10 fang|絢人
こういうのを「平凡」と言うのだろうか。

聞いていた通りいつの間にか特殊な力は消え、今はもうただの平凡な人間になっている。
残り香はいつしかなくなるもの。
それは力のことだけではなく、人間も同じだ。
確かにあの場所にいたはずの七代千馗の残り香が今となっては思い出せない。

駆け抜けた短い季節と、生涯忘れられぬ出来事の数々―――。
流されるままに生きてきた絢人を根本から突き崩し、揺さぶり、動かした初めての人。
千馗は秘法眼という特殊な目を持ち、生まれながらにして特殊であることを義務付けられてしまったにも関わらず、常に笑い、常に前向きで、決して悲観したりしなかった。
千馗のことを思えば自分が抱えていた葛藤など大したことではなかったのだと、何となくだが思うことが出来るようになっていた。
これも全て千馗のおかげだと言わざるを得ない。

(やれやれ…こんな殊勝な性格ではなかったんだけどね)

やはり、絢人を変えたのは千馗だ。
千馗の生き様、そして千馗自身が絢人の色んなものを刺激し、変えていく。
きっとそれはこれからも変わらないのだろう。
どれだけの月日が流れても、絢人の中には七代千馗という存在が色濃く残っているのだから。

「絢人、お前に客だ」

澁川の声に意識を浮上させ、絢人は手にしたままだった珈琲カップをソーサーに戻した。
情報屋としての仕事は今でも続けている。
辞めるつもりはなかった。
この仕事をしていればいつかまた千馗に会えるかもしれない。
そんな淡い期待があることは否めなかったが―――。

「……久しぶり、絢人」
「…か、ずき…くん?」

入り口を振り返った絢人の目に、懐かしい顔が飛び込んでくる。
高校を卒業し、封札師の仕事に就いた千馗はいつの間にか行方知らずとなっていたのだ。
言えば別れがつらくなるというのが千馗の言い分だったが、仲間の誰もがそれに反対をしていた。
燈治は胸倉を掴んで怒鳴ったとも聞いている。
しかし千馗は宣言通りある日突然行き先も告げずにふらりと消えてしまった。
同時に白も、零も、姿を消した。
彼らだけは千馗とともに在るのだと知った瞬間、やはりと思う気持ちとは別に胸に痛みを抱えたのは絢人だけではないだろう。

その千馗が目の前にいる。
あの頃ずっと見ていた学生服ではなく、初めて見る私服に身を包んでいる千馗だ。
絢人もあの頃着ていた制服ではない。
髪も伸び、身長も少し伸びた。
千馗も少しずつ違っている。
だが、間違いなく千馗だった。
ガタ、と椅子を鳴らして立ち上がった絢人に、千馗は人懐こい笑みを浮かべた。

「うわ、何か絢人格好よくなってる?うわー、うわー背高ぇ!180越えた?」

以前と変わらぬ口調と、見るものの心を柔らかくするような笑顔。
本物だと身体に染み入るような気持ちで思う。
思わず広げた両手の中、絢人は無意識の内に千馗を閉じ込めるようにして抱き締めていた。

「…千馗、くん」

初めて抱き締めた身体は思っていたよりずっと硬く、細かった。
食べても太らないのだと言っていた通り、あれだけ過酷な任務をこなしているわりにはしっかりした筋肉などどこにもない。
身長もいまいち伸びそこなったのか絢人との差は開いたようだ。
細かい差異を確かめながら絢人は細長く息を吐き出した。

「絢人…お前、人前で恥ずかしくないのかよ」
「恥じることなど何もしてないよ。友人との再会…抱擁。それだけじゃないか」

呼吸するたびに身体に満ちる、千馗の存在。
思っていたよりずっと渇望していたのかもしれない。
絢人は目を閉じて暖かな体温をじっと感じていた。

「…相変わらずだなあ」

はは、と苦笑する千馗こそ相変わらずだ。
背中に回された手がとんとんと絢人の背をあやすように叩いている。
その心地よいリズムに絢人は閉じていた目をゆるりと開いた。

「そうかい?…僕は変わったと思うよ。変えたのは君だけど」

腕を解く。
開いた距離を少しだけ惜しみながら、絢人は微笑んだ。
千馗は何も分かっていない。
無知は罪だが、教えればいいだけの話だ。
何に対しても無関心だった絢人を、これほど縛り付けてしまったのだと。
全ての根底を鮮やかに覆したのは千馗だということを、きちんと分かってもらわねばならない。

「―――この僕を惚れさせた代償はいずれきちんといただくよ」

一度知ってしまったこの気持ちを、今更なかったことには出来ない。
意味が分からず首を傾げる千馗に、絢人は穏やかな笑顔の裏側でそっと爪と牙を研ぎ澄ませた。


prev next

bkm
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -