01


四魂の玉――それは持つ者に力を与え、願いを叶えるとさえ噂される不思議な玉。渦巻く光と闇を、その内に秘めるもの。

そんな不思議な玉にある時、一筋の大きな亀裂が走った。それは瞬く間に玉全体を蝕むように枝分かれ、玉を深く大きく覆ってしまう。次の瞬間、耐え切れなくなった玉は砕けるようにその身を破裂させ、太陽よりも強く眩い光を閃かせた。それに伴うよう、青空にいくつも広がる流星群のような小さな光。無数のかけらとなってしまった玉は、誰にも止められることなく四方八方各地へと散らばったのだ。

散り散りになるかけらが各々身を落として行く中、そのうちの一つは勢い衰えることなく深い樹海の中を突き進む。しかしそれもやがて、カッと激しい光を放って止められた。正面に立ちはだかる樹へぶつかったらしい。
それはどこか人のような形にも見て取れる、不気味な樹。まるでかけらが心臓となるようにその樹へ宿った直後、樹はかけらの妖力によって人のような形をよりそれらしく変貌させ始めた。形だけではない。樹皮さえ、人らしい質感へと変えていく。


「……」


みるみるうちに人間と相違ない姿へ変わり果てたそれは、まるで蛹から羽化するかのように粘質の糸を引きながらズルッと流れ出る。生まれ落ちた、そんな言葉が相応しいだろう。男はわずかに体を起こし、額にある二本の濡れた赤い触角を奮い立たせた。そして意識の覚醒を表すかのように、赤く大きな目を張り裂けんばかりに見開いた。


「ぐおおおお!! おおおおっ!!」


不気味に光る瞳を空へ向け、男は自身を奮い立てるように咆哮を上げる。それに伴い足元から眩い光が放たれると、共に溢れ出した禍々しい妖気が瞬く間に男を包み込んだ。

そこへ集う無数の小さな影。どこからともなく現れたそれは忙しなく羽ばたく蛾で、そこに立つ男に付き従うかのように一心に周囲を飛び交っていた――



時代を越える想い




蓮が浮かぶ水面に鋭利な三日月が映る。星々が煌めくそんな夜更けに、この湿地を歩く白い人影――殺生丸の姿があった。従者を連れることもなく、ただ静かに歩みを進めていた彼だったが、不意に光る鱗粉を散らしながら視界をよぎった一匹の蛾に足を止めた。否、足を止めた要因は、蛾と共に現れた何者かの気配だ。それに首を向ければ、倒木に立つ二人の女が殺生丸を真っ直ぐ見つめている。


「私になんの用だ?」
「…殺生丸さま…」
「牙をいただく…」


静かに、だが明確な敵意を持って吐かれた女たちの言葉。殺生丸はそれに「牙…?」と呟いては自身の腰へ視線を落とした。牙と言えば、父親の牙から作られた刀――天生牙のことだろう。迷うことなくそれを察しては、なにかを企んでいるらしい女たちに小さく眉をひそめた。
次の瞬間、二人の女は殺生丸へ駆け出しながら手にした木の葉を輝かせ変化させた。一人は双剣を構え、もう一人は長槍を手に殺生丸へ迫る。
しかし殺生丸はそれに顔色ひとつ変えなかった。女たちに向き直ると同時に光る爪をス…と掲げ、迫りくるそれらへ躊躇いなく光の鞭を振るってみせたのだ。ただ静かに、一振りで伸ばされた鞭は傍を跳んでいた蛾さえ散らし、二人の女を一瞬で薙ぎ払ってしまう。

一撃だった。光の鞭をしまい、女の長槍が地面に刺さる頃には最早蛙の鳴き声しか聞こえないほどの静寂が一帯に満ちる。殺生丸は呆気なく散った女たちに一切目をくれることもなく、ただ静かに、何事もなかったかのように淡々と歩みを再開させた。

