海沿いの道を急いでいると、背中に声がぶつかってきた。

「……佐伯、くん!」

立ち止まらないで歩き続ける。あかりが駆け寄ってくる。

「待ってよ、ねえ!」
「……何だよ」
「何だよって……」

ずっと走ってきたのか、あかりの息が荒い。

「約束、忘れちゃったの?」

忘れてはいない。ただ、

「もういいだろ。あんな、下らない話」
「え?」
「もう、ウンザリだって言ってるんだ」

あかりは何も知らない。分かっちゃいない。あの約束が、どんな類の地雷で周囲にどんな影響を及ぼすものか、知らないで言い出した。
付き合っている二人を演じる。一週間だけ。上手くいくようなら、続行。ダメなら、やめ。もう、ダメだと思う。だから、期日前に宣言しておく。もうウンザリだって。
取り巻き連中への言い訳を考えるのも、振り回されるのも、ウンザリだった。あかりには危機意識がないし、それに、こっちが心配してるのに、向こうはまるでそのことに頓着していない。

「……佐伯くん」

長い沈黙の後、あかりが口を開いた。顔を見れない。

「…………もしかして、迷惑、だった?」

ぎゅ、と目を瞑る。

「迷惑だ」

はっきりと言ってやった。伏せた目で追った視線の先、黒いローファーの足もとがたたらを踏んで立ち止まる。言われた台詞に驚いた様に。

「……もう、あんなことしないでくれ」

言って、目を上げた。上げなきゃ良かったとすぐに後悔した。泣き出しそうな目が瞬きもしないで見上げていた。その目から逃れるように、踵を返して振り返りもしないで歩いて行った。

何も考えないように足を前に進める。……何も考えないなんて無理だ。

――追ってくるかな。
――追ってくるはずない。
――でも……。

歩いて歩いて歩いて、振り返った。後ろには誰もいなかった。見慣れたはずの茶色い頭は見当たらない。詰めていた息を吐いた。……そうだよな。追ってくるはずない。だって、俺が突き放したんだ。
自分でしたことなのに、途端に心もとなくなった。自分を支える足場が頼りなくなったみたいに感じた。
海から吹いてくる風が、髪をかき混ぜて行って視界を隠す。今すぐ前を向いて歩き出して帰ることも、踵を返して追いかけることも出来ないまま、しばらくのあいだ、風に吹かれるまま立ちすくんでいた。



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