フリリク企画 | ナノ
at home #2




よちよちと海に向かっていくチビすけを赤いスカートをはいた母親が肩口を両手ではさみ込むようにして掴まえる。


「海、入りたいの?」
「うん」
「じゃあ、お靴脱ごうね〜」


果敢にも靴ごと海に入ろうとしていた子どもを引きとめて、小さな青いスニーカーを脱がせてやっている。同じくらい小さな靴下も一緒に。
自分もサンダルを脱いでスニーカーの隣りに置いた。つやつやのエナメルと色がレモンにそっくりだと子どもはそんな感想を抱いている。


「よし、準備オーケー」
「海、いい?」
「うん、いいよ〜」


そうして手を繋がれたまま波に足をひたす。


「足、冷たい?」
「ううん」


母親は長いスカートが波につかないように裾を掴んでいる。もう片方の手は子どもを掴まえている。子どもはいうと、自分の足にぶつかって弾ける白い泡に夢中だ。


「わ、大きな波がくるよ!」


母親の慌てたような声が降ってくる。次の瞬間には抱えられて、海から遠ざけられる。赤いスカートの裾がまるで開き過ぎた花びらみたいにくるくると開いて波に揺れる。


言われたとおり、次の波は大きかった。「危なかったねえ」と子どもを下ろして、母親は息をつく。子どもは海に背中を向けている母親の肩越しに声を上げる。


「ママー」
「ん、何?」
「波、大きいー」
「え?」


振り返った瞬間、また抱えあげられた。けど、間に合わなかった。


「きゃー!」


一際強い波が押し寄せたせいで、二人してずぶ濡れだった。


「つ、冷たっ! だいじょうぶ?」
「冷たーい」
「そ、そうだよねえ!」
「苦ーい」
「わー、ごめんねえ!」


母親は滴の落ちる手で子どもの靴を拾った。サンダルを履いて、苦い潮の味に顔をしかめる子どもを覗きこむ。


「帰ろっか」
「うん、帰るー」
「帰ったら、うがいしようねぇ」
「うん」
「ほら、お父さん、いるよ」


子どもを抱えたまま、スニーカーを持った手で母親は丘の上を指し示した。言葉通り、丘の上の青い屋根の家の軒下に棒きれみたいに仁王立ちしている父親の姿が見えた。帰ったら確実に小言の山をあびせられるに違いないのに、母親は笑っている。


「帰ったら、着替えて、うがいして」


マッチ棒みたいな父親から小さな俺に視線を移して笑いかける。


「みんなでお昼にしようね」


これは子どもの頃の記憶だ。
子どもの頃に何度かあった、休日の昼の思い出。
まだ一人で歩けない頃から母親と何度も海辺で遊んだ。
遊び疲れて青い屋根の家に戻ると、いつも温かい昼ごはんが出来ていた。


大抵の場合、父親は小言の山と一緒に母親と俺を迎え入れた。そうやって、何度も過ごした。それが我が家の思い出だ。潮とコーヒーの香り、いつも笑顔だった母親、反対に小言が多かった父親。そんな両親に囲まれて、まあ、おそらく幸せだったと思う。皮肉も何もない、素直な感想。照れくさくて、面と向かって言うことは、とても出来そうにないけれど。


父と母はどうだったのだろう。聞くまでもない、と思うのは幼いころに何度も聞かされた“お話”のせいだ。――人魚と若者は広い海で、ふたたびめぐりあう。村の連中とも仲直りして、楽しく暮らす。そうして、灯台の下で、ちっぽけな、コーヒーが評判の店を開く。


お話の結末は勿論、ハッピーエンドだ。そういう風に決めた誰かがいるから。
犯人だって勿論、分かり切っている。だって、いつも目の前で見ていたんだから。





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