05 神様は意地悪だ|燈治
身体の芯まで冷えてしまうような、そんな夜だった。

見上げた月は綺麗で、冴え冴えとした空気の中でぽかりと浮かんでいる。
眠れずについ足を運んでしまった学校の、忍び込んだ屋上はとても寒かった。

いよいよだ。
夏の洞に仕掛けられていたギミックは全て解いた。
必要なものも、装備も、全て揃えてある。
あと一枚扉を開けば間違いなく最終局面を迎えていただろう。

しかし、そこで絢人が一時の休息を申し出たのだ。
焦る気持ちは分かるがここまでくればもう敵は目前だ、一晩くらいは心静かに過ごそうじゃないかと提案した絢人の心遣いに感謝しながら、千馗はぼんやりと空を眺めていた。
絢人は気づいているだろう。
この花札と執行者の因果関係を知ったときに、恐らくは全て。
末路がどうなったか知られていない歴代の執行者。
考えれば最初から答えは見えていたのだ―――見ないふりをしていただけで。

(……でも、俺でよかった。雉明や武藤じゃなくてよかった)

運命の分かれ道はあの時だったのだろうか。
同時に試験を受けた二人を思い、千馗は胸を撫で下ろす。
自分が消えてしまうことに、命を失ってしまうことに不安はない。
ただこの場所に残されてしまう人たちのことを思うと胸が苦しかった。

(…燈治)

その中でもとりわけ、燈治が傷つくことが嫌だった。
きっと燈治は怒るだろう。
約束を破るであろう千馗を、一生許さないかもしれない。

(それでもいい)

立てた膝に顔を埋める。
涙が出そうで出なかった。

(燈治が、生きて、この世界でまたいつか笑ってくれるなら)

死を目前に気づきたくなかった感情がぐるぐると身体中を巡る。
ぎゅっと膝頭に額を押し付け、痛む目の奥の熱を逃がそうと白い息を吐いた。
直後聞こえた、ギイ、と静寂を切り裂く鈍い音は想像するまでもない。
ああやはり、来てしまったのか。
千馗は頭を伏せたままで足音が近づいてくるのを待った。

「…考えることは同じだな、千馗」

ぽす、と頭に触れる手のひらは大きくて少し硬い。

「眠れなくてな。落ち着かねえっつーか…またお前が変なこと考えてんじゃないかって思ってよ」

無骨な指の間を、黒い髪がするりと滑り落ちる。

「千馗。絶対に死ぬなんて思うな。お前がいない世界なんて、俺は絶対に嫌だ」

え、と思う暇もなく、背中に暖かさを感じた。
顔を上げた千馗の、そのすぐ横に燈治の頭があった。
後ろから抱き締められていると気づいて慌てて顔を前に向けると、燈治の額がぐりぐりと千馗の肩口に擦り付けられる。
どうするべきかと考え―――千馗は恐る恐る手を伸ばしてその頭をくしゃくしゃと撫でてやった。

「……燈治」

ごめん、と続いた言葉に、燈治の腕に力が篭る。

「謝るなよ。俺はまだ諦めてねぇんだ」
「…うん、ごめん」
「……千馗」
「俺だって、お前がいない世界なんて、嫌だ」

燈治が動く。
持ち上がった頭が、こつりと同じように触れ合う。
白い吐息が混ざり合って夜の闇に流れ、ただただ時間だけが過ぎていき―――、やがてそれもふつりと途切れた。

燈治の唇は思っていたよりずっと柔らかくて、ミントの匂いがすることを、千馗は初めて知る。
歯磨きをしたのだろうか、それともガムを噛んでいたのだろうか。
どこか現実離れしたままそんなことを考えていれば、背中から回されていたままの手が千馗の顎を持ち上げ、再度燈治の唇と重なった。

「っ、と…」

とうじ、と呼ぼうとした千馗の口腔に生暖かいものがぬるりと入ってくる。

「…、…ぅ」

流されたくはないのに、燈治の存在が理性を掻き消してしまう。
一層強まった腕の力は振り解くことも出来ず、かといって縋りつくのは女々しくて嫌だった。
膝の上でぎゅっと拳を握り、嵐のような時が過ぎるのを待つ。
明日には消えてなくなる命とはいえども気持ちが向かう先を変えることは出来そうもない。
諦めのつかない感情がひたひたと胸を濡らす頃、はあ、と溜息にも似た息を漏らして燈治の唇が離れていった。

「………」

唇と同じくらい濡れた瞳が月の光を弾いている。
何かを言わなくてはと開いた口は戦慄くだけで言葉にならなかった。
今、燈治に何が言えるだろう。
何を言おうとしているのだろう。

助けて?好きだ?死にたくない?

―――否、ごめん、だ。

「俺は諦めねえからな。…絶対にだ」

恋をすることがこんなにも切なく苦しいことだということを知るのが今日で良かった。
唇を引き結んで屋上を立ち去った燈治の影を瞼の裏で追い掛けながら、千馗はそっと右手の甲を撫でる。

諦めた未来のその先に、燈治の明日があるのだ。


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