新羅の説得を受けながらシズちゃんもなにか話しているようだけど、横顔では流石に何を言ってるかわからない。
血管が浮かび上がってるところを見るにまたあの地を這うような低い声を響かせているのだろう。
ということはおかしくなったのは耳だけじゃない。皮膚も、心臓も、感覚の受容器感のほとんどが壊れてしまっている。
原因はなんだろう、と思ってすぐ答えにたどり着く自分に辟易する。
ありえない、でもだってそれ以外考えられない。
「もう!臨也なんかと一緒にいたら彼女が心配するよ!?」
「 」
「………」
心を読んだのかと疑いたくなるタイミングで新羅が声を荒げる。新羅の声しか聞こえなかったことと、ぼんやり嫌なことを考えてたせいで会話の内容はよく分からないけれど、どうもシズちゃんが帰るのを渋っていたらしい。
さっさと帰ってくれればよかったのに。今の新羅の言葉のせいで息まで止まるのかと思ったじゃないか。
カッと真っ赤になったシズちゃんがなぜか慌てて自分をみて、ちがう、と唇を動かした。
「……安心しなよ、君に彼女がいることはもう知ってるし、その上で何もしてないんだから。」
「 」
「ちがう、ってだからなにが……いいや、聞きたくない。まぁ聞こえてはないんだけど」
ふいと視線を逸らしてしまえばもうシズちゃんの言葉は届かない。
なるほど、悪いことばかりでもないらしい。
シズちゃんの声を聞く権利と引き換えに、シズちゃんの言葉に心を抉られる義務を放棄できたわけだ。
さあ、どうしよう。
このままシズちゃんの声を聞かずにいたら、もしかしたら聞きたいと思うことすらなくなるのかもしれない。
それはとても素敵なことだ。
素晴らしいことだ。
新羅が引き続きシズちゃんを追い出そうと騒ぐ。
シズちゃんがどんな罵詈雑言を俺に向けようが、俺にはもう何も聞こえない。
聞くことが、できない。
あなたの声を聞くために、
必要なものがありました。
『音』を聞くために必要なものと、あとひとつ。
(もう、いいや)
傷付く覚悟が、必要でした。
end
もうなくなっちゃいました。
2013/08/03
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