――やがてその姿が遠く見えなくなる頃、無残にも散らされた蛾の死骸が浮くその下で一匹の鯉が緩やかに水面を揺らした。


「違う…あの牙には破壊の“気”が感じられぬ…今二つの牙を探すのだ!」


どこかで上げられた男の声。それが女たちに届いたのか、力なく転がる二人の額に備わった勾玉が光を灯し、生気を失っていたはずの瞳に再び鮮やかな色が戻った。

それを離れた場所で感じ取る男はただじっと、目の前の巨大な爪の下から漏れる不穏な光を見つめていた。


「この封印を打ち砕く強力な牙…鉄砕牙を…時を支配する牙…燐蒼牙を!!」



* * *




「そもそもあの御神木の由来はな…」
「二人とも、味噌汁冷めるわよ」


朝食の最中、草太へ懸命に由来を語る祖父の声に被せたのはかごめの母だった。それを向けられたのは彩音とかごめ。二人は先日この時代へ帰ってきて今日戦国時代へ戻る予定なのだが、今は朝食も食べずに忙しなく弁当の準備に勤しんでいた。


「彩音、こっちお願いしていい?」
「うん。やっとく」


かごめから菜箸を渡されると彩音は入れ替わるように立ち位置を変え、火に掛けられた魚の切り身をひっくり返す。対するかごめはこれから玉子焼きを作るようで、隣に玉子焼き用のフライパンを置いては迷いなく火に掛けた。

弁当を作っていこうと言い出したのはかごめだ。そのおかげか彼女は明らかに彩音よりも張り切っているようで、その姿を見つめる彩音はあまりの忙しなさにわずかな不安をよぎらせていた。


(かごめ…張り切りすぎて怪我しなきゃいいけど…)


彼女の落ち着かない動きにどうしてもそんな心配をしてしまう。だがかごめはそんな視線に気付くこともなく用意を進め、彩音の隣で大きなボウルに卵を割り入れていた。
料理の経験があるという彼女のことだ、心配しなくてもきっと大丈夫だろう。どこか言い聞かせるように胸のうちでそう呟くと、ふとかごめの祖父の声が大きく聞こえた気がした。どうやらずっと興奮気味に御神木の話をしているらしい。


「御神木、なにかあったんですか?」
「それがな、実に五百年振りに花芽が出たんじゃ!」


ぐっと身を乗り出すように言ってくる祖父は本当に嬉しそうで、先ほど語っていた由来を再び一から話し始めていた。何度かそんな姿を見てきたが、本当に由来を話すことが好きなのだろう。そう思わされる姿に彩音はついくす、と笑みをこぼしてしまうが、隣のかごめは祖父の話に全然興味を持とうともせず「ママ、お砂糖どこだっけ?」と振り返った。


「窓のところよ」
「かごめ、それじゃない?」


窓際の隅に置いてあるそれを指差せば、「これね!」と声を上げたかごめがすかさずそれに手を伸ばす。やはりなんだか慌ただしい。その様子に彩音はまたも心配をよぎらせてしまうが、ふと時計を見れば少し時間が押していることに気が付いた。思ったより時間を掛けてしまっているらしい。これでは犬夜叉たちも待ちくたびれているはずだ。そう思うと彩音も早く済ませようと意気込み、焼いていた魚の切り身を弁当箱へ移した。


「二人とも、手伝わなくて平気?」
「はい、私は全然…」
「大丈夫! 玉子焼きなら任せて!」


彩音に視線を向けられたかごめは自信満々に返しながら、砂糖を加えた溶き卵をさらにかき混ぜ始めた。その様子にかごめの母が「フライパン、温めすぎないようにね」と助言してくれたのだが、どうしてか彩音にはその言葉に引っ掛かりを覚えてしまう。というのも、さっきからずっと玉子焼き用のフライパンがずっと火に掛かけられている気がしたからだ。しかも火に掛け続けているだけで、まだなにも手を付けられていなかったはず。
それを思い出してはっと振り返った時、「分かってる分かってる!」と上々な声を返すかごめはすでにフライパンへ向けてボウルを傾けていた。


「かごめっ、まだそれ油引いて…」
「あ〜っ!!」


慌てて忠告しようとするもすでに手遅れ。容赦なく溶き卵を流し込まれたフライパンからは途端にジュウウ…と激しい音と湯気が立ち上り、ただでさえ慌ただしかったかごめが一層慌て始めた。それには彩音も釣られるように慌て、すぐさまフォローしようとバタつく。

