サトウ×チナミ
チナミルートネタですが、それとは別次元な世界での話だと思ってください。
今回はえろなし。















変化とは突然訪れるものだと、私は身をもって知っていた筈なのに。




『チナミくん、記憶喪失みたいなの。』

ゆきからそう伝えられたとき、私は小松殿か都あたりが提案した、趣味の悪い、ただの冗談だと思ったのだ。そう思い込んでおきたかったのだ。


その少年はチナミにしか見えなかったが、同時にチナミであるとは思えなかった。

「…微力ながら、私も記憶を取り戻すのに助力します。一緒に頑張りましょうね。」

「サトウ殿、ありがとうございます。ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。」

確かにからかいの色を孕ませたはずの言葉に、そう返したチナミの瞳は澄んでいて、私への反抗的な色など欠片も見えず。彼は、私をこんなにも素直な瞳で見上げるような少年だったか。そうではなかった、はずだ。

そこから先の会話をいつも通りに乗り切った後は(今思えばあまり記憶はないのだが)、ひたすらに夜を待った。夢を連れてくる夜が、この悪夢を壊してくれるのではないかと期待して。けれど当然、日が沈み数刻を待ったところで、チナミの様子が変わったと言う知らせが届くこともましてや彼が尋ねてくることも無かった。
当然だ。今の真っ白な彼はつい先日までの、狂気の沙汰だと言われても可笑しくないような関係のことなど知る由も無いのだから。それでも夜が深まるにつれ熱を持て余す、自分の浅ましい身体には思わず苦笑が零れた。

足りないのだ。大切なものが欠落してしまったような喪失感。――その時にやっと気付いただなんて酷い話だが――私は確かに、彼に、溺れきっていたのだった。そこにあるべき情のない関係でさえ、かけがえなく感じる程に。


だから私は、それがどんなに愚かなことか知っていながら。それでも抑えきれない衝動のまま。


***


「う、嘘です、そのようなこと…!」
「酷いですね。…記憶が無いとはいえ、その様なことを言われては悲しい。」

恋人に、そんなことを言われるなんて。

その言葉に、チナミが俯く。


『チナミくん。君は、私の恋人だということも忘れてしまったのですか?』

人気の無いところへ彼を連れ出し、真剣な面持ちで切り出したその言葉は勿論真っ赤な嘘だった。けれど彼にはその真偽を確かめる方法などない。
一番簡単な方法だ。この機を利用して彼を手にしたいと考えるならばすぐに思いつく方法。良心が感じる痛みなど、もう随分前に麻痺している。


「…愛しています、チナミ。もう一度この想いが通じ合うことは、無いでしょうか…?」

想いなど、一度も通じたことはないのに。初めて口にした愛の言葉に、何を今更、と思わずにはいられない。
頭の中でうずまくのは自嘲的な思いばかりだというのに、自分が真摯な体を装えていることには自信があるのだからどうしようもない。

「サトウ殿…。」

彼は戸惑いを隠しきれぬようで、きょろきょろと視線を動かしている。そして暫し考え込むような素振りをしてから、ゆっくりと口を開いた。

「出来るならば、思い出したいです。サトウ殿と想いを通わせていたというのなら、それを忘れてしまっている俺は最低だ…。しかし、どうしても思い出せないのです。代わり、と言うのかは分かりませんが、その。サトウ殿と恋人になるというのは、どんなことをすれば良いのでしょう。」

俯いたその顔の表情は分からず、けれど紅く染まった耳を見れば彼が気恥ずかしさに耐えているのは明白で、想像することしか出来ないのが酷く残念だ、と思った。しかしそれでもこの頬が緩むのは、あと少しで彼が陥落することを確信したからだろう。

「どんなこと、ですか?…そうですね、ではとりあえず、以前のようにくだけた口調で話してくださいますか?私のことはサトウ、と。」

「わかりまし…わかった、サトウ。…これで、いいのか?」

「ええ、大変結構ですよ。」

「サトウは、そのままの口調か…?」

「私のこれは、癖といいますか勉学の結果といいますか…。とりあえず気にしないでください。それよりも、他に恋人らしいことはして頂けないのですか?」

「…な、何をすれば、いいんだ?」

分かり易くうろたえた彼の耳元に口を寄せて、低く囁く。

目を瞑っていてください。…意味は、分かりますね?

途端に彼の頭はその紅い髪の毛と並んでも引けをとらない程真っ赤に茹で上がり、私と目は合わせずにこくりと頷いてから、眼を閉じた。
―――この唇に触れてしまえば、もう戻れないのだ。折角抜け出したと思われた歪んだ関係を、更に悪化させるだけ。
刹那的によぎったその思考にどうしようもなく動揺して、悪寒が走った。
掌を握りしめてその微かな震えを抑え込み、そのまま彼の顎に添える。彼がぴくり、と反応したのが分かった。

(今更怖気づくなんて、そんなこと出来る筈もない。)

そうして、ゆっくり顔を近づけ、唇を合わせる。十分に感触を分け合って、名残惜しげに離す。

閉じていた瞳を開けて焦点の合った視界に飛び込んできたのは、真っ赤な顔のまま、しかし今にも泣き出しそうな顔のチナミだった。それは予想の範疇とは、とても言えず。

「…っ、やはり、嫌、でしたか?」

慌てを取り繕いきれずに発した言葉に、チナミはぶんぶんと顔を横に振った。

「ち、が!違う、そうじゃない、嫌じゃない…しかし、胸がじくじくと熱を持って痛いんだ。苦しい。…すごく、嬉しくて、どうにもならない。あなたのことを覚えてはいないが、それでもこの身体が、あなたを好きだったと覚えているのが分かるんだ。」

終にはぼろぼろと零れ落ちる玉のような雫を眺めながら、奥歯を噛み締める。そうしなければ自分まで泣いてしまいそうで。その涙が嬉しさからくるものか、それともこんな手段で彼の気持ちを知り、手に入れたことへの悔しさからくるものかは分からないが、おそらくその両方なのだろう。

(純潔の乙女でもあるまいし、初めてのキスに何をこれほど拘っているのか。)

未だ泣き止まない彼の頭をゆるりと掻き混ぜながら、心を落ち着かせようと静かに瞳を閉じた。





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悪いことはしているけど、悪いひとでは無い。そんな感じが伝わっていればいいんですが。

110417

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