腹に響くような轟音だった。ガシャン、とか、ドガン、とかよく漫画で使われているような効果音が浮かんでくるけれど、そんな一言では表現出来ないほどの爆発音。

「今の、なんだろう」

 さすがに異常事態だと思ったのか、久遠は表情を強張らせていた。「さぁ、」と相槌を打ったが、喉が渇いていて変な掠れた声を出してしまった。手汗がじんわりとにじむ。何故だか俺は、非常に嫌な予感で胸がざわめいていた。
「二人は大丈夫かな」久遠はそう言って立ち上がる。俺もそれに続き、逸る気持ちを抑えきれずに足早に階段を駆け下りた。

「おい、秋緋――」

 リビングを見ても、秋緋と久瑠の姿はなかった。くちゃくちゃに皺が寄ったタオルケットを掴み、「まだ暖かい」と久遠が神妙な顔つきで言った。「もしかして……」


「あ、あ、あぁあ、っ――ああああああァあああああああアアああああああぁあああああ――!」


 子供の、悲鳴だ。耳を劈くソレに俺と久遠は目を見開いた。どくどくと心臓が脈打つ。秋緋。秋緋に会いたい。いつもみたいに笑ってどうしたの、って聞いてほしい。いつもみたいに、いつもみたいに――。
 けれど、玄関を開いた俺の目に飛び込んできたのは、『赤』だった。

「あ、あ、あ、あ、あぁ、ああァア、目が、めがないッ、あ、あ、あ顔、あ、あき、く――っあ、ぁめ、め、目、メ、目が、ぁああああああッ!」
「久瑠!」

 久遠は錯乱しきった久瑠へと裸足で駆けていった。ぴちゃぴちゃと赤い飛沫が舞う。なんだ、あれ。雨でも振ったのか。違う。雨は赤くなんかない。じゃあ、あの赤い水はいったいなんだ。

「秋緋、秋緋! しっかりしろ!」
「あ……?」

 トラックだったものが視界に映る。壁に突っ込んだそれは、ぺしゃんこに潰れていて、瓦礫にまみれて煙を上げていた。近くに横たわるように蹲っているものが見えた。真っ赤だ。ちがう、あいつのかみはもとからあかかった。なのにいまは、かおも、からだも、あかくて――。
 あれは、秋緋だ。

「あ、あ、あき、あきひ、秋緋ッ!」

 もつれる足を懸命に動かし、転びそうになりながらもどうにか秋緋の元に辿り着いた。ツンと鉄の匂いが鼻を刺すようだった。
「何やってんだ、早く人を! 救急車を呼べ!」――久遠の声なんか聞こえていなかった。俺は「おい……」と小さく秋緋の肩を揺すった。「おい、」何の反応もない。「秋緋……!」右半身が、顔が、赤黒く染まっていてどんな状態になっているかと想像するだけで吐き気が込み上げていた。薄く開いた左目が、ピクピクと動いている。だが焦点は定まっていない。

「おい、雹――クソッ! 僕が救急車を呼ぶ! 久瑠を頼んだぞ!」

「え、あ……」俺の胸に押し付けるように、久瑠を渡された。俺よりもずっと小さな体は可哀想な程震えていた。こんな光景を目の当たりにしたんだ。当然だろう――ようやく頭が冷静さを取り戻したときだった。ぽつり、と久瑠が引きつった声で呟いた。

「ごめんなさ……わた、わたしが、あきくんをつれてきちゃったから……こんな、こと、に……」


 俺は耳を疑った。――今こいつ、なんつった?




***




 あんな悲惨な事故によもや自分が立ち会うことになるとは夢にも思わなかったが、人間追い込まれると逆に冷静さを取り戻すらしい――いや、僕だけかもしれないけれど。僕は深呼吸をした後、受話器をとった。「はい、そうです。――地区の。はい……はい


 その後数分で、救急車が到着し、秋緋に応急手当を施した。僕達は一緒に救急車に乗せてもらうことになり、僕は未だ震える久瑠を抱えていた。雹は道中、一言も言葉を発さなかった。目の前で弟があんなことになったんだから仕方ない、と僕はそっとしておくことにした。
 だから僕は、雹がどんな目をしていたかなんて解らなかった。


 病院の看護婦さんから母達に連絡をしてもらい、一時間もしないうちに母は病院に到着した。母に気づいた僕は声をかけようとしたが、後ろに見慣れない人物を見つけて一瞬声をかけるのを戸惑った。
「リジー、」小さな声で雹が呟いたのに気づいた。どうやら彼らの家族だろうか?

