「もしもし、水島さん? 助けて!」 「あかりさん? 分かったわ。すぐ行くから待ってて頂戴」 「お願いします……!」 「薙刀を持って行った方がいいかしら? 場所はどこ?」 「な、薙刀……!? どうして?」 「助けてって言うから、そういう意味なのかなって」 「違うよ水島さん……! ただ、浴衣が着れなくて……」 「浴衣?」 ○ 「も〜、ビックリしちゃった。あかりさんが『助けて〜』なんて言うから」 「わたしもビックリしたよ水島さん……」 ……薙刀を何に使うつもりだったのか、それは聞かないでおくことにしようと思う。 今はもう、不穏な発言と不穏な雰囲気の名残を綺麗に消してしまった水島さんが、柔らかく微笑んで言う。 「でも、何もなくて良かった」 「水島さん…………」 「あかりさんに何かあったら、私、きっと耐えられないもの」 本当に心配をかけちゃったみたい……。自分の言葉が足りなかったことを今更ながら反省する。浴衣の着丈をはかりながら、水島さんがわたしを見上げて言う。 「もしも危ない目に遭いそうになったら、すぐに言ってね? 私、すぐに駆けつけるわ」 「…………薙刀持って?」 「そうね、薙刀持って」 「…………そ、それは遠慮しておこうかなあ?」 「ふふっ!」 何故だか背筋がぞわぞわと粟立って、首を横に振ると水島さんは可笑しそうに笑い声を上げた。……もしかして、からかわれてる? 「あんまり怖いこと言わないで水島さん……」 「あら、おあいこよ?」 「おあいこ? 何が?」 「さあ、何でしょう? ね、あかりさん、着丈、これでどうかしら?」 「え? あ、うん、丁度良いと思う」 「じゃあ、帯を締めるわね」 帯を手に水島さんが後ろに回る。 「ごめんね水島さん。いつもはお母さんに着つけてもらってたんだけど……今日はお母さんがいなくて……」 「気にしないで? あかりさんの浴衣姿が見られて嬉しいくらいなんだから」 きゅ、と帯を締められる。少し息が詰まる。 「きつすぎるかしら?」 「う、ううん、大丈夫……」 「それじゃあ、これくらいにしておくわね」 水島さんは慣れた手つきで浴衣を着つけてくれた。水島さんなら、きっと一人で浴衣も着物も着られるんだろうなあ……すごいなあ。 「はい、完成。よく似合ってるわ」 「ありがとう水島さん」 「あとは……そうねえ……」 「?」 「あかりさん。せっかくなら、浴衣に合わせて髪もまとめてみない?」 「え? あ、うん……」 「何か髪留め、ある?」 「ええっとね……」 アクセサリー箱を引きよせて開いてみる。水島さんは幾つか見分して、ビー玉のヘアピンと和飾りを手に取った。 「少し髪の毛を弄らせてね?」 「う、うん」 「今日は花火大会?」 「うん、そうなの」 「素敵ね、浴衣を着て花火って」 「うん」 「私もあかりさんと行ってみたかった、かな?」 「あっ……」 鏡越しに水島さんと目が合う。鏡の中の水島さんが眉を下げて微笑む。 「……ごめんなさい。そんな顔しないで、あかりさん」 「わたしも、ごめんなさい水島さん……」 「こんなことで謝ったら駄目よ? 馬に蹴られたくないから、私は辞退するわ」 「う、馬?!」 「よく言うでしょう? 『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて』何とやらって」 「確かに聞くけど……」 「ね? 馬に蹴られたら大変」 ――確かに大変。大変なんて言葉じゃ言い表せないくらい大変なことだと思うけど…… 声を潜めて、水島さんが呟いた。 「きっと、それくらい大変な事なんでしょうね」 「えっ?」 「何でもないの、ひとり言。はい、出来あがり」 ぽん、と肩を叩かれる。 「どうかしら?」 「すっごく素敵だよ、ありがとう、水島さん!」 