「チカ先輩ィィィ…」

空になったお盆を抱え、私はチカ先輩のデスクに向かった。足取りはもはやフラフラ。さっき受けたショックが私の視界さえも揺らし続けていた。

「お、戻ったか。どうだった?ちゃんとやれたか?」

ああ、チカ先輩の眩しい笑顔も揺れている…。

「とりあえずお茶だしはしてきましたけどー…もう二度と御免ですよー…」

これ以上問題を起こさない為にも念を押しておかねばなるまい。お茶だしなんて誰でも出来るのだから。次からは私を指名しないように頼んでおこう。と、思って口を開こうとしたのに、隣にいた毛利先輩が先に声を発してしまった。

「よもや貴様、先方の機嫌を損ねるような真似をしたのではあるまいな」

冷たい指摘にヒヤッとする。アハハ、機嫌を損ねるどころの話じゃないんですよ毛利先輩。実は入社前に出会ってましてしかも自転車で激突した上に説教ぶちかましてたんですよアハハー……なんて言える訳もなく、睨み付けてくる毛利先輩に萎縮して目を逸らす事しか出来ずにいた。しばらく俯いたままでいると、毛利先輩は呆れたように大きく息を吐き出してからこう言った。

「あの若造は気に食わぬが、伊達との契約だけは絶対に取り付けねばならぬ」

もうすぐで成立する契約がここへ来て取りやめになるなどというようなことはあってはならぬぞ、と私に向かってきつく言い放ち毛利先輩は自分のパソコンに向き直った。そ、そんなに凄い会社なの!?あのヤな男の会社って……

「あー…伊達コーポレーションってのはこの業界の老舗でな」

毛利先輩のただならぬ様子に焦りを感じ冷や汗をかいて固まっていた私に、チカ先輩がフォローするように説明を始めてくれた。

「まあさ、いくら老舗っつってもこの不況だろ?先代の社長もすげぇ気弱になっちまってよー」

チカ先輩の説明にコクンと頷く。平成に入ってからの不況は経営者側から見ても驚異だったことだろう。

「規模を小さくして保守的な経営しかしなくなっちまっててな。でも保守に回った会社ってのは基本的に落ちていく一方だろ?それは伊達も同じくでよ。株価は下がるし取引先も減るしでな?それに倣ってうちの会社も伊達との取引を止めたんだよ」

そこでまたチカ先輩が私に視線を向けてきた為、コクンと頷きを返した。この不況の世の中ならよく有りそうな話だ。ここ十数年、幾つもの会社がそうやって潰れていっている。気付けばかすがや真田くんも一緒になってチカ先輩の話を聞いていた。

「でも3年前、社長が変わってな」

チカ先輩の声音が急に変わった。

「先代ももう疲れ果てちまったんだろうな。大学を卒業したばかりの長男に全てを託して隠居しちまったんだよ」

真田くんが「某と同じ年で…」と呟いた。そ、そうだよね…大学を卒業したばかりって…それって今の私達と同じ年の時ってこと…だよね?そんな若い人に老舗会社の社長をさせるの!?チラッと見ればかすがも同じくびっくりした顔でチカ先輩を見ていた。新人三人の驚愕の眼差しを受けて、チカ先輩は苦笑いを零す。

「まあビビるよな普通。それは誰でも同じだ。まだ20そこそこのガキが老舗会社を継ぐってんだから、外部はもちろん伊達の内部からも不平不満の声は絶えなかったらしいが……、」

それも数ヶ月で収まった。
チカ先輩は楽しげにニヤリと口で弧を描く。

「利益が膨れ上がったんだよ。新社長のカリスマ的な経営方針によって」

カ、カリスマ…?チカ先輩の説明に首を傾げていると、それまで『我関せず』といった態度でキーボードを弄っていた毛利先輩が不意に顔を上げた。

「あれは凄かったな。不況の波を逆手に取るような大胆で巧みな経営方針で一気に売上を伸ばし上場企業へと舞い戻ってきおった」

毛利先輩もチカ先輩のようにニヤリと笑っていた。そうか、この二人はあのヤな男のやり方に興味津々ってワケだ。さすがは中堅社員コンビ。同世代のライバル意識って感じかなぁ?

「一度は手を切った企業も掌を返したように伊達に擦り寄ってやがる。まあうちも似たようなモンだが」

…なるほど。だからあんなに横柄な態度だったワケね。自分の方が有利な立場だからってこと?感じ悪いなぁ。

「とにかく相手は相当なお偉方ってワケだ。頼むから無礼な真似はしてくれんなよ」

チカ先輩は私の髪をグシャグシャにしてから言い聞かせるように笑った。そんなこと言われなくても分かってます。でも既に説教ぶちかましちゃってる場合はどうしたらいいんでしょうね?



悩まずにはいられない
(すでに後の祭ですなんて、口が裂けても言えない)







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