「とりあえず、もう少し太ろうか」

事の発端は、葉王のこの一言だった。

「………は?」

ごくごく自然にそう告げられた少女は、訝し気に顔をしかめる。
色味の鮮やかな橙の着物の袖を肘までたくし上げて朝食の握り飯にかぶりついている様は、とても品の良い娘とは言い難い。箸の使い方もろくにしらない少女の頬についた米粒をとってやりつつ、彼女の自称・夫である葉王はにっこりと食えない笑みを浮かべた。

「だって、こんなにガリガリじゃ抱いても楽しくないもの」

確かめる様に少女の細い手首を掴み、彼はいけしゃあしゃあと言ってのける。
沈黙。けれど、彼女は数秒経ってから、その言葉の意味を理解したらしい。ぼっ、と白い頬が一瞬で鮮やかな朱色に染まった。

「なッ、ばッ、なに言ってんだお前はああああああ!?」
「え?何って…初夜の話だけど」
「だああああああ!!あほ!第一、オイラはおまえの嫁になるのだって承知してねえぞ!」
「いや、嫁なのはもう決まってるから。うちの親族にお披露目もしたしねぇ」
「あれはお前が勝手にやったんじゃねえかあああああ!!」

ぎゃーぎゃー喚く彼女の怒りも尤もだろう。
彼女が麻倉の家にきてまだ5日。初対面で葉王の家へと連れ帰ら(去ら?)れ、3日の間は毎夜毎夜いつの間にか布団へと潜り込んでくる葉王と格闘し、明け方近くなってから眠るという生活を続けていた。ここ数日の睡眠不足で、少女は逃げようとする元気もなかった。彼女と同じく余り眠っていないはずの葉王が妙に元気なことと、毎度毎度いやに楽しげに布団へと潜り込んできてじゃれてくるのが、心底癪に障る。
貴族の生活に疎く、その婚姻にもさっぱり興味のなかった彼女は、葉王の毎夜の来訪の意味も、3日目の夕飯に餅がでたことにも、何の疑問も持たなかった。いくら葉王が傍若無人で頭に来ようとも、出される食物に罪はない。ましてや残すなど言語道断で、少女はその餅の意味も知らないまま綺麗に完食した。
更にその翌日。朝一でたたき起こされた彼女に葉王が「はい」と文を手渡してきたのである。学のある者からすれば素晴らしい筆の流麗な文字も、知識のない彼女にはミミズがのたくった跡の様にしか見えなかった。もちろん、学んだことがないので読める筈もない。
「返事頂戴ね」と何も書かれていない半紙を葉王から手渡された瞬間、寝不足で苛立っていた彼女は頭の中で何かが切れる音を聞いた。そんなに欲しいのならくれてやると、怒りのままに半紙をぐしゃぐしゃにして目の前の馬鹿男へと投げ返した。
それが貴族間で所謂結婚の儀を指す「三日夜の餅」と「後朝のふみ」であり、葉王が形式的にとは言えそれらを行っているつもりだと知らなかったのが、彼女の致命的な敗因だった。
そして半紙を葉王に投げ返した日の昼。再び叩き起こされた彼女は世話係の娘達の手によっていやに美しく飾り立てられ、本家へと招集された麻倉一門の前へと連れ出された。彼女が驚きと戸惑いで硬直したままなのをいいことに、葉王は「僕のお嫁さんです」という台詞を物凄く堅苦しい言い回しで宣った。その結果、彼女は麻倉一門の面々に「大陰陽師・麻倉葉王の北の方」として認識されてしまったのである。
その時行われた麻倉一門との対面が、所謂「露顕」。ざっくり言うと、結婚披露宴だった。
勿論、そこに彼女の同意はない。綺麗さっぱりない。ついでにいうと、同意もないのだから契ってもいない。
そんなこんなで彼女は本人も知らぬ間に婚姻の儀を終え、形式上は正式に麻倉葉王の北の方となってしまったのだ。突然のことにさっぱり事態が飲み込めなかった少女は、あんぐりと口を開けて葉王を見つめるしかなかった。
そんな彼女が我に返った時、その周囲には麻倉一門からの祝いの品々が所狭しと並べ立てられていたのである。
あれは今思い出しても頭が痛い。両親が健在の時でさえ、新しい着物など数年に1度しか買えない贅沢品だった。それがなんだ。金糸を縫い込んだなんちゃら染めの何とかの袿だの、真珠と珊瑚をあしらったなんとかかんとか模様の漆の簪だの。今までの人生では仮にどんなに努力しようとも一生手が届くはずもなかった品々が、視界いっぱいに広げられていたのである。
少し前まで蝗や芋虫、野草等を食べてなんとか食いつないでいたのが嘘の様だった。

「とにかく!オイラはお前の嫁になる気はないし、おまえと、そ、そ…ういうことッ、する気ねぇからな!?」
「え、それは困るなぁ。君には麻倉の子を産んで貰わないといけないのに」

ふう、と演技掛かった仕種で溜息をついて見せる葉王に、少女はフルフルと震えた。
ダメだ、全く話が通じている気がしない。

「それに!おまえ昨日なんとかの家の姫さんとこ出かけてたじゃねえか!」
「え、うん。でも彼女は妾だから」

本妻は君だよ。
完璧な笑顔であっさりと全面肯定した葉王に、少女はくらりと目眩を感じた。
確かに、貴族や身分の高い人間の間において、複数人の妻がいるのは別段珍しいことではないだろう。しかし、農民出身の彼女にはとんと理解できない文化だ。
おまけにこの葉王という男、こんなに強引でめちゃくちゃなくせに大層モテる。
この5日だけで届いた文の数は一抱え程。仕事の依頼等公私のやりとりを含めたその半数近くが、葉王に想いを寄せる姫君達からの手紙だというのだから驚きだ。つまりこの男、それだけ方々の姫君に手を出しまくっているということである。そんな男の嫁になると考えただけで頭がいたい。

「そういう問題じゃねえっつーの!オイラは浮気性の旦那なんか死んでもごめんだからな!」
「いいじゃないか、そんなに目くじら立てなくても」
「よくない!!そもそも、オイラはおまえのこと好きでもなんでもねえんだよ!」
「それが何か問題なの?」
「好きでもない男の子供なんぞ産みたいと思うわけないだろうがー!!」

ぜーはーと肩を上下させながら荒く呼吸を繰り返す彼女に、葉王はぱちぱちと瞳を瞬かせた。
まるで、その言葉が盲点だったと言わんばかりに。

「………なるほど。つまり、好きでもない男の子を産む気はないから嫁にもならない、と」
「! そう!そういうことだ!」

葉王の言葉に、少女は力強く頷く。
今まで人に化けた狐か何かと話している様な気分だったが、漸く話が通じたらしい。
しかし、続いた言葉は彼女の予想を大きく上回るものだった。

「じゃあ、好きになって貰おうかな」
「………は?」

喜んだのもつかの間。
麻倉一門の面々曰く、歴代史上稀にみる偉大な陰陽師は、あっけらかんとそう宣った。
先程までの勢いはどこへやら、少女はぽかんと目の前の青年を見つめる。

「そうすれば、麻倉の子を産んでもいいんだろう?」

にこにこと食えない笑みを浮かべる葉王に、少女は己の失策を悟った。



難題ばかりの人生だけど



それでも、どうにかなるだろうか。

「だから、もう少し太ろうね?」
「!!……絶対にいやだ!!」

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2013.02.02

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