※学パロ

双子だからといって、すべてが伝わる訳でもない。

「雨が止まなかったらどうする」

そう問い掛けたハオに、葉はゆっくりと首を傾げて見せた。ハオを見つめる亜麻色の瞳は、不思議そうに片割れを映し込んでいる。肩口までの毛先が、雨粒に濡れて少し重たそうだった。そのうちの数本が、葉の剥き出しの首筋へと張り付いていていやに艶かしい。

「…いや、もうすぐ止むだろ。雨足弱くなってきてるからな」
「……そうだね」

ハオと空で交互に視線を行き来させた後、葉はそうぽつりと続けた。確かに、雨足は先程よりも格段に弱まっている。けれど、ハオが告げた言葉の意味は、そういうことではないのだ。
葉が出場した剣道の大会の帰り道で、急に降り出した雨。二人がそれを避ける為に潜り込んだのは、小さな雑貨店の軒下だった。不明瞭な視界の向こうには、他の店の前で雨宿りをする大勢の人影が見える。
けれど今は、雨の音しか聞こえない。
薄淡い紗幕の様な雨に遮られたこの場所には、まるで世界にハオと葉しか存在していない様な静寂と不変が満ちていた。
雨が降り続ける限り、二人はこの沈黙に、世界でたった二人きりで取り残される。
だから、訊いたのだ。
「このまま雨が止まなかったらどうする」と。
瞼を閉じれば、少し前にハオを取り巻いていた喧騒と熱気がじりじりと胸を焼く。
葉を応援する為に赴いた試合会場で、観客席から片割れへと向けられる様々な視線と好意。葉と喜び合う、ハオの知らない仲間達の姿。網膜と鼓膜にこびりついたそれに、ハオは焦げ付く様な焦燥を募らせていた。だから、暗に問い掛けたのだ。
「世界に、自分と二人きりになったらどうするのか」と。

……双子だからといって、すべてが伝わる訳でもない。

そんなことはわかっている。それでも、思わずにはいられなかった。「雨が止まなかったらどうする」という言葉の意味も、ハオ自身が言葉にできない不安も。
すべてが違うことなく、葉に伝わればいいと思った。
そんな自分自身を、ハオは自嘲する。
そんなこと、できるはずもない。あの言葉の真意が葉に伝わることも、葉がハオ以外との交わりを絶つことも、ありはしない。ハオ自身、それを望みはしない。そういう部分もすべて含めて葉であり、そんな葉だからこそハオは好いていた。
口にしても、せんないことだ。
そう理性は冷静に判断を下すのに、感情はどうしてこうもままならないのか。
そうささくれ立った気分を持て余したまま、ハオはうんざりと溜息をつく。
早く、ふたりきりになって葉に触れたかった。
抱きしめて、いつもより少しだけ甘えて、こんな気分なんて塗り潰して欲しかった。
それなのに、この雨だ。
こんな人目のある場所では、葉に甘える処か手を繋ぐこともできやしない。
せいぜい当たり障りのない会話にハオの本心を僅かばかり混ぜ込んで、戯れのようなやり取りを繰り返すことしかできなかった。
それが、ハオと葉が"他人"の前でとれる距離でもある。
もどかしくてもどかしくて堪らなかった。

「お、止んできたみたいだな」

人込みから傘の影が消えていくのを見て、葉がそう確認する様に呟いた。雨宿りをしていた周囲の人影も、ぱらぱらと空の下へ散っていく。

「よし、帰るか」
「そうだね」

葉の言葉に、ハオは小さく首肯する。
家に帰って、早くふたりきりになりたかった。
急いた気持ちが、ハオの足を前へと進める。けれど、葉が不意にその手をとった。驚いたハオが反射的に葉を見遣れば、当の本人は呑気に空を見上げている。

「綺麗に晴れたなぁ」

のほほんと呟く葉とは裏腹に、ハオは気が気ではない。すぐ近くから向けられる通りすがりの人間の好奇に満ちた眼差しが、じくじくと背中に突き刺さっていた。

「……よう」
「ん?」
「その、人が」

言い淀んだハオの言葉の先を察してか、葉は「ああ」と小さく声を上げた。
あっさりと解かれた掌に、ハオは小さく落胆する。
自分から言い出した癖に、その手を離されたのは寂しかった。
けれど、その気分も長くは続かなかった。
葉が、いつもの帰り道と全く違う方向へ進み始めたのである。不意を突かれたハオは、一瞬面食らった。人込みに紛れてしまいそうなその背を、慌てて追いかける。
葉が進んでいったのは、普段は使うことのない細い道だった。幼い頃は、寄り道がてらわざと遠回りなこの道を通って帰っていたこともある。けれど、中学に上がってからはそんなこともなくなっていた。
何故、この道に進むのか。
帰宅をするならば、いつもの道の方が確実に短い時間で帰ることができる。
葉も試合で疲れているはずだ。
ハオの頭には疑問符しか浮かばない。

