フリリク企画 | ナノ
浜拾い


浜にはいろいろなものが流れ着く。流木、貝殻、シーグラス、濡れた海藻、それから、たくさんのゴミも。砂にまみれて、そういった種々雑多なものたちが浜辺には落ちている。

長期休みを実家から遠く離れた祖父の家で過ごしていた幼い瑛にとって、浜拾いは日課だった。

大抵はゴミばかり、だけど中にはお宝が紛れている。古いガラスの目薬ビン、綺麗な貝殻、ガラスの浮き球。それらを見つけられたときは“当たり”だ。でも、お宝が見つかることは珍しくて、滅多にない。

迷子の人魚は、もっと珍しい。迷子の女の子は人魚ほどではないけれど、そこそこ珍しい。

そこそこ珍しい、けれど、幼いころ瑛が海で出会った女の子はたった一人だけだ。そうしてその子は人魚に見えた。少なくとも、幼い彼にはそう見えた。





少女と出会った日、瑛は近所に住む子供たちとケンカをした。いつものことだ。誰に似たのか頑固なところがあって、妥協できなくて正面からぶつかってしまう。

今回もそうだった。ケンカ別れをして一人浜を歩いていた。歩く途中、目は浜に落ちているものを探していた。

落ちているのは、濡れた海藻に欠けた桜貝。遠目に浮き球に見えた丸い透明なものは、破れたゴムボールだった。――今日は“外れ”の日かもしれない。また、ケンカをしてしまったし。

歩きながらむしゃくしゃしていた。どうして、あいつらは分からないんだろう。どうしていつも衝突してしまうんだろう。……どうして、自分はこうなんだろう。

近所の子供たちと仲良く出来なくて、いつもこんな風にケンカになってしまう。
ほんとうは、海のある街で育った、海に親しんで育った彼らと友達になりたいのに、一緒に海で遊びたいのに。

いろいろなことを持てあまして頭がぐちゃぐちゃになりながら砂浜を歩いていると、女の子を見つけた。砂浜にうずくまって膝を抱えて泣いている。

見たことのない女の子だ。瑛だって長期休みのあいだしかこの街にいないから、地元の人間とは言えない。でももう何年も頻繁に祖父の家に遊びに来ているから、子供たちの顔ぶれに見覚えのない子を見つけるのは珍しい。

海風に吹かれて、女の子が着ているワンピースの裾がふわりとふくらむ。おそるおそる近づいて、泣く女の子のそばに跪いた。

「どうして泣いてるの?」

女の子は泣いたままだ。顔を上げない。涙をぬぐう手のひらが顔を隠している。女の子の髪の毛は夕日に照らされて榛色に輝いていて、瑛は少女のつむじに向けて声をかけた。

「どうして黙ってるの?」

優しく問いかけた。さっきみんなとケンカしてしまったことを後悔していたのと、それから、浜で一人泣いている姿が普段の自分と重なってしまったせいかもしれない。ケンカをしてしまった日、みんなの前では我慢しながらも、一人きりになれる浜で泣くことがあった。だから、少女にも優しくしたかった。

女の子は泣いたままだ。何も言わない。――渚で出会った若者と美しい娘は、恋に落ちました。娘は口がきけませんでしたが、若者は気にしませんでした。祖父から何度も聞いたお話が頭をよぎる。それで、つい訊いてしまった。そうであってほしいという願望もこもっていたかもしれない。

「君は、人魚なの?」

女の子が顔を上げた。
黒目がちな瞳を丸く見開いて、驚いたように問い返す。

「人魚?」

ぱちくり、と瞬きをした女の子の大きな瞳から新しい涙の滴がこぼれ落ちる。透明な滴がガラス玉みたいで綺麗だと思った。まるで、祖父のアトリエに置かれている浮き球みたいだ。

「ちゃんと口がきけるね」

女の子が反応してくれたことに安堵しながら、同時に少し、残念だとも思った。――人魚じゃなかったんだ。

どうしたのかと訊ねると、女の子は今度は答えてくれた。両親とはぐれてしまったらしい。
辺りを見回してみる。遮るものも見当たらない浜辺には、彼ら以外に人影はない。少し考えて、瑛は少女を促した。

「来て。いいものを見せてあげる」

手を差し出す。しばしためらった後、女の子は小さな手を彼の手のひらに乗せた。


少女を伴って訪れた喫茶・珊瑚礁――祖父が経営する店だ――で瑛は祖父に迷子の女の子のことを話した。店にも少女の両親らしき人物は見当たらなかった。電話をかけようとする祖父に瑛は訊ねた。

「ねぇ、二階に上がってもいい?」

黒電話を肩と首に挟みながら祖父は「構わんが」と答えた。――構わんが、二階なんかに行ってどうするんだ、という問いが言外に含まれているのは幼い瑛にも分かった。

「ありがとう」と祖父に言って、少女の手を引いた。

「行こう」

――“いいもの”を見せてあげたいんだ。


珊瑚礁の二階にある祖父のアトリエに飾られた一枚絵。濃紺の夜空と珊瑚色の海と、岩場に座って寄り添う人魚と若者の後ろ姿。祖父が描いた人魚と若者の絵を前にして少女は「わあ」と歓声を上げた。

