――瑛くんは秘密が多いから大変だなあ……。 放課後の帰り道、校門付近で見かけた瑛くんの背中に声をかけた時、そんなことを思ったりした。 周囲に取り巻きの女の子たちの姿はないし、普段醸し出している“忙しい!”というオーラも背中からは感じられない。それに今日は火曜日。瑛くんのバイトの日ではない日。 ――声をかけても平気かな? 名前を呼んだら、瑛くんは振り返ってくれた。さて、どうしようかな。少し考えて、結局「お茶して帰らない?」と切り出してみた。瑛くんは「いいな」とノリ気そうな返事をしてくれた。ちょうど、“敵情視察”に喫茶店に寄るつもりだったみたい。でも、そうだとしたら、わたしも一緒して大丈夫なのかな? だって、敵情視察ということは一応、お仕事の延長みたいなものだろうし……。 「あの……わたし、邪魔になりそうなら、今度に……」 「邪魔なもんか!」 皆まで言う前に瑛くんの声が被さった。見上げると、何故だか顔を赤くした瑛くんが咳払いをして、視線を逸らした。 「だからその……高校生のカップルの振りをした方が行きやすいだろ?」 もごもごと瑛くんは言う。そ、そっか、なるほど? 瑛くんは珊瑚礁の従業員だもんね。偵察に来てるってバレたらマズイもんね。納得しながらも、半分、どこか納得しかねる部分も残る。 そういう訳で、半分首を傾げながら頷いてしまったから、何だか中途半端な感じになってしまった。そんなわたしの反応を見て瑛くんも何だかとても複雑な顔(照れているような、バツの悪いような顔だった)をして頷いた。 「……じゃあ、行くか。“敵情視察”」 「う、うん」 そうして並んで歩き出しながら、やっぱり首を傾げてしまう。瑛くんは勿論、珊瑚礁の従業員だけど、わたしも一応、珊瑚礁でアルバイトしてるよね。いいのかな。珊瑚礁の従業員が二人揃って敵情視察なんて大丈夫なのかなあ……? 首を捻りながら歩いたせいか、隣りを歩く瑛くんから数歩遅れてしまった。隣りから「ボーっとすんな」という瑛くんの声が降ってきて、気持ちを切り替えた。――うん、要はわたしたちが珊瑚礁の従業員だってバレなきゃ良いんだよね。……たぶん、という話。 ○ 「あ、苺フェアだって」 「ま、季節だしな」 「いろいろあるね。悩むなぁ……」 瑛くんと“敵情視察”に向かった喫茶店は前にも何度か来たことがあるお店だった。確か前に瑛くんはライバル店だって言っていたような気がする。苺フェアのデザートはどれも魅力的で目移りがした。 メニューと睨みあっていたら、向かい側から、瑛くんが吹きだす気配がした。抗議の気持ちを込めてメニューから顔を上げる。頬づえをつきながら瑛くんが目を細めている。とても愉快そうに。 「おまえ、真剣に悩み過ぎ」 「だって、どれもおいしそうなんだもん……」 「分かるけど、眉間に皺作ってまで悩むことじゃないだろ?」 「悩むことだもん……」 「はいはい。で、悩んでるの、どれとどれ?」 「うーん……全部悩むなあ……」 「全部は流石に無理だろ……」 「分かってるよぉ……」 分かってるから、悩んでいる訳で。金銭的にもいろんな意味でも全部を試すことは出来ない。でもせっかくなら、なるべく参考になるものを選びたい。一応、敵情視察だったので。 断腸の思いで二つに絞った。メニューを指さす。 「これと、これ」 指さしたのは、苺のタルトと苺のシフォンケーキ。どちらもメニューの目立つ部分にプリントされていたし、きっとお店のオススメなんだと思う。それに単純に、どちらもおいしそう。 わたしが指さしたメニューを眺めながら瑛くんは「ふうん……」と言った。そういえば、瑛くんはどれが良いんだろう? 聞く前に瑛くんが言った。 「じゃあ、その二つにするか」 「えっ」 二つって、苺のタルトと苺のシフォンケーキのこと? 「て、瑛くん、わたしも二つも食べるのは、その、憚られるというか……食べようと思えば食べられるけど、ううん、むしろ食べてみたいけど、でもお小遣い的な意味でもダイエット的な意味でも二つはちょっと…………」 「分かってるよ」 わたしの要領を得ない言い訳を「分かってるよ」の一言で横に受け流して瑛くんが言った。その視線は飲み物のメニューに注がれている。 「俺もその二つで悩んでたから。少し分けてやるから、おまえのも味見させろよ」 「瑛くん……」 そうだったんだ……。それなら、ケーキ二つ分を食べてしまって懐に大打撃、その上、一日の摂取カロリー大幅増量なんて大惨事は避けられそう……。瑛くんの機転に感謝しつつ、気になったことを一つ。 「で、どっちが、どっち?」 タルトとシフォンケーキ。 二つ頼むとして、結局どっちがどっちを食べるんだろう。 「それは……」 わたしの台詞を受けて、瑛くんがテーブルの上で腕を組み直す。そうして、にっこり笑いながら言う。あ、王子様スマイルだ。 「これからの交渉次第、だな」 …………。 「あの、瑛くん……」 「何?」 ニコニコの王子様スマイルのまま瑛くんが答える。 「あの、食べてる途中で気が変わったら交換などは……」 「ゼッタイ却下な」 こ、これは、慎重に選ばなきゃ、後悔してしまう……! わたしの心境を読んだかのように、瑛くんはニコニコ笑いながら「気が済むまで、よーく悩んでおけ」と言った。むむ……。 複雑な心境でもう一度メニューに目を走らせる。どうしよう、どっちが良いだろう。わたしの内心の葛藤を余所に、瑛くんは手を上げて店員さんを呼んだ。 →次のページ [back] [works] |