▼ 私の方がまだ大人です
高校の卒業式を明日に控えた、まだ肌寒い日の夕暮れ。私はテニスコート前で恋人を待っていた。この見慣れた風景も、滅多に見ることはなくなってしまうのだと考えれば感慨深い。
冷たくなってしまった手を暖めるために手を擦り合わせていると、名前、と優しい声音で名を呼ばれた。
「寒い中待たせてしまってすまない」
長身で糸目の男子生徒がこちらに足早に向かってくる。私はゆるく頭を振った。
「気にしないで。もう此処も気軽に見られなくなっちゃうから、しっかり目に焼き付けてた」
そう微笑むと彼は、蓮二は複雑そうな顔をした。けれど何も口にせず、慣れた手つきで私の手をそっと握る。大きな手があたたかい。
それでは帰ろうか、と促されて静かに歩き出した。
「……やっと同じ高校に通えたかと思えば、次は大学か」
暫く歩いてから、蓮二が皮肉っぽく言った。
私と蓮二は恋人同士で、それなりに長い間付き合っている。けれど私は高校三年生、蓮二は高校一年生という所謂学生にはきつい、歳の差があった。同じ学年であれば、一緒に登下校も出来たし、もっと一緒に居る時間もあっただろうに。つまりは蓮二はそう言いたいのだ。今のこの距離感が丁度良いのだけれど、やっぱりそう思ってしまうのが人の性なのだろう。私も蓮二と同じ気持ちだ。
「でも蓮二もそのまま立海大に進むんでしょう? そうしたら今度は二年間一緒に通えるよ」
「それはそうなのだが」
軽く苦笑して、蓮二は私の方を向いた。自然に歩みも止まる。
「明日は卒業で忙しくなるだろうから、今日のうちに俺の願いを聞いてもらえないだろうか」
「お願い?」
聞き返すと蓮二は頷き、何かを企んでいるかのように口角を上げた。そして言うのだ、「お前からキスしてほしい」と。勿論私は驚きのあまり声をあげた。今までキスなんて、主に蓮二の方からしてくれていたし、そんなお願いをされたのは初めてだった。しかも人通りは少ないとはいえ、こんな道端で。
「そ、そんな「恥ずかしいよ、とお前は言う。今回は俺の我儘を聞いてもらいたいものだな」……わかったよ」
渋々了承すれば、蓮二は満足そうに微笑む。その笑みにつられて私も笑ってしまうのだから、全くしょうがない。
一息ついてから、彼のお望み通りキスしようと爪先立ちをする。蓮二は首が痛くなるほど背が高いので、こうでもしないとまともに出来ないのだ。けれどずっと爪先だけで立っているのはつらい、というか。
「……ねぇ」
「なんだ」
「どうして屈んでくれないの。私やりにくいんだけど」
そう、いつもは屈んでくれる蓮二なのに、今回に至っては棒のように突っ立っているだけだ。キスしてほしいんじゃないのか、この人は。
「俺だって屈んでばかりいては疲れるのでな。それに名前が俺にキスする為に、必死に背伸びをしている様子が可愛くてつい」
「からかってるの?」
「さあ、どうだろう」
「ちょっと、」
なんなんだこいつは。
私の方が先輩だというのに、こういう面では蓮二の方が一枚も二枚も上手にいるのが何だか悔しい。むむむと口を一文字に結ぶ。このまま背伸びをしてキスしてやるのは癪だ。かと言って、屈んでください、なんて言いたくもない。先輩として。
「蓮二」
「なんーーっ?」
だから、蓮二のネクタイをぐいーっと私の方へ引っ張ってやった。無理やりではあるが、こうすれば蓮二は不可抗力で屈んでくれる。顔が近づいた瞬間に、私は少しだけ足を浮かせて、彼の唇に口付けた。お互い寒さで微かに乾燥した唇だが、触れた部分からじんわりと温かさが伝わってくる。
「どう? これで満足したでしょ」
長くも短くもないキスを終え唇を離すと、私は蓮二に向かってふふんと鼻を鳴らした。やられたとでも言いたいような顔をして、彼は頭を掻く。
「いきなり引っ張るのはいけないな。……だが、願いを叶えてもらったのだから良しとしよう
……少し早いが、卒業おめでとう、名前」
ちょっぴり寂しそうにしながらも、祝いの言葉をくれた蓮二に胸が小さく鳴った。ありがとう、と返事をすれば、今度は彼からキスをくれた。
私の方がまだ大人です
甘くて、大人なキス。
ちゃんと私の背に合わせて、屈んでくれていた。
年上彼女と柳さんのお話が読みたいとリクエストさせてもらいました。
柳さん格好良すぎてニヤニヤしながらもだえてしまった。
少し意地悪なのに最後はちゃんと屈んでくれるとことか最高ですね!
茄子ちゃん、本当にありがとうございました!
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