snow mellow(美風藍) 1/2

The whiteout confuses us. In a cloud and snow of all over the area, we should walk towards wherever.


「オーバーヒートを起こしたようだ。回路を飛躍的に使い過ぎたりすると一時的に起こるものでね。それが原因で少し故障したらしい」
目の前の白衣を着た若い男が言った。
手術室のような部屋だった。見慣れない機械が中央の台を取り囲むように配置されており、床には大小様々な管がいくつも蛇のように這っていた。
その中央の台で、事務所の先輩が横たわっている。
眠っているのだと白衣の男は言ったが、横たわるその体の胸が上下しているのかどうか、わからなかった。
だが体の至る所に繋がる管。特にそれはうなじに集中して繋がっていた。
外は雪が降っている。
都内で降ったのは、今年初めてだという。


事務所を出る所で前方に足音が聞こえて顔を上げる。
「……お疲れ様です」
私はそう言って会釈をした。
「おつかれ」
その人はそれだけ言ってすたすた事務所に入っていった。
避ける訳ではない、距離を縮める訳でもない。
あの日以前と何も変わらない。
「アイアイは食べないのー? 美味しいよ」
「いらない。固形物は積極的に摂取しないようにしてるんだ」
「アイアイっていっつもそうだよね〜」と寿さんは呑気な声で言ってぱくと大福を口に入れた。
バラエティ番組の収録の合間。後ろでセットが慌しく組み替えられている。
「名前ちゃんは?」
「あ、頂きます」
寿さんがはいと手渡してくれた大福を受け取る。ビニールを剥がす。
美風さんはカタカタとノートパソコンを打っていた。そんな様子を見て寿さんが口を開く。
「アイアイもたまにはパーっと息抜きしたらいいのにね〜そうだアイアイお兄さんがドライブに連れて行ってあげようか! 今週末は暇?」
「今週末はメンテナンスに行かなきゃいけないから」
「れいちゃん振られちゃったー! しょぼーん!」
寿さんがオーバーリアクションに肩を落とす。
「準備できましたー」
遠くから声がして「はーい」と寿さんが返事をする。美風さんのノートパソコンがパタリと音を立てて閉まった。
タクシーに揺られながら流れる景色を眺めていた。
ドラマもクランプアップを迎えてしまった。美風さんと会う機会ももうそれ程ない。
口外しないことを約束とした。
分厚い灰色の雲の中、飛行機が闇雲に飛んでいる。


街はイルミネーションが灯り、賑やかな音楽が至る所で流れ、間近に迫るクリスマス一色だった。
横断歩道を渡りながら、吐く息は白い。
新しくCMが一本決まった。来月から撮影したドラマの放送が始まる。レギュラー番組が一本終わる。ドラマが最終回を迎える。
年の瀬の心機一転の気分がどこもかしこにも蔓延っていて、見るもの全てが慌ただしい。その雰囲気に私も呑まれている。
歩行者信号が点滅し始めたので歩速を速める。沢山の人々の中に埋もれる。
不意に頭上で曲が流れる。
見上げると美風さんの顔があった。
高いビルの街頭ビジョンに美風さんが映っていた。綺麗な歌声も流れる。
新曲が発売されるらしい。事務所は大々的に宣伝を行なっている。
立ち止まって見上げていた。薄灰の曇り空と映像。
不意にCMが終わり別の映像が流れ始めた。視線を戻して歩き出す。
ヴーヴー、とポケットの中のスマートフォンが振動を伝えた。
画面を見ると着信。名前は表示されず番号だけが表示されていた。
どこかで見た覚えのある番号だった。
画面をタップして耳に当てる。当ててからこんな人通りの多い所で出ても聞こえないのではと思った。
「もしもし」
電話の向こうからは何も聞こえてこない。聞こえてこないのか周囲の雑音により聞こえないのか判断がつかないが。私はもう一度電話の向こうへ声をかけながら、道の端に寄った。
ショーウィンドウに私の姿が映っている。
『今すぐ来て』
雑音の隙間、それだけ聞こえた。
先程まで聴いていた、声。
「……何かあったんですか」
『今どこ……? 何分、くらいで、来れそう……?』
