フリリク企画 | ナノ
夜明けのコーヒー#7





そんなこんなで約束の日を迎えた瑛は家路を急いでいた。アルバイトが長引いて予定の時間より遅れてしまった。
息を切らせてたどり着いたアパートであかりの姿を見つけた。――やっぱり、先に来てた。

「悪い! 遅れた!」
「あっ、瑛くん」

瑛の部屋の前で、膝を抱えて彼の帰りを待っていたあかりの顔が輝く。立ち上がって、にこりと笑う。

「おかえりなさい」

不覚にも胸が詰まった。――いいな、こういうの……新婚さんみたいで。そんな益体もないことを考えていたら、不思議そうに目をのぞき込まれて我に返った。

「ごめん。バイトが長引いて」
「うん、そうだと思ってた。お疲れ様」
「ああ、うん」

ジーンズのポケットから鍵を取り出す。

「その……入るか」
「うん。お邪魔しまーす」

あかりを部屋に迎え入れるのは初めてじゃない。もう何度も部屋で一緒に過ごしているし、高校の頃だって、部屋代わりに使っていた珊瑚礁の二階に誘ったことがある。
それでも、誘った理由が理由のためか、今回はまるで初めて彼女を部屋に招き入れたときみたいに緊張した。
汗がこめかみを伝う。夕暮れ時で、日差しの強さは幾分和らいだものの、まだ夏の盛り。その中を駆け足で来たせいか、無性に暑くてたまらない。
玄関先で靴を脱ごうと俯いているあかりの後ろ姿が目に入る。俯いているせいか、普段髪に隠れているうなじが覗いていた。その白さに目を奪われる。
手の甲で汗をぬぐいながら、のどの渇きを覚えた。……暑いのも、のどが渇くのも、きっと夏の暑さのせいだけじゃないはずだ。

「瑛くん、暑そうだね」
「えっ」

ふと、サンダルを脱ぎながらあかりが瑛を振り返った。大きな瞳で、上目遣いで見上げられて内心うろたえた。不埒な考えを見透かされたような気がして――

「シャワー浴びる?」
「はっ!?」

今度こそ内心の動揺を隠しきれなかった。瑛の過剰すぎる反応にあかりも幾分驚いているみたいだった。脱いだサンダルをそろえて部屋に入って言う。

「ここに来るまで走ってきてくれたんだよね? すごく暑そうだから、シャワーを浴びた方がいいんじゃないのかなあって」

思って、と続けてあかりは話をしめくくった。ああなるほど……と瑛は独りごちる。そういう意味かなるほど。それはそうだよな、と一人納得して頷いた。

「じゃあ、そうする」

言って、ドアを閉めて鍵をかける。自分も靴を脱いで部屋に上がる。密室状態の部屋は夏特有の暑さで息が詰まる。暑いのに、緊張のせいか、あまり暑さを感じない。

「それじゃあ、わたしはお夕飯の支度してるね!」

あかりの屈託のない笑顔を見て、さすがに罪悪感が湧いた。

――きっと、こいつはこんなどうしようもないドロドロした感情とは無縁なんだろうな……。

この数ヶ月、ずっと気がかりだった疑問が頭をもたげる。疑問から思考を逸らすようにシャワーを浴びに行った。





――何だか何もかもお膳立てされてるみたいだ。

あかりに進められた通り、シャワーで汗を流したら随分さっぱりした。風呂場を出ると、部屋中に良い匂いが漂っていた。香ばしいスパイスの匂いだ。
気配を察したのかあかりが振り返る。

「あっ、おかえりなさい」

そうして手元に視線を戻してまた手を動かしている。「もう少しで出来るから、待っててね〜」なんて、のほほんとした声で言いながら。
さっきも思ったけど、もう一度同じことを思った。――いいよな、こういうのって。何かホント、結婚してる二人みたいで。っていうか、結婚したらこんな風なのかな……。
思考が明後日の方向に飛びそうになって、瑛は冷蔵庫を開けた。作り置きしているアイスコーヒーではなくて、ペットボトルの水を取り出す。コップを取ろうとしてあかりの隣に並んだ。

「水、飲む?」
「え? あ、うん」
「アイスコーヒーもあるけど」
「お水もらおうかな」

コップを二人分取り出してペットボトルの水を注ぐ。あかりが自分用に、とこの部屋に置いているコーヒーカップではなくて、透明なガラスのコップだ。
はじめ、殺風景だった瑛の部屋も数ヶ月暮らすにつれ徐々に荷物が増えていった。二人分のガラスのコップもその一つだ。
水を注いだコップを手渡しながら訊く。

「カレー?」

台所に立つあかりの手元をのぞき込む。「うん」とあかりが頷く。

「海野あかり特製カレーだよ」

ネーミングに思わず噴き出すと「お、おいしいはず! だよ!」とあかりが慌てたように言った。ネーミングに笑っただけだ。あかりが心配してるような理由じゃない。

「期待してる」

笑ったまま言う。あかりは言葉に詰まったように沈黙して、コップに口をつけた。瑛も水を飲む。冷たい水がのどを通り過ぎていくのが、心地良かった。

「……本当は、もっと自信があるのを作るか迷ったんだよ」
「“もっと自信があるの”って?」

あかりが言い訳するように軽く唇を尖らせて言う。

「うんあのね、“プーパッポンカリー”っていう料理」
「ぷーぱっぽん……何?」

耳慣れない単語に思わず聞き返していた。

「“プーパッポンカリー”。タイの料理で、おいしいんだよ」
「タイ料理ね……どんななのか名前から全然想像がつかない」

とりあえず“カリー”というからにはカレーの類いではあるのだろうけど。

「ワタリガニを使ったカレーだよ」
「ワタリガニって……それ、原材料からして高級品じゃん」
「た、確かに原材料の力も大きいけど、それだけじゃないんだよ! いろいろコツとか、あるんだよ!」
「……まあ、どんな料理か、ちょっと興味はある、かな」
「あっ、それじゃあ今度はそれを作るね!」

あかりが顔を輝かせる。次の約束。そっか、またこんな風にして過ごせるのか……何故か安堵にも似た感情が押し寄せて、瑛は手元の水に口をつけた。
当のあかりは「ちょっと自信があるんだ」と言って、例ののほほんとした笑顔で笑っている。両手でコップを持っていて、手は動かしていない。ガス台の上にはカレーが入った鍋が上がっていて、もしかすると、あとはもう煮込むだけなのかもしれない。

「こっちも自信作なんだろ?」と鍋を指す。

「あっ、うん! そうだよ!」
「“海野あかり特製カレー”」
「な、なんで笑うの!?」

まあ、ネーミングのせいだ。

「今日はこっちがいい」

笑顔のまま付け加える。あかりは虚を突かれたように沈黙して、ぱちぱちと目を瞬きさせた。そうして、とても嬉しそうに笑って頷いた。

――うん、やっぱこっちがいい。

笑顔に吸い寄せられるようにキスをしていた。


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