フリリク企画 | ナノ
夜明けのコーヒー#2





フィルターの中でコーヒー豆が膨らむ。豆に湯がゆきわたるまで待って、また、注ぐ。

それからは一定のリズムで注いでいく。膨らんだ豆が沈みかけたら湯を。豆の様子を見るように、一定のリズムで、ゆっくりと。決してあせらずに。コーヒーの香ばしい香りが部屋に漂う。

最後に勢いをつけて湯を注ぎ、ドリッパーを外す。用意していたカップに抽出したばかりのコーヒーを移して、瑛は部屋の奥に声をかけた。

「コーヒー、入ったぞ」
「はぁーい」

やや遅れて、あかりの声が奥から返ってきた。ぱたぱたという足音がして、彼の隣にあかりが並ぶ。彼女用にと部屋に置いてある、淡く澄んだ水色のカップを手渡す。あかりは湯気の立つカップに鼻先を近づけて軽く微笑んだ。

「良い香り」
「こぼしてヤケドすんなよ」
「しませんー」

唇を尖らせてあかりが怒った素振りをして見せる。軽く肩をすくめると、目を細めて「ケーキ食べよう。用意出来てるよ」と彼の手を引く。

片手に熱いコーヒーの入ったマグカップ、もう片方で彼の手を握る。彼自身も一方は彼女の手に拘束され、もう一方はカップでふさがれている。深い青のカップの中で揺れる琥珀色を見て、危なっかしいと思った。

それでも、やめろといって手をふりほどく気にはならなかった。ここは間借りしたアパートの一室で、彼らの姿を見て『バカップル』だと揶揄する誰かなんていやしない。そもそも彼自身、もう随分と寛容になっていた。高校の頃のように照れくさくて彼女の手をふりほどくようなことはもう、しない。

「どれにする?」

決して広いとは言えない部屋の中央に置かれたテーブルの上には、ケーキ屋の箱と二人分の食器が置かれている。ケーキは洋菓子屋アナスタシアのものだ。「新作ケーキ、いろいろ出てたよ」と言ってあかりが持参した。

春先からあかりはアナスタシアでアルバイトをしている。高校時代に身につけていたバイト先とは異なるだろうアナスタシアの制服姿の彼女を、そういえば彼はまだ目にしていない。

「何がある?」
「桃のクリームのケーキとブルーベリータルト、それから抹茶のミルフィーユだよ」
「へえ……。初夏って感じだな」
「うん。桃とか、アプリコットとか、そういうケーキが増えたよ」

五月の連休もとうに過ぎて、もう六月。ちょうど梅雨の晴れ間といった晴天で、アパートの窓を開け放して風を入れていた。外から入り込む風がペパーミント色のカーテンを揺らしている。

春から始まった大学とアルバイトとで慌ただしくて、こうして部屋で落ち着いて会うのは久々のことだった。ケーキは、彼女が桃のケーキを、彼はタルトを取った。
淡い桃色のクリームで飾られたケーキを頬張ったあかりが猫の子のように目を細めた。

「うまいか?」
「うん」

即答だった。表情からも本心だと窺い知ることが出来た。兎に角、表情と感情が分かりやすい。
フォークを横にしてやわらかそうなケーキを切り分けたあかりの手の動きが、ふと止まった。顔を上げて彼を見つめるとフォークを抱え上げて言った。

「瑛くん」
「何?」
「はい、あーん」

危うくコーヒーを吹きかけた。げほげほと咳き込みながら彼はあかりを睨んだ。

「おま……何のつもりだ?」
「何って、お裾分け、だよ」
「いやでも、だからってそれは…………」

――あまりにもバカップル過ぎないか。高校の頃に比べ、この手の雰囲気に寛容になったとはいえ、これは流石に照れくさい。あかりの眉が八の字に下がる。心持ち残念そうに小首を傾げて「ダメ?」と彼を見上げる。彼はため息をついた。

「……しょうがないな」

あかりの顔が輝く。フォークを抱え直して「はい、あーん」と嬉しそうに言う。どうしてそんなに嬉しそうなのだろうと彼としては不思議で仕方ない。それでも、本心では、本当にイヤがっていないことを、彼も自覚している。