声がポツリポツリと途切れて聞こえる。電波のせいか、それとも。
「どこにいるんですか」
私は言いながら走り出した。溢れかえる人の合間を縫って前に進む、車道に出る。タクシーを止めて、乗り込んだ。
広い公園内にはスケートリンクがあった。
一段と寒いと報道された今日の気温のせいか、人はほとんどいなかった。
リンクを一周囲むようにある柵。その柵に背を預けて見知った姿がしゃがみこんでいた。
駆け寄ろうとして、気がつく。その人の前に女の人がいた。
身をかがめて心配そうに声をかけている。
私は足を止めていた。踏み出さなければいけない理由が、見つからなくて。
視線が合った。
その目が私を捉えて、苦しげに顔を歪めた。
「あっ……あの、」
私は割って入っていた。しゃがみこむ美風さんを隠すように手を出して。
「大丈夫なので……すみません」
女の人に向かって言う。
「でも、救急車呼んだ方が……」
「いやっ、平気ですありがとうございます」
私は慌てて否定して、「本当に大丈夫なので」と作り笑いをしてもう一度言った。
「……立てますか?」
美風さんに向かって言う。美風さんは小さく頷いて立ちあがる。腕を取って支えた。
「すみません……ありがとうございました」
それだけ言って会釈をして、その場から離れた。
美風さんの足取りは随分と満身創痍という感じであって、あまり遠くにはいけないと判断し公園の屋根のあるベンチに座ってもらった。
支えていて気が付いたが、美風さんの体は異常なほどに熱かった。
美風さんは苦しげな表情で荒い呼吸を繰り返していた。
背もたれでもあればよかったのだが、生憎と無く、フラリと倒れてしまいそうで私は目を離さずに見つめていた。
強い衝撃で壊れたりするのだろうか。けれどほとんど本物の人間みたいだから、ひょっとして血が出るのか。
そんなことを考えて、私は目を逸らしたくなった。
「……誰か呼びますか」
静かに声を掛ける。
「いや……いいよ……ボクのエラーが、博士のところに、行ってるはずだから……」
荒い呼吸の合間に返ってくる。私はそうですか、とだけ言って口を閉じた。あまり喋らせない方が良さそうだ。
静かだった。
人気ひとけはほとんどない。
氷のスケートリンクが白く、空は灰色の雲が一面を覆い、長い間眺めていると何もかもがわからなくなってゆく。
静かに吐く息は白くなって消える。
静か過ぎて、自分の鼓動の音が聞こえる。
私は寒さに鼻を啜った。確かにこんな日にわざわざ氷の上にやって来る人などいないはずだ。
不意に隣の空気が動いて、すぐに視線を向ける。目が合った。
「……寒いの?」
苦しげな表情のままそう問われる。
私は黙って首を振って、「……いえ」と答えた。
美風さんの目線が私を上から下まで観察して、それからまた顔に戻ってきた。
ゆっくり顔が近づいて、抱きしめられた。
美風さんの体は熱い。
美風さんの顔が私の肩に埋められる。預けるように体重が私にかかる。抱きしめられているというよりは、寄りかかられているという方が正しいような体勢だった。
礼をと思ったのに声にならなかった。
私は震える息を吐いて瞼を閉じた。
静かな中に響く、鼓動の音は一つだった。

湯気の立つマグカップが差し出された。
私は顔を上げて、礼を呟いて受け取った。
「最近どうも調子が悪いみたいでね。気温のせいかとも考えてるんだが」
白衣を着た男、博士がマグカップ片手に事務椅子に腰を下ろした。キ、と軋んだ音がなる。
デスクにも壁にも床にも書類が山積みで、私が座っているソファにはコートが無造作にかけてあったりして乱雑な様子の部屋。
コンピュータの稼働している微かな高音が聞こえている。
「……気温が影響するんですか」
自分の声が書類の山に吸収されて響かない。
「いや、そこまで弱くはないんだが、なんせ30年に一度の冬だろう? 経験したことがないから、無いとも言い切れない」
博士はマグカップを手元に持っていき啜った。私は両手でマグカップを持ち中の液体を見つめた。冷たく冷えた指先が、熱いものに触れて感覚を妙なものにしている。
