「終わりにする……?」

あかりが呆然とした様子で言う。

「ああ」
「……つまり、失敗だったってこと?」
「……失敗……っていうか、どっちかっていうと、俺の気持ちの問題だな」
「え?」
「これ以上おまえに甘えてられないってこと」

一週間前にあかりから“付き合わなってみない”と言われて驚きもしたけど、一方で嬉しかった。始末に負えないことに、嬉しいと思ってしまった。その後で真相を明かされたけど、それでもどこか浮ついた気持ちが残っていたと思う。フリであっても、こんなこと本当に良いのかという葛藤はあったけど、それでも嬉しかった。あかりの優しさに甘えてしまった。一週間前はずるずると甘えてしまったけど、今なら分かる。こんなんじゃダメだ。

あかりが顔をうつむける。

「でもわたし、やっぱり佐伯くんのことが心配だよ」

苦しげにこぼしてスカートをぎゅ、と握る。強く握りすぎているのか、手の甲が白くなっている。

「……頑張りすぎて、倒れるとことか、もう、見たくないよ」
「分かるよ。おまえが俺のこと考えてこんなことしてくれたことくらい。でも……」

スカートを掴むあかりの腕に手を添えた。手の下で、腕が震える。

「男としても守られてばっかっていうのはカッコ悪いから……だから、仕切り直しだ」
「……仕切り直しって?」

こげ茶色の前髪の下で黒目がちな瞳が見上げてくる。真っ直ぐな目にひるみそうになりながら口を開いた。自分の心臓の音をやけに意識させられる。

「……ちゃんと俺から言うから」

言えるときが来たら、ちゃんと伝えるから。付き合うとか、そういうことは、今はちょっと、店のこととか、色々余裕がなくて言えないけど……。
あかりが混乱したように眉間にしわを寄せる。

「つまり……」
「ちょっと待っててってこと」
「……何だか、納得がいかないよ……」

難しげにしわを寄せている眉間のあいだをつついてやる。

「そんな顔してんなよ。おまえはそのままでいいから」
「でも、それじゃあ何も解決してない気がするよ。佐伯くんの負担は軽減されないでしょ?」
「いいんだよ、それで」
「え?」
「俺が好きでしてることだし、それに、おまえといると疲れが取れる気がするんだ」

これはこの一週間ずっと一緒にいた結果の発見かもしれない。一緒に下校したり、弁当を食べたり、こうして休日に会ったり……他愛もないことを言い合って、一緒に過ごすのが、何故だかすごく楽しかった。肩の力が抜けて、気が楽だった。

「だから、おまえと過ごすだけで良いんだ。それだけで充分だよ」
「佐伯くん……」

夕日の最後の光が水平線に沈む。空が完全に夜の色に移行する。藍色の空に銀色の星が瞬いている。そろそろ、潮時だ。

「戻るか」
「うん……」
「家まで送るから」
「うん、ありがとう」

踵を返して、浜から道路に上がる階段へ向かう。裾を引かれた。次いで、何かが手に触れた。きゅ、とためらいがちに手を握られた。

「…………」

人の手を勝手に握っているあかりの小さな手と、やけに真剣なあかりの顔とを交互に見つめる。緊張したような顔のままあかりが言う。

「約束の一週間は、今日まで、でしょ?」

つまり、これも恋人のフリ。

「……ホンット、何て言うかズルイよな、おまえ……」
「……佐伯くんほどじゃないよ」
「何だと……」

掴まれていない空いた方の手を掲げて見せると、あかりは大げさな仕草で頭をかばって叫んだ。

「チョップはやめて! 恋人らしくないよ!」
「バカおまえ、チョップはスキンシップだし愛のムチだ」
「そんな痛い愛は御免被りたいなあ……」

わいわい言い合いながら、手はしっかり握っていた。結局、甘えている気がする。こういうのは、今日で最後。そう言い聞かせて、あかりをそっと強く握った。
道路に出ると、街灯が灯っていた。ところどころ、オレンジ色の灯りが道を照らす。

「あのさ……」
「なぁに?」
「おまえ、来週、暇?」
「来週の日曜日ってこと?」
「ああ」
「うん、特に予定はないよ」
「じゃあ、臨海公園行かないか?」
「え?」

あかりが驚いたように見上げる。

「何だよ、その反応」
「だって、約束の一週間は今日まででしょ?」
「だから、それとこれとは、別ってこと」
「…………」

あかりは数回瞬きを繰り返して、それから、視線を海の方へめぐらせた。もう陽か落ちて、海と水平線の境界線さえ分からない。「そっか……」と小さな呟き声が聞こえた。

「それとこれとは、別、かぁ……」

あかりは妙に吹っ切れたような声で言って、向き直って大きく頷いて見せた。

「うん、行こう」

こんな屈託のない笑顔を見るのは久々な気がする。何だか胸につかえていたものが取れたような気分。

「……ああ」

来週には、もう恋人同士なんて肩書きはないけど、それでも、会う約束を交わす。
それでいつか、その時が来たらちゃんと伝えるから。
その時まで、繋いだ手の主が隣りにいてくれることを願いながら、一歩一歩を惜しむように歩いた。

あかりの自宅前に着いた。玄関先の電灯に灯りがついているし、カーテン越しに家の灯りが覗き見える。早く帰さなきゃ、と思いながら、繋いだ手を離すのが惜しかった。

「それじゃあ……」
「ああ、うん……」

手を離す。あかりが門の扉に手をかける。ここをくぐったら、今度こそ約束の一週間も終わりなんだと思う。何か堪らないものがこみ上げて名前を呼んだ。

「あかり」

扉に手をかけたままあかりが顔を上げた。気のせいかもしれないけど、辛そうに見えた。笑顔を向ける。

「……また、来週な」
「……うん!」

あかりの顔に走った緊張が和らぐ。そのまま笑顔のままであかりが「ねえ佐伯くん」と続ける。

「何だよ」
「今日で最後だね」
「……そうだな」
「……佐伯くんは、楽しかった?」

首筋をさする。

「……まあ、悪くなかった」

あかりが苦笑いする。

「わたしは楽しかった、よ」
「…………」

門をくぐって振り向いたあかりが身を乗り出す。

「!?」
「おやすみ!」

素早く踵を返してあかりは玄関のドアを開くと、扉の向こうに姿を消した。天敵から逃げ出す小動物を思わせる素早さだった。頬をさする。

「あいつ……」

一瞬だけ頬をかすめたやわらかいものが何だったのか、分からないわけじゃない。あいつ……最後の最後になんつー地雷を……。本当にズルイというか、酷い。

やられっぱなしというのは面白くない。負けず嫌いなんだ、俺は。来週……いや、明日から覚悟しとけよ。これまでとはちょっと、いや、大分、違うから。覚悟とか、自覚みたいなものが。


「覚えてろよ……」

聞こえるはずもない捨て台詞を残してあかりの自宅前を後にした。



>>epilogue


2013.04.17


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