「綺麗な絵!」

少女はもう泣いていなかったけれど、睫毛の先にまだ涙の滴が珠のように残っていた。でも、もう笑顔だ。泣いていない。泣き顔より、笑顔の方がずっといい。

「うん、綺麗だね」

少女の笑顔に見とれながら彼は頷いた。


その後、二階にいる二人の様子を見に祖父も上がってきた。そうして瑛も慣れ親しんだお話を聞かせてくれた。人魚と若者のお話、だ。

――月夜に舟を漕ぎ出した若者が帰ることは二度とありませんでした。

祖父が夜を照らす灯台の由縁でお話をしめくくると、まるでお話が終わるのを待っていたかのようなタイミングで店の電話が鳴った。電話を取りに一階へ向かう祖父を見送ったあと、心細そうな声で少女は瑛に訊いた。

「二人はまた逢えたよね?」

お話の結末は瑛にも分からなかった。いつも祖父が曖昧にはぐらかしてしまうからだ。それに、そういうお話なんだと納得しているところもあった。

二人がまた逢えたのか分からないんだ、と告げると少女は「そんなの、かわいそう」と言って眉を下げた。また、最初に見たときみたいに泣きそうな顔になってしまった。
お話の中の人魚みたいに、浜でたった一人泣いていた女の子。瑛はまだ信じていて、でも瑛の周り子供たちは信じないお話を嘘だと言わなかった。それどころか、お話の二人をかわいそうだと言って今また泣きそうになっている。

この子が泣き止むなら何でもしてあげたいと思った。そんな風に思う相手は初めてだった。

女の子を安心させてあげたいのと、それから、自分のためでもあったのだと思う。――この海で、また逢えますように。お話の二人のように約束の口づけを交わした。





それが昨日のことだ。

あのあとすぐ、女の子の両親が店まで迎えに来た。祖父が方々にかけた電話のお陰らしい。
両親に連れられながら、手を振ると女の子は手を振り返してくれた。――また逢えますように。――きっとまた会える。見つけてみせる。だって、約束のキスを交わしたのだから。

浜で宝物を探す。これまでは自分のためだけの宝探しだったけど、今はもう違う。瑛が信じている話を信じてくれた女の子に、祖父の絵を綺麗だと言って目を輝かせていた少女にも見せてあげたいから探す、宝集めだ。それは自分のためだけにする浜拾いよりずっと見つけ甲斐のある探し物だった。

二枚のままの桜貝、綺麗な色のシーグラス、プラスチック製じゃないガラスの浮き球……綺麗なものを見せてあげたい。きっと喜んでくれる。あの笑顔を見せてくれる。

「あ…………」

日が暮れる直前まで浜を探し回って、ようやくそれを見つけた。夕日みたいな色をした、メノウのかたまり。当たりの宝物だ。

ズボンのポケットにしまい込む。海風に紛れて、彼の名前を呼ぶ祖父の声が聞こえた。顔を上げると、思いの外、辺りは暗かった。空が夕闇の色に染まっている。
瑛は灯台を見上げた。オレンジ色のライトがゆっくりと回り始めて、海を照らす。この瞬間が瑛は好きだった。灯台はいつも、空と海が闇に沈む瞬間を正確にとらえて、海に灯りをともす。
――そうだ、いつかこの景色も見せてあげたい。海には灯台があって、こうして真っ暗な海を照らすから、若者も人魚もきっと迷わない、きっとまた逢えるよと言って安心させてあげたい。
あの日は日が暮れる前に別れてしまったから、灯台のあかりのことを教えてあげられなかった。

「ああ、ここにいたのか」

ざくざくと砂を踏む足音とともに祖父が瑛を迎えに来た。

「もう真っ暗だ。帰ろう」
「……うん」

名残惜しく砂浜を見つめる瑛のつむじに祖父の声が降ってきた。

「……ひとりで海を見てたのか?」

海に帰っていった人魚の娘を想って若者は来る日も来る日も海を眺めて過ごしたという。

「ううん」

かぶりを振る。

「探し物をしてたんだ」

宝物を探していた。またあの子に会えたとき、見せてあげたい宝物を。
初めて見た顔が泣き顔だったせいか、どうしたって泣いている姿が印象的だ。もう泣かないでほしいと思う。あの子が泣きやんで笑顔になれるような、素敵なものをたくさん、見つけたい。

祖父に促されて砂浜をあとにする。ポケットの中にある、いつかあの子に渡したい宝物を意識しながら。

――二人はまた逢えたんだよね?

少女の問いかけを反芻する。

――うん、きっと。

きっと、見つけるよ。だって、また逢えるように口づけを交わしたのだから。約束を交わしたのだから。

何より、瑛自身がまた会いたいのだ。海辺で見つけた宝物みたいなあの子に。




浜拾い
ひのとさんへ捧げます
→あとがき

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