「まあだが大きな原因は藍の思考だと思う。最近ドラマや映画の撮影が立て込んでるだろう? 感情なんて考えだすとキリがないんだよ」
私は視線を下げて相槌を打った。美風さんが私の前で故障を起こしたのも、ドラマの撮影中、難しいシーンの後だった。
暫く沈黙が流れて、その沈黙にポーンと間の抜けた電子音が響く。博士が「お、」と言い、椅子を立ち上がる。デスクの書類に埋もれるような有様のパソコンの前に立ち、マウスを操作する。
私はその一連の動作を眺めてから、手の中のマグカップを口元に持っていった。湯気が顔に触れて、苦味が舌の先に乗る。
博士がマウスから手を離し、再びパソコンの前を離れる。今度は椅子には座らずに、本棚を背にし立ってマグカップの中身を少し揺らした。
「君は藍が人間じゃないと知ったとき、どんな気持ちだった?」
私は顔を上げる。少し口角が上がっていた。眼鏡で上手く表情が掴めない。
「……どうしてそんな事を訊かれるんですか」
「いや、特別意味があるわけじゃない。藍の正体を見せたとき、君は随分と落ち着いていたからさ」
博士はマグカップを啜る。カチ、と壁に掛かった時計の分針が音を立てた。
「……ショック、でした」
私は静かにそう呟き、一向に温まらない指先を見つめた。
「……上手く、言えないですが、実際に目にしたとき、…………」
「恐ろしかった?」
私は顔を上げぬまま視線を床へ落とした。
コーヒーを啜る音がした。
「そろそろ目覚める時間かな」
そう博士が呟いた。
「雪だ」
美風さんが呟いた。
私は空を見上げる。暗い夜空の中、確かにちらちらと白いものが降りてきている。
「予報通りだね」
そうですねと相槌を打った。美風さんの隣を歩く。
送っていくと言われ、並んで歩いている。体の調子はいいのだろうかと思ったが、博士も特に咎めず送り出したのでいいのだろうと考えた。
「迷惑をかけたね」
美風さんが私を見て言う。いつもの様子だった。
「……いえ」
私は視線を落として呟く。
「ショウかナツキを呼んでも良かったんだけど、2人が今ロケで地方に行ってるんだって思い出したんだ。1人でもなんとかなりそうだったけど、救急車を呼ばれそうになって、焦ったんだと思う」
はい、と私は相槌を打った。
沈黙が続いて、足音だけがする。アスファルトに雪が落ちては、すぐに消える。
「……君に色々聞きたいことがあったはずなんだけど、オーバーヒートのせいかな、覚えてないんだ」
「……そうですか。……また次に会った時でも」
「そうだね、そうするよ」
美風さんは淡々とそう言ってそれから「修理したばかりだから、あんまり回路を動かすのも良くないし」と言った。
また静かになった。
雪が段々と大粒になり始めた。柔らかな雪が、濡れた黒いアスファルトに点々と白を残し始める。
歩行者用信号が無いような小さな交差点に差し掛かり、車用の信号を見て私達は歩を止める。
隣に視線を向ける。車道の方に頭を向けて、信号を見つめる横顔が見える。
不意にその顔が振り向いた。目が合う。
「? なに?」
不審そうな顔をして問う。
「いえ…………雪がついてます」
美風さんの髪には大粒の雪がいくらか積もっていた。美風さんが視線を上に向けて、それからぱっぱと簡単に雪を払った。
それから私に視線が向く。
「君も人のこと言えないけど?」
考えてみればそうだと思い、払おうとしたが、美風さんが口を開く。
「じっとしてて」
そう言って手を伸ばし、私の頭上の雪を優しく払った。
美風さんの綺麗な顔の向こうで、黄色のLEDが青に変わるのが見えた。
美風さんの手が離れた。
「手が冷えるでしょ」
美風さんはそう言うと、信号に気がつき「いくよ」と歩き出した。
私はその後ろ姿を見つめながら、身体が妙に重いと思った。
重い、目の前の白と黒に、踏み出す足が重い。そうして頭上の、青の光が滲む。
美風さんが振り向く。
何か言う前に私は足を動かして、重い体を前に進めた。
何も言わない私に、美風さんが少し不審げな顔をして、だが思考を深く回すことを避けたのか、何も言わずに前を向いた。


なんの前振りもなく、突然メールが来たものだから、私は色々と考え込んでしまった。