そんな落ち着きのない二人を余所に、かごめの祖父は変わらず草太へ御神木の由来を語り続けていた。


「今を去ること五百有余年、我が日暮神社の開祖であらせられる巫女さまが…四魂の玉を奪った邪悪な半妖を、あの御神木に封印したのが始まりじゃ」


ふと聞き覚えのある話に彩音は手を止めてしまう。それはかつて犬夜叉と桔梗が奈落の罠にはめられ、共に望んでいなかった結末を迎えてしまった話。だが奈落が関わっていたなどという話を知る人間はひどく限られており、傍目から見た情報だけがこうして語り継がれているのだろう。
それを感じてしまいながらやるせない気持ちを抱えているとかごめがなんとか玉子焼きを仕切り直し、背後では祖父がどこか弾んだ声で続きを切り出した。


「それ以前までは毎年この季節になると、御神木には花が咲いておったそうじゃ。しかし、その邪悪な半妖が封じられてからというもの、一度も花を咲かせたことはないという話じゃ…どうじゃ、タメになるじゃろう」
「じゃあ、彩音が犬夜叉の封印を解いちゃったから、お花が咲くようになったってこと?」


ようやく出来上がった玉子焼きを切り分けるかごめが一つ一つ弁当箱へ詰めながら言う。その声に彩音が“私?”といった様子で目を瞬かせると、なにやら満面の笑みを浮かべたかごめが向き直ってきた。


「彩音、エライっ!」
「えっ、あ…ありがとう…?」


突然褒められるとは思ってもみなかったため、勢いに飲まれるように呆然とお礼を呟く。しかし封印を解いたのはやむを得ない状況だったからというだけで、彩音が自発的に望んでそうしたわけではない。だからこそ褒められていいことなのか分からず、つい困惑するように小さく首を傾げてしまっていた。
それでもかごめは覆すことなく微笑みかけ、再び用意したおかずを片っ端から弁当箱へ詰め込んでいく。そして――


「できたっ!」


途端に、嬉しそうに弾んだ声を上げた。それにはみんな身を寄せ合い揃って弁当箱を覗き込んでいく。彩音もそれに倣って見てみると、弁当箱の中には二人で作った料理がバランスも彩りも良く見えるよう綺麗に並べられていた。おかずは唐揚げや玉子焼き、タコさんウインナーなど他にも様々。しっかりと詰め込まれるそれらのおかずに我ながら感動していると、同様にかごめの母が明るい声を上げてくれた。


「あら、美味しそうに出来たじゃない」
「でしょ、でしょう?」
「あとはみんなが食べてくれるかどうか…」


かごめが自慢げに笑む隣で彩音も誇らしい気持ちと少しの不安を抱える。なぜならここにあるものは戦国時代にないものばかりだ。もし怪しんで口にしてくれなかったらどうしよう、などと考えてしまうのも仕方がない。だがここにいるみんなはとても笑顔で、横から身を乗り出した草太も期待に満ちた輝かしい目を向けてきていた。


「すごいぞ、二人とも!」
「あげないわよ!」
「心が狭いぞ…」
「草太、最近ナマイキっ」
「ごめんね、草太くん」


草太へ厳しい目を向けたかごめがすぐさま弁当に蓋をして包んでしまうのに続いて彩音が苦笑を浮かべながら謝ると、二人はようやく用意されていた朝食に手を付け始めた。

やがてそれも早々に済ませると、彩音は壁に立てかけていた燐蒼牙を腰紐に通す。同時にかごめが弁当箱を詰めたリュックを手にし、互いの顔を見合わせて頷き合う。準備完了、それを目で伝え合った二人は足並みを揃えて玄関へ向かった。


「「行ってきまーす!」」


同時に高らかな声を上げた二人はそれに返る言葉も待たずして玄関を飛び出していく。もちろん向かう先は日暮神社の境内にある、隠し井戸の祠――

そこにある井戸は、彩音が怪奇現象の末にタイムスリップしたのと同じ日に、かごめが百足上臈という妖怪に引きずり込まれて同じくタイムスリップしてしまったという井戸だ。以来この祠の井戸は“向こう”と通じるようになり、二人はそれらを自由に行き来することができるようになっている。

そして今日もまた、そこへ向かう。二人は広い境内を駆けて抜けて隠し井戸の祠に辿り着くと、古びた木の匂いを感じながら小さく軋む階段を駆け下りた。


「彩音、忘れものはない?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ行くわよ」
「「せーのっ」」


声を合わせた二人は井戸の縁に足を掛け、同時にその中へ飛び込んでいく。深く長い井戸に落ちる風を感じるのも束の間、二人は眩い光に包まれながら不思議な浮遊感にその身を委ねた。

向かう先は、五百年前の戦国時代――

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