「久遠、久瑠! 大丈夫!?」

 母は僕達に気づくと、真っ青な顔をして僕らを抱きしめた。「大丈夫だよ、でも久瑠が――」
「ああ、久瑠、可哀想に」普段は勝気に吊りあがっている眉はハの字に垂れ下がり、目には涙が溜まっていた。初めて見た母の姿に僕は少々驚いてしまい、なんとなく目を逸らした。
 逸らした先には雹と、「リジー」さんが言葉を交わしている姿があった。リジーさんは心配そうに顔を顰めて、集中治療室をじっと見つめていた。あそこには、秋緋がいる。
「久瑠ちゃんは大丈夫なんですか?」リジーさんが尋ねた。

「ええ、この状態ですが……傷一つないみたいで」
「それはよかった」

 リジーさんはほっとしたように息を吐いた。秋緋のことが心配で仕方がないだろうに、他人の子供まで心配してくれる優しさに僕はとても感動した。実際、久瑠は血だらけだったがそれは秋緋のモノで久瑠自体には何も傷がなかった。不幸中の幸いとはこのことだろう。だからきっと、秋緋だって――。

「お前、今、ホッとしたろ」

 聞いたことのない、刃物のような冷たさを含んだ言い方だった。
「……え?」僕は一瞬何を言われたのか解らず、唖然とした顔で雹を見遣った。雹は、まるで射殺すように僕を睨んでいた。

「とぼけんなよ。秋緋が死ぬかもしれねぇっていうのに、妹が無事だって知った途端ホッとしたろ」
「そんな、」
「うるせぇ!」

 久瑠がビクリと震える気配があった。母とリジーさんも、何事だと雹を見ている。僕も一変した雹の態度に困惑を隠せず、思わず口を噤んでしまう。

「こいつがあのとき秋緋を連れて行かなかったら、こんなことにはならなかっただろ!」

 ヒュッ、と誰かが息を飲んだ。あのとき? どういうことだ――思わず久瑠を振り返った僕は、目を見開いて固まった。「た、ただ、

おそとで、あそぼ、って」久瑠は唇を血が出そうな程に噛みしめ、目は血走ったように見開き、痙攣のように体を震わせていた。

「久瑠!」

 母がぎゅっと久瑠を抱きしめると、それを合図に久瑠の体から力が抜けた。どうやら気絶したらしかった。
 久瑠の言葉で、何があったかは大体察せられた。きっと久瑠が秋緋を外に連れ出そうとしたのだろう。こんなことになるとは思いもせずに。

「なんでお前の妹が無事で、秋緋がこんな目にあわなきゃいけないんだよ……」


 けれど、仕方ないだろう。


「……なんだよ、それ……」

 あまりにも身勝手な雹の言葉に、僕の中で何かがキレた。「なんで追い詰めるようなことをするんだ」

「あ?」
「まるで久瑠が事故にあえばよかったって言ってるみたいじゃないか」

 雹はぐっと唇を噛み締めて、僕からフイと視線を外した。まるで逃れるように。
「否定しろよ!」衝動に任せて殴った壁は、びくともしなかった。それが無性に、泣きたくなるほど悔しかった。
 僕は雹の襟首を掴んだ。やめろ、と静止の言葉が聞こえたが、敢えて無視をした。

「本当にそう思ってるなら僕は許さない! 冗談でも絶対に許さないからな!」

 ただ事ではないと察した母とリジーさんが、僕と雹を無理矢理離した。息を荒くする僕とは逆に、雹は俯いたままピクリともしなかった。それがさらに僕の怒りを煽った。けれどそれをぐっと堪えて、吐き出すように雹に向かって言葉を投げた。


「悪いのは、久瑠だけじゃない。……辛いのは、お前だけじゃないんだ」

 雹はリジーさんに促されてここから離れようと背を押されていた。

「どうしてそれが、解らないんだよ」

 自分と変わらない背格好なのに、そのときの雹の背中は、とても小さく、ぼやけて見えた。









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