フリリク企画 | ナノ
夜明けのコーヒー#1


失敗したと思った。実際に大失敗だったと思う。沈黙が重くて仕方がない。瑛の向かい側で、部屋に招き入れた少女も気まずそうにうつむいている。本当に、大失敗だ。

彼が自室代わりに使っている喫茶珊瑚礁の二階からは海がよく見えた。今も、窓を閉めているにも関わらず波の音が絶えず聞こえてくる。

明け方、両開きの窓を開け放って窓辺に座る。水平線の向こうから朝日が姿を現すまで、刻一刻と変わる空と海の色を飽きず眺める。自分で淹れたコーヒーを飲みながら、海の音に耳を傾けるその時間が、彼は好きだった。

真珠の七色のように色を変える明け方の海を、彼女にも見せてやりたい――そう思った結果の、大失態。下心はなかった。少なくとも意識はしていなかった。失言に気がついたのは、目の前の少女が淡く頬を染めて彼をたしなめたからだ。

それでようやく彼も気がついた。一緒に明け方の海を見るのは、まずい。しかもこの部屋で一緒に。そういう意味のことを、自分は少女に言ってしまった。意識していなかったとはいえ。

けれど、もしかすると無意識にそういう言葉が出てしまうことの方が問題なのかも知れなかった。

「……ふふっ」

あかりの鈴を転がすような笑い声が彼の耳を打った。軽やかなその声に、先ほどまで部屋に沈殿していた重い空気が洗われるような気がした。

「……何だよ?」
「ごめんごめん」

くすくすと笑いながら、あかりは続けた。……良かった、あまり気にしていないみたいだ。安堵すると同時に、心のもう半分がしぼむ気がした。あまり気にされていない、というのも、それはそれで複雑なものがある。勝手なものだ。

「瑛くん、前にも言ってたよね。夜明けの海が好きって」

目を細めて、声に笑いの余韻をにじませたままあかりが言った。確かに言った。いつか、休日に二人で会った帰り道、夕暮れの浜で、そういう話をしたことがあった。

たわいも無い会話だ。趣味は何だ、とか、そういう何でもない会話だった。尋ねられて、思い浮かぶ趣味が見つからなくてショックを受ける彼に、あかりは「一日の中で好きな時間は?」と質問を変えた。それなら分かる。

「朝、コーヒーを飲みながら海を見るのが、好きなんだよね」

確認するように少女が言った。まさか、まだ覚えていたなんて。

「ああ、うん」

何故かのどの渇きを覚えながら頷いた。

「好きだよ」

あかりは立ち上がると彼の前を横切った。海の泡のように白い二本の足が、淡い水色の小花柄のフレアスカートを揺らした。軽やかな足取りが部屋の空気をかき混ぜる。風に釣られるように、彼女の後ろ姿を目で追った。珊瑚礁の正面に面する窓辺に立ってあかりは窓を開けた。

本物の海風と波の音が部屋に流れ込んだ。秋口の風はもう冷たい。それでも、強くはない。彼女の明るい茶色の髪を風がさらさらと揺らす。コーヒーカップを手に持ったまま、あかりはちょこんと窓枠に腰掛けた。彼が朝いつも過ごす場所に綺麗に重なり、少女の姿はそこによく馴染んだ。軽く身を乗り出して、窓の外に広がるだろう水平線に視線をめぐらせて、彼女は呟いた。

「……わたしも見てみたいな」

呟きは海鳴りに紛れそうなほどかすかだった。にも関わらず、彼の耳にちゃんと届いた。他意も何もなく、その瞬間やっぱりまた、見せてやりたいと思った。

「……いつか、見せてやるよ」

先ほどの失言を踏まえて、慎重に言い直した。彼女はぱちぱちと大きな瞳を数度まばたきさせた。そうして、逆光を受けて顔に暗く影を落としたまま彼女は頷いた。

「うん、いつか」

――そうだな、いつか。

窓から射す、白っぽい光があかりの輪郭を淡く銀色に光らせていた。少女の背中ごしに、秋の高い空が青く輝く。コントラストに目を細めながら、彼は微笑む少女の姿に見とれていた。




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