とにかく今後はあの社長へのお茶だしは私以外の人に頼んで下さい、他の仕事ならどんな雑用でもしますので!

必死に頼み込み、なんとかチカ先輩を頷かせた所でちょうど昼休みの時間となった。財布とケータイだけを手に持ち食堂へ向かう。社内廊下を一人でテクテクと歩く。いつもは真田くんとかすがの三人で食堂まで行くんだけど、今日は二人とも電話応対で手を離せなさそうだったので先に行って席取りをしておくのだ。廊下を歩きながら私の頭はさっきのチカ先輩の話を反芻していた。

大学卒業と同時に老舗会社の跡を継ぎ、落ち込んでいた経営状況を一気に回復させたカリスマ社長…か。そんなに凄い人だったとは…こりゃ益々ヤバイってワケだ。

でも、私はどうせ新入社員の下っ端で、お茶だし以外で顔を合わせる事などまずないだろう。そのお茶だしの件もチカ先輩に頼み込んでおいたのだから、つまり私があのヤな男と対面する事は二度とないって事になる。よかったよかった。自分で完結させて無理矢理に胸を撫で下ろしていた矢先、



「おお!伊達の倅ではないか!」



廊下の先に、嬉しそうに声を大にする巨漢を発見した。あの人は確か…本願寺部長…だっけ?入社式で一度見たきりお目にかかることはなかったけど、食堂ではよく噂に上がってる。あまり良くない方の噂で。そんな評判の良くない本願寺部長が嬉しそうに名前を呼んだ相手を見て、私は慌てて壁の裏側に身を潜めた。

「噂には聞いておるぞ!随分と羽振りが良いらしいな。是非あやかりたい物じゃ」

壁の影に身を潜めてからコッソリと様子を伺う。ギャハハと品悪く笑う本願寺部長の向かいにいたのは、さっきまで私の思考の中心にいた人物。伊達コーポレーションのカリスマ若社長だった。…と言っても本願寺部長の巨体に阻まれてちゃんと見えないんだけど。話の内容からしてあの男だろう。本願寺部長はやたらと大きな声で話しを続けた。

「親父殿は元気にしておられるか?拙者、昔は良く碁を射した仲なのだぞ」

…本願寺部長の評判が悪い理由が少し分かった。この馴れ馴れしさと品の悪さは確かに相手を不快にさせるだろう。セクハラも多いとか聞いたし、私、毛利先輩とチカ先輩の下で良かったなぁ。…毛利先輩超怖いけど。

「おっ、そうじゃった。実は少し前に知り合いがパークヒルズに店を出したんじゃ」

本願寺部長が思い出したように手を叩き、ゴソゴソと巨体を揺らす。胸ポケットを探る仕種の後で、一枚の封筒を取りだして向かいの男に差し出した。

「よかったら一度味を見に行ってやってくれぬか?1番良い席を用意させておくぞ」

どうやら胸ポケットから取り出したのは招待状か何からしい。…ズ、ズルイ…。パークヒルズの新しいお店ってアレでしょ!?テレビでも取り上げられてたフレンチのお店!ミシュランで三ツ星貰った店が日本初上陸!とか騒がれてたアレじゃないの!?てゆーか本願寺部長凄くない!?オーナーと知り合いなの!?壁際に隠れて一人興奮する私を尻目に、あのヤな男は『Thank you.』とキザに言い放ちその封筒を受け取る。

「おお!そろそろ会議の時間じゃな!ではな、伊達の倅よ」

封筒を受け取って貰えた事に満足したのか、本願寺部長は嬉しそうに笑って巨漢をドスドスと鳴らしながら去って行った。その巨漢が反対側の廊下の向こうに消えた直後、障害物(本願寺部長)がなくなりよく見えるようになったあの伊達の社長が、冷めた声を発した。

「小十郎」
「は」

呼び付けたのは、ずっと背後に控えていたらしいあのヤクザもどきの男性。どうやら秘書か側近らしいヤクザさんに向かって、伊達の馬鹿社長は言った。



「捨てとけ」



それはまるでゴミでも扱うような仕種。指先だけで摘み、ピラッと背後のヤクザさんに突き出したそれは、さっき本願寺部長から貰ったはずの封筒。



「は、畏まりました」



ヤクザさんは当たり前のようにそれを受け取る。その一連の流れはとてもスムーズで、お互いに慣れているといった雰囲気だった。


………な、


なんなのアイツ…『捨てとけ』って、ソレさっき本願寺部長からもらったレストランのチケットだよね?なんでそんな面倒臭そうに扱うの?『捨てとけ』って何?そりゃ確かに本願寺部長の媚びへつらった態度も不愉快だったかもしれないけど、だからって人様から貰った物をソッコーで『捨てとけ』って何なの?大体私、あのお店超気になってたのに!気になってたって言ってもどうせ一生入れないだろう憧れのお店として、だけどさ!それを『捨てとけ』だぁ!?捨てるくらいなら私にくれよ!ってそれはそれで悔しいような気もするけどでも捨てるよりはマシだろ!

「待っ…!」

あまりの酷い仕打ちに頭がカッとなる。咄嗟に身体が動き、隠れていた物陰から飛び出そうとした。


でも、


『とにかく相手は相当なお偉方ってワケだ。頼むから無礼な真似はしてくれんなよ』


『伊達との契約だけは絶対に取り付けねばならぬ』



さっき先輩コンビから聞いたばかりの話が頭の中を駆け巡った。あの男は伊達コーポレーションの社長。私はその取引会社の新入社員。

「…だ…駄目だ」

我慢しなきゃ、行っちゃ駄目だ。我慢…我慢…我慢…ぐうぅぅぅ…我慢!

「……っ!」

伸ばしかけた手を何とか収め、プルプルと震えながら自分を制していると、フッとあのヤな男がこちらを見た。ビクッと体が震える。…え、何…!?な、なんかこっちに来るんですけど…!きっとブランド物であろう高そうな靴をカツカツと鳴らして近づいてくるあの男。挑発するかのようにニッと笑みを浮かべながら歩み寄ってくるソイツに『何なの!?』と内心身構えた私。でも馬鹿社長はそんな私の横を、そのまま素通りした。


「見てんじゃねぇよ、貧乏人」


すれ違いざまにポツリと落とされた暴言は、とてもとても許しがたい物だった。



「な…な…」


なんなのアイツ…!なんなのアイツーーっ!あんな性悪、生まれて初めて見るレベルなんですけど!信じられないくらい性格の悪い男の後ろ姿を呆然と見ながら、庶民の私は口をあんぐりと開けて固まるしかなかった。




穴があったら埋めたい
(カツカツと嫌らしい音を鳴らして遠ざかっていく後ろ姿が悔しいくらいサマになっていて、それがまた憎たらしかった)






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