自分だと、こんな風に素敵に出来なかったと思う。流石、水島さん。 「喜んでもらえて良かった。……ねえ、あかりさん」 「うん? なあに?」 「佐伯くんと仲良くね? 喧嘩しちゃ駄目よ?」 「………………」 「………………」 「どどどどどどうして知ってるの!?」 「あら、私は何でも知っているのよ?」 そう言って、にっこりと微笑む水島さん。……確かに、何でもお見通しな気はするけど……そんなのって……。 「嘘。ただの勘よ。二人、とっても仲がよさそうだから」 「そ、そうかなあ?」 「そうよ。ね、もし喧嘩したり、酷いこと言われたら、すぐに言ってね? 私、薙刀持って駆け付けるから」 「…………え、遠慮しておくよ!」 「あら、遠慮なんかしなくていいのに」 何故か笑顔が怖いよ、水島さん……! 「……冗談はさておき」 「……冗談だったんだ」 「仲良く楽しんできてね? 両思いって、とても素敵で幸福なことなのだから」 「りょっ……!」 「ふふっ! ほっぺが真っ赤よ、あかりさん」 「水島さんが変なこと言からだよ……!」 「ふふっ」 指先で、頬をちょん、と突かれる。うーん、子ども扱いされてる気分……。 「本当は口紅もさしてあげたいけど、それはまだ早いかな?」 「何だか子ども扱いされてる気分だよ、水島さん……」 「そんなこと無いのよ? ただ、あなたらしさが損なわれてしまわないようにって思っただけ」 「わたしらしさ?」 「そのままで素敵よ、あかりさん」 あ、あれ……何だか気恥かしい。 「もちろん頬べには要らないわね、この分だと」 「もう!」 「ふふっ」 水島さんが「行ってらっしゃい、あかりさん」と背中を軽く押してくれる。どんな男の人をも心抜きにしてしまいそうな笑顔に向けて、わたしは手を振る。 「行ってきます!」 ○ 縁日で賑わう通りを、電球の淡い光の中を、佐伯くんと並んで歩く。佐伯くんは薄いグレーの浴衣を着ている。わたしも浴衣を準備して来て良かったと思った。目が合うと佐伯くんは気まずそうに目を逸らしてしまう、けど。 屋台でりんご飴と綿あめを買った。佐伯くんが赤い飴を、わたしはふわふわとした見た目の綿菓子を持つ。「浴衣とかにくっつけないように」まるで子どもに教え込むような言い方をされてしまう。子どもじゃないのに、むくれると、それがおかしかったのか、笑われてしまった。そんな、他愛ない会話をしながら、花火会場へと向かう。慣れない下駄と砂利道のせいで躓いてしまいそうになる。見かねたのか目の前に手を差し出された。「転ばないように掴まっておけ」そう、仕方なさそうに言われた。「……うん」一回りも大きな手のひらに手を乗せる。ゆるく重ねた手を、きゅ、と軽く握られた。触れた部分が熱い。思いがけず、水島さんの台詞が脳裏で自動再生される。 ――両思いって、とても素敵で幸福なことなのだから。 そうなのかな、お互いに同じ気持ちになることって、あるのかな? そんなことって……。 花火会場に近づくにつれ、人の密度が増す。熱気でくらくらする。半歩先を手を引いて歩いてくれている佐伯くんの顔は見えない。背中しか見えないから、どんな表情をしているのか、分からない。わたしに分かることは繋いだ手が熱いことだけだ。それは、お互いに、という話。 重ねられた手のひらの下で佐伯くんの手を握り返した。同じくらいの強さで、ぎゅ、と握り返される。目の前が滲んで見えたのは、暑いのと、上がった花火の明るさだけのせいじゃないのだと思う。繋いだ手のひらの熱が、大好きで、大切で、離れがたい。水島さんの言葉の通りだ。向けた感情と同じだけのものが返ってくるのは、とても幸福で、素敵なことだ。戒めのようにきつい着つけの下で、持て余した熱を逃がすために、そっと息をついた。 2011.07.08 --> |