「ん」

しかし、葉に手を差し出されたことでハオの思考は完全に停止した。
とっくりと、ハオは差し出された掌を見遣る。剣道の稽古で豆ができた、皮膚の分厚い、硬い掌だ。

「なにボケッとしてんだよ。ほら」

そう言いながらぐいっと手を更に前へと差し出してくる葉に、ハオは小さくうろたえた。けれど僅かの沈黙の後、ゆっくりと差し出された手に自分のそれを重ねる。それに、葉が満足そうな笑みを浮かべた。そのままあっさりと手を引かれ、細い道へと入っていく。
何でもないことの様に指先を絡められて、内心酷く動揺した。

「久しぶりだなぁ、こっち来るの」
「………そうだね」

ゆっくりと歩く葉に手を引かれながら、ハオはぼんやりと答えた。硬く分厚い掌は、それでも酷く優しい温度をハオのそれに滲ませる。

「どっちがどんぐり多く拾えるか、競争しながら帰ったよなぁ」
「葉は、いつも負けてた」
「あはは、そうだったそうだった。おまえ強かったよなぁ。結局、オイラ一度も勝てんかった」

穏やかな口調で語りながら、葉は酷くゆっくりと足を進める。道端に生えた木を指差して「これだっけか?いっつも競争始める目印にしてたの」とハオに問い掛けたり、「それじゃなくて、もっと太い幹のやつだよ」とハオが答えれば、ひとつひとつ木を見回して、目当ての木を探し始めたりした。
けれど、それもいやではなかった。
寄り道の間中、葉はハオと手を繋いだまま、ハオに視線を向け、ハオとの記憶を辿り、思い当たるものを見つけては笑みを浮かべていたからだ。

「秋になったら、久しぶりにどんぐり拾いながらこの道通って帰ってみるか」
「もう僕ら中学生なのに?」
「たまにはいいだろ」

そう穏やかな横顔で笑う葉と、鮮やかな夕日。そして夕立の後の蒸したような濃い空気の匂いが、なお一層その言葉を際立たせる。それはまだ、二人を取り巻く現実ではない。けれど、愛おしむべき約束でもあった。互いがこれからも共にあることを望んでいるのだと示す、大切な言葉だった。
だから、ハオはこう応えた。

「いいよ。どうせ、僕がまた勝つだろうけどね」

ハオがその言葉に混ぜた本当の意味を、葉は知らない。
けれど、「次がオイラの初勝利だ」と呑気に笑う顔を見ていたら、なんだか今まで考えていたことがどうでも良くなってしまった。



人魚の呼吸音



「あら、お帰りなさい」

そう微笑んで出迎えた茎子の顔を見た瞬間、ハオは思わず硬直した。
帰ったら葉に甘えることばかり考えていたが、そうだった。今日は、久しぶりに家族揃って夕飯を食べられる日でもあったのだ。そのことをすっかり失念していたハオは、自分自身に頭を抱える。もしも葉についていかず、あのまま家に帰っていたら。恐らく明日の夕方まで、悶々とした気分を抱えることになっていただろう。
しかし、そこまで考えて。
ふと、ハオは葉の方を見遣った。

「雨大丈夫だった?」
「急に降ってきたからびっくりしたんよ。でも雨宿りできた」
「あら、ラッキーだったわね。でも身体冷えちゃったでしょう。お風呂沸かしてあるから、ふたりとも入って来なさいな」

そう笑顔で告げて、茎子が台所へと引っ込む。そんな母の言葉に短く応えて、葉はハオを自室へと引っ張っていった。

「はお、先に入っていいぞ」

茎子から見えない位置で繋がれたままだった掌が、その言葉と同時に解かれる。
タオルで頭をワシワシと拭きながら、葉はそっけなくバスタオルを放り投げてきた。

「え、でも」
「お前のが風邪引きやすいんだから、先入れよ」

かあちゃんいるときに、流石に一緒には入れんからなぁ。
そうあっけらかんと続けた葉に、じくりとまたハオの中の焦燥が疼く。
けれど、葉はそれをあっさりと覆してきた。
唇へと触れた柔らかな体温。葉にキスされたのだとわかるのに、いつもよりも少しだけ時間がかかった。

「だから…ちょっとだけ、な」

唇を離し、葉がいたずらっぽく笑う。

……双子だからといって、全てが伝わる訳でもない。

今のハオの気持ちも、口にしなければ葉には伝わらないだろう。
けれど、それでも。
今触れ合った唇の様な。先程絡められた指先同士の温もりの様な。そういうものも、きっとあるのだろう。
そうふにゃりと笑う葉を見て思いながら、ハオはゆっくりと瞳を閉じた。
今度は自分から、"それ"を葉に渡しにいこうと思う。
再び触れ合った唇を離して瞳を開くと、葉が何も知らない様な顔で、愛おしむ様に笑っていた。

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2013.07.07

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