視線を合わせることは耐えられなかった。間抜け過ぎることを自覚しつつ、口を開いて身を乗り出す。やわらかなクリームに包まれたケーキが口に差し込まれた。咀嚼して飲み込む。澄んだ声が耳を打つ。

「おいしい?」
「……ああ、うん」

というか、甘い。甘ったるい。ケーキが、というより、空気が甘くて仕方が無い。熱を持った頬を隠すように彼はコーヒーをすすった。

気持ちを静めて顔を上げると、大きな瞳がブルーベリータルトに注がれていた。――狙われている。タルトに視線を固定したままあかりが口を開く。

「瑛くん……」
「もしかして、狙ってる?」
「……バレた?」
「バレバレだよ。……ほら」

手前の皿を押し出す。あかりは皿を見つめ、顔を上げて彼を見つめた。

「瑛くんはしてくれないの?」
「何を」
「『あーん』って」
「しないよ! するわけないだろ!」

反射的に声を上げた。さっきだって相当気恥ずかしかった。「え〜」とあかりが不満げに声を上げる。

「バカなこと言ってないで早く食べちゃえよ」
「……瑛くんの照れ屋さん」
「食べたくないのなら素直に言えよ?」
「いただきまーす!」

慌ただしくタルトにフォークを差し入れたあかりの手元を横目に彼はカップを口元に運んだ。そこで気がついた。あかりが今、口元に持っていこうとしているフォークはそういえばさっき……。

――これは間接キスだ。

「……げほっ!」
「わっ」

先と同じようにむせた彼の背中をあかりの手のひらが優しくさする。

「……大丈夫?」
「……悪い」

咳き込みながら、いや、そもそも誰のせいだと思い直した。はっきり言ってやろうと振り返ると、「瑛くん、お疲れモード?」と声をかけられた。

「……は?」

軽く後ずさり距離を取って、あかりは自分の腿を軽く叩いた。

「膝枕、する?」
「ばっ……」

こいついきなり何言ってんだ、とか、おまえはまたそういうことを自覚に無しに言うから、だとか、そういう台詞が瑛の頭の中を駆け巡った。それから、ため息をついた。

「……ケーキ、食べてからな」
「あっ、そうだね」

あかりはパッとケーキに興味を移した。こういうところも、高校の頃から変わっていないように思える。だけど、確実に変わったのだと思う。卒業式に灯台で思いを交わしてから。あれから三ヶ月も経つのに、未だに新しい距離感に慣れないでいる。それでは困るので、彼としても、多少の気恥ずかしさに目を瞑ることにした。



そういうわけで、膝枕だ。
彼の頭をやわらかな腿の上に乗せてあかりが尋ねる。

「どう?」
「どうって」

気持ち良いとでも答えれば良いのか。あかりが朗らかな笑顔のままで続ける。

「ゆっくり出来そう?」
「ゆっくりしたら、足、痺れるだろ」
「それはそうだけど……ちょっと昼寝するだけでも、きっと疲れが取れるよ?」

顔の片側を彼女の膝の上に乗せる格好のまま、視線をめぐらせて彼は彼女の顔を見た。

「瑛くん、忙しそうだったもんね」

――アルバイトとか、色々。そう言ってあかりは彼の髪を撫でた。確かに新しく初めたカフェでのアルバイトは環境が変わったのと、時間帯が遅いのとで忙しいと言えた。でも、耐えられないほどじゃない。

「……別に」
「少し休んだら、起こしたげるね」
「ああ、うん……頼む」

卒業式以来、いわゆる彼氏彼女の関係になってもあかりとはキス止まりの関係だ。先に進みたいと思う反面、新しい距離を掴みかねて足踏みをしている部分もある。

(――ああもう……。)

おやすみ瑛くん、というあかりの声が耳を打つ。諸々の葛藤を飲み込み、彼は目蓋を閉じた。髪を撫でる指先とやわらかな腿が心地良くて、じきに眠気が訪れた。




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