「おっはよ〜名前ちゃんっ、乗って乗って〜」
マンションの前に停まった車の窓が下げられ、ハンドルを握る寿さんがそう言った。
私は少し躊躇して、けれどここへ来て引くわけにはと頭を下げる。
「よろしくお願いします……」
「うんうん! 楽しいドライブを約束するよ〜ん♪」
私は後部座席のドアノブに手を掛けて開ける。レトロで可愛らしい形の寿さんの車。
少し頭を下げて乗り込んだ。奥に詰めておく。
「えーっと、先にアイアイん家に行ってからランランを拾ってくねー」
寿さんはそう言って「出発進行〜!」と車をゆっくり発進させた。
窓の外を眺めていた。まだ朝が早く気温が低い。空は雲が覆い日も照っていないので余計にだ。
「名前ちゃんってプライベートではあんまり飾らない感じ?」
ミラー越しに寿さんが私を見て言う。
「そう……ですね、詳しくなくて」
「そっか〜、名前ちゃんってそのままでも可愛いけどね、男はギャップにキュンときたりするものだから、」
ミラーの中で寿さんが目を細めて優しく笑う。
「気になる男の前では、オシャレしてもいいかもね」
私はその目を見つめて、少し視線を外した。寿さんも視線を外して、少し間をとった。
「な〜んて! ボクが名前ちゃんの可愛いかっこ見たいだけだったりして」
寿さんはそんなことを言って笑った。
私もつられた風に少しだけ笑ってみせた。
分厚い雲は何かを孕んでいる。
「あ、お前新しいの買ったのかよ」
助手席に乗る黒崎さんが言う。運転席と助手席の真ん中にあるナビに手を伸ばしている。
「前のが壊れちゃったんだよね、まあ大分古かったしー……」
ピ、ピ、と黒崎さんが画面をタッチして弄っている。寿さんの話にふーんと返事はしているが、本当に聞いているのかは怪しい。
私は視線を動かして、隣に座る美風さんを盗み見た。が、美風さんもこちらを見ていて、パチっと目が合ってしまった。
「……おはよ」
「……おはようございます」
美風さんは少し難しい顔をして、それだけでふらっと視線を窓の外に向けてしまった。
「んで? 結局どこ行くんだよ」
「とりあえずは高速に乗って、サービスエリアとか、気ままに行こうかな〜って思ってるんだけど、ランランはどこ行きたい?」
「俺はてめぇの金で飲み食いできりゃそれでいいわ」
「さっすがランランはっきりしてるねえ……」
寿さんがハンドルを切って、信号を右折した。遠心力で体が傾く。
「つーか、この忙しい時期によくもまあ休みが被ったな」
黒崎さんが窓枠に頬杖をつき外を眺めながら言う。
「ぼくは大体週末休みなんだよね〜バラエティが多いと毎週同じようなスケジュールでさっ」
「へえー」
「ふーん」
「ちょっと! 2人ともぼくにもっと関心を持って!」
美風さんと黒崎さんの気のない返事に寿さんが声を上げる。もうっ、と言いながらナビを一度見る。直進する。
「まっ、でもさ、」
寿さんが口を開く。
「こんなこと滅多にないんだったら、神様が味方してくれてるんじゃない?」
何がとも誰にとも言わない。
「お前自分は楽観主義とは真逆のくせに……」
「ランランって結構的を得たこと言うよね……」
前でそんな会話が聞こえる。車の中という遮断された空間だからか、先輩方の言動にいつもよりも素を感じる。
「あっ、ねえ後ろのお二人さん寒くない?」
寿さんがミラーを見て言う。「暖房後ろまで届いてる?」。
美風さんは少し眉を寄せてから、私に顔を向けた。
「寒い?」
私は「いえ……」と首を横に振る。美風さんが前に向かって、
「大丈夫」
と返した。
「りょーかい! 寒くなったらいつでも言ってね」
寿さんがそう言って視線を前に戻した。寿さんと黒崎さんが会話を始める。
「……わからないんだよね」
隣から小さくそんな声がした。
「……そうですか」
と私はそれだけ言った。
「すごーい!いい景色だねー! 曇ってるけど!」
寿さんが風で荒れる髪を抑えながら声を上げる。
サービスエリアの展望広場からは海が眺められた。上手く晴れていれば富士が拝めるらしい。
広々とした芝生に丸太でできた階段が埋められていて緩やかな坂になっている。その先の柵のところまで降りて景色を