フリリク企画 | ナノ
夜明けのコーヒー#10


「ふふっ」

隣から鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
不意のことで、驚いて肩が跳ねそうになった。やましいことをするつもりはない。さっきあかりの涙を見て、そう決めた。でも、やましい想像が脳裏を過ぎったことは否定出来ない。それを見抜かれてしまった気がして、肝が冷えた。

「な、何だよ?」

恐る恐る訊いた。グラスを両手で包むように持ちながらあかりは彼を見上げている。グラスに残ったアイスコーヒーみたいに透明感のある黒い瞳が、いたずらっぽく輝いていた。

「今夜はずっと一緒にいられるんだね」
「え……」
「高校生だった頃とは違うね」

言って、またグラスに口をつけた。笑顔だ。例ののほほんとした笑顔と声で予想を裏切るような爆弾発言をしてくる。そんなところは、高校生だった頃と変わらない。違ってしまったのは自分たちの状況だ。

――ずっと一緒にいられる。

それはあの頃、高校生だった頃、ずっと思っていたことだ。学校では人目があって一緒に過ごすことはほとんど不可能で、放課後は放課後で、珊瑚礁と学校の勉強で時間がない。

それでいて休日誘ったり誘われたりで一緒に過ごすことが出来ても、悲しいかな、高校生には門限がある。
あかりを自宅前まで送り届けて名残惜しい別れ際、お互いに繋いだ手をなかなか手放せないでいた。ずっとこうしていられたらいいのに、ずっと一緒にいられたらいいのに。そうしたら、一日の終わりにこんな辛い思いをしないで済む。

あかりの台詞で自覚させられた。頭に血が上って気がつかなかったけど、あの頃の願いが今は叶っている。

のどの渇きを覚えて生ぬるいコーヒーを飲み干した。抽出に失敗して濃くなりすぎたコーヒーの苦さと、半端に冷やされた生ぬるさと、失敗してしまったコーヒーに歯がみすることで何とか冷静さを取り戻した。そうでなければ抱きしめてしまいそうだった。

「あっ!」
「な、何!?」
「DVD見なきゃ!」
「DVD?」

黒い瞳をキラキラさせながらあかりが言う。

「うん! とっておきのヤツ、持ってきたんだよ!」
「とっておき……?」
「うん、こわーいヤツ!」

満面の笑みであかりが頷く。それで思い出した。――ああうん、そういや言ってたよな。見たい映画があるって。しかもホラー系で、暑い夏にぴったりのヤツだっていう……。

「ゼッタイ、見ない」
「わあ嫌そうな顔!」
「本気で嫌なんだ。ったく、何だって好きこのんで怖い思いなんかしなきゃいけないんだよ……」

――せっかく一緒にいられるのに、という台詞は飲み込んだ。

「大丈夫だよ」という声が耳を打つ。

顔を上げると屈託のない笑顔をしたあかりと目が合った。

「二人一緒なら、きっと怖くないよ」

二人一緒でも怖いものは怖いんだ、とか、ホラー系おまえだって苦手だったじゃん、高校の頃、お化け屋敷で涙目になってたの忘れてないからなとか、そういう文句が頭を過ぎる。
でも、笑顔が。
笑顔と台詞にほだされてしまった。

「……いいよ」
「やったぁ!」
「ただし、髪、乾かしたらな」
「え〜自然乾燥でいいよぉ」
「ダメだ。痛むだろ」
「瑛くん、お父さんみたいだよ……」

むくれたように唇を尖らせてあかりが言う。高校時代、何がきっかけだったか定着してしまった“お父さん”呼び。ごっこ遊びに付き合うような形で、あの頃は抵抗感なく、それに付き合っていた……というか、むしろ率先してその立ち位置を使っていた気がする。今のシチュエーションだと、その呼び方には抵抗感と罪悪感がたっぷりと湧く。

「いいから、ドライヤーこっちにあるから」

キッチンから移動して、ドライヤーを置いている棚の前に座る。コードをコンセントに刺す。

「お父さんだ……」

ぶつぶつ言いながらもあかりは瑛とドライヤーの前に座った。ドライヤーのスイッチを入れる。熱い風が吹き出して、あかりのブラウンの髪をさらさらと揺らす。

「熱くないか?」
「暑いけど、熱くはないよー」
「どっちだよ」
「平気だよ〜」

髪に指先を入れて、髪の間に風を入れるように乾かしてく。肩につかない位置で切りそろえられたあかりの髪は短いように見えていたけど、こうしていると結構長いように感じられた。顔の横側とか、瑛自身の髪とは別の部分が随分と長い。そういえば、こんな風に髪に触れるのは初めてだ。そう思うとドキドキするけど、何だろうこの……この、保護者っぽい感じ。
さっきの“お父さん”呼びに、地味にダメージを受けている。

「……出来た」

ドライヤーのスイッチを切る。あかりが顔を上げる。閉じていた目を開けて、頭をふるふると振って目元にかかる前髪を払った。

「ありがとう」
「…………髪」
「うん?」
「……再起不能なくらい、ぐしゃぐしゃにしてやった」
「えっ!」

面白いくらいあかりがうろたえているのがおかしくて、笑ってしまう。手ぐしで何とかしようとしているのを見て「甘い、それくらいじゃ直んないって」と言ってやる。もちろん、嘘だった。

あかりが恨めしげに瑛を見上げる。

「はめられた……」
「うかうか罠にかかるおまえが悪い」

あかりが立ち上がる。綺麗なひざこぞうが目の前に姿を現して、ちょっと心臓が跳ねた。

「ふふーん! こんなこともあろうかと、ちゃんと櫛を持ってきたんだから!」

そう言って、自分のカバンからポーチを取り出す。ポーチと一緒に洗面所に消えていく少女の背中を見送って、息をついた。

「お子様はいいよな……」

自分の手のひらを見つめる。さっきまであかりの髪に触れていた手。ずっと触っていたいと思ってしまうくらいに柔らかくて心地よかった。もう一度ため息をつく。まずいことに、何もしないでいられる自信が揺らぐほどだった。



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