「痛ったぁー」
「ってぇー」

ギュルルルと明らかに自転車とは思えない音を立てた自転車は最後の最後で止まる寸前まで速度が落ちてくれたらしく、自転車から投げ出されたものの思っていたより全身の痛みは軽い。
不幸中の幸いとは正にこのことだ、と痛む肩を摩りながら倒れこんだ上半身を起こせば、片膝をついた状態で腕を抱えしゃがみ込むスーツの男性の姿が視界に飛び込んできた。


「あぁ!すっ、すみません!!大丈夫ですか!?お怪我は…」

「てっめぇ、何処見て走ってやがんだクソ女!」


必死で謝って怪我はないかと問いかけようとした私の言葉を遮って相手の男性が口にした台詞は予想もしなかった暴言で…私はポカンと口を開けたまま呆然と固まってしまう。
そこへ追い討ちをかけるようにスーツの男性はさらに怒鳴り始める。


「shit…!ふざけやがって…何で俺がこんな目に」


立ち上がってスーツについた埃を払う彼は、心底迷惑そうに眉間にしわを寄せ私を見下げるかたちで睨みをきかせた。
自分が悪いのだと全身全霊で謝る姿勢でいた私だが、そこまでされてはその気も失せるってものだ。
よくよく考えれば後方確認もせずに車から降りた彼にだって少なからず非はある訳だし、そこまでミソクソに言われる筋合いはない。
辺りを見回せば自転車は投げ出されボコボコに大破していて、その籠に入った卵やその他もろもろは勿論無事なわけがない。
それもこれも全てこの男が急に飛び出てきた所為なのだと思い返せば、なんとも言えない悔しさが込み上げてくる。
そして…車の扉をバタンと閉めてその場を立ち去ろうとした彼の捨て台詞のその一言に、私の何かが爆発した。


「ったく、これだから時間に追われるように生きる貧乏人は嫌だぜ」


貧乏人?貧乏人だと…!?
ぶつかってコッチが必死で謝ったってのに聞きもしないで全部私が悪いみたいな態度とって暴言吐き散らかした挙句、貧乏人呼ばわり?
確かに良く見たらこの車はものすごい高級車だし、着てるスーツもみるからに高そうだけど、だからって初対面の他人のこと貧乏人って…


「ふっ、ざけんな…!!黙って聞いてれば好き放題言いやがって、調子に乗んのも大概にしろっての!挙句の果てに人のこと馬鹿にして!アンタいったい何様?大体ね、後方の安全も確認しないで突然ドアをあけたアンタにだって非はあるんだから!」

「Ah?」

「それに、台無しになった卵はどうしてくれるつもり!?アンタの所為でひとつ残らず割れてるじゃない!!」

「Ha、卵が割れただと?んなもん幾らでも弁償してやるよ」


怒りと勢いに任せてそこまで一気に捲くし立てると、肩越しに振り返った彼は嫌味な笑みを浮かべてそういうと財布を取り出し、私に壱万円札を一枚差し出した。


「はぁ?そういう問題じゃないでしょ!?謝んなさいよ!!」

「だから弁償するっつってんだろうが、いちいち煩え女だな。貧乏人の癖にプライドだけは高いってか?」

「〜〜っ!!金さえ払えばいいってもんじゃないでしょ!アンタ、人としての大事なモンが足りないんじゃない?」


あくまでも私を貧乏人と馬鹿にする彼には、もうこれ以上何を言ったって無駄なのだと悟った。急いでいるのにこんな非常識な人間に私の時間を費やすことは無意味だ。
あんまり腹が立ったから去り際に割れた卵でも投げつけてやろうかと思ったくらいだが、卵がもったいないのでやめておこうと思いとどまった。
思ったとおりパックの中で惨事が起きてはいるが、きっと殻を取れば何かに使えるはずだ。
そう思った私はせめて卵のかわりとばかりにキッと彼をひと睨みしてクルリと背を向け、大破した自転車を引きスタスタと足早にその場を後にした。








「なんなんだ今の女は…」

高級車の横に立ち尽くし、足早に遠ざかる女の後ろ姿を唖然とした表情で眺めながら男はそう呟く。

「どうされましたか、政宗様!?」 


用事を済ませたのかそこへ駆けつけた彼の秘書が慌てたように声を掛けるが、当の本人は面白いものを見つけたような笑みをひとつ浮かべて何事もなかったように車へと乗り込んだ。


「いや、なんでもねえ…ha,珍しい女がいたもんだぜ」   






予測不可能な敵
(この男との出会いがこれからの新生活に大きく関わってくるだなんて、まだ知る由もない)






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