「やり直しだ」

冷たいお言葉と共に突き返されたのは、慣れない手つきで半日かけて作った見積書。静かに落胆する私の前で、何とも羨ましいサラサラヘアーの持ち主・毛利先輩がその端正な顔を苦くしかめている。

「こんな物、先方に出せると思うか」
「…う」

これ以上は無理だろうというくらい深いシワを眉間に作り腕組みをする毛利先輩の前で私は肩を竦めた。この人が腕組みをするのは長い長い説教が始まるという合図だからである。

「ちゃんと見直しをすればこんな凡ミスはまず有り得ぬだろう」
「すみません」
「すみませんではなく申し訳ありませんだ」
「申し訳ありません」
「いつまでも学生気分でいてもらっては困る」
「はい」
「お前のミス一つが会社の大きな損害に繋がる可能性があるのだぞ」
「はい」
「社会人としての自覚と責任をしかと持て」
「はい、気をつけます。申し訳ありませんでした」

深々と頭を下げると頭上から小さな溜め息が聞こえてきた。そりゃまあ、出来の悪い部下を持てば溜め息の一つもつきたくなるだろう。なんだか本当に申し訳なくなって俯いたままでいると、毛利先輩の声音が少しだけ柔らかくなった。

「内容は、…まあ悪くない」
「…はい」
「作業時間も新人にしては中々のものだ。この短時間でこれだけの物を作れるのならば効率については申し分ない」
「はい」

意外な褒め言葉に思わず顔を上げると、涼しげな目が私を見つめていた。自分でも分かるくらい気の抜けたマヌケな表情を浮かべていると、毛利先輩の顔付きがまた厳しくなっていく。

「…ここまで出来るのに…何故先方の社名を間違えるなどという下らないミスをするのだ」

再び冷ややかな目で見られて縮こまった。
思えば昔からそうだったのだ。
小学校低学年の頃の通知表にも『きちんと見直しをしましょう』と書かれたほどの筋金入りの凡ミス女王。テストの点は悪くないのに名前を書き忘れたり、全身全霊で作り上げたレポートを家に置き忘れてきたり。形は様々だけどとにかくイージーミスが多い。高校に上がる頃には『うっかり神崎』という異名まで身につけていた程だ。

冷や汗をかきながら毛利先輩を見遣る。背筋が凍りそうなほどの冷たい視線に晒されて更に冷や汗が吹き出た。私の返答を待っているらしい。うう…っ、そんな目で見られても、凡ミスの理由なんて一つしかない訳で。

「つ…つい…うっかり…としか」

そう言うしかなかった。仕方なしに口にした言葉は毛利先輩を更に怒らせてしまったらしい。グググッと眉が吊り上がる。そして怒鳴られた。

「それが学生気分だと言っておるのだ馬鹿者が!」
「すみ…っ、申し訳ありません!」

縮こまって必死に謝る私の横に、フラリと大きな影が現れた。

「よーよー毛利ィ。新人相手にしつこすぎねぇかぁ?」

突然現れて私を庇ってくれたのは、この課でのもう一人の指導役である長曾我部先輩だった。長曾我部先輩は毛利先輩とは違い、明るくて物腰も柔らかい。快活な人柄は皆に好かれている。しかし『皆』といってもそこに毛利先輩は含まれないらしい。毛利先輩は、私に向けるよりも更に冷たさを増した目を長曾我部先輩に向けた。

「貴様には関係なかろう、長曾我部」
「ねちねちねちねち説教しやがって。かわいそうじゃねえか、神崎だって一生懸命頑張ってんのによ」

なあ神崎、と頭をクシャリ。撫でて満面の笑みを向けてくれる長曾我部先輩。心強い味方が現れた事は嬉しいんだけど、髪の毛グシャグシャにするのやめてくれませんかね?朝頑張ってストレートアイロンで伸ばしてきたんですけどね。

「頑張ったかどうかは問題ではない。過程ではなく結果で評価されるのが社会に出て働く者の常であろう」

耳に痛い毛利先輩のお言葉は、だがしかし的を得ている。いくら努力した所でミスがあってはおしまいだ。『でも頑張りましたね』と褒めてくれる人なんて上司にも取引先にもいるはずがない。

「そう言うなよ、俺らだって入ってすぐの頃は色々とやらかしたモンだったろ?」

長曾我部先輩は私の頭をグリグリと撫で続けながら、すなわち私の髪の毛を犠牲にしながら毛利先輩に抗議する。しかし、

「それは貴様だけではなかったか?」
「……うげ」

一刀両断とはまさにこのことか。毛利先輩の冷めた反撃に長曾我部先輩は顔を引き攣らせた。

この対照的な二人は社内でも有名なコンビらしい。同じ年に入社してきて、同じスピードで出世していく。なのに性格も仕事のしかたも全く正反対なのだとか。毛利先輩が『静』なら長曾我部先輩は『動』。論理的に淡々と取引を進める毛利先輩と、大胆さと人柄で相手を引きずり込んでしまう長曾我部先輩。どちらもうちの会社には欠かせない中堅社員らしい。
全部食堂で耳にした噂だけど。

「貴様の尻拭いに付き合わされて残業した記憶なら山ほどあるが」
「…そっ…そりゃまあ…そうだったかぁ?覚えてねえなぁアハハハ」

分が悪くなってきたのを悟ったらしい長曾我部先輩は、ごまかすかのように頭をガシガシと掻いて不自然に笑い出した。

「わずか5年前の事も思い出せぬのか、この鶏頭めが」
「あんだとテメェ!」
「叫ぶな耳障りよ…神崎」
「は、はいっ」

食らいついてきた長曾我部先輩に対して心底欝陶しそうに顔を歪めた毛利先輩が不意に私の名を呼んだ。

「先にも言ったが内容は悪くない。社名を訂正してもう一度持ってくるが良い」

どうやら説教はアレで終わりらしい。身をていして割って入ってきてくれた長曾我部先輩のおかげだろうか。

「分かりました!あの…毛利先輩」
「なんだ」

突き返された見積書を手に取ったものの、どうしても聞きたい事があって私は毛利先輩の机の前から動かなかった。

「あのー…」
「なんだ」
「あのですね」
「なんだ」
「シャンプーって何使ってます…」
「早く行け馬鹿者!!」

怒鳴られてしまった。だってそのサラサラヘアーは羨まし過ぎる。秘訣を知りたいと思う私は間違ってはいないはずだ。

ただ、聞くタイミングを間違えたのだ。



先行き不安な人間関係
(凄く良い先輩達のハズなのに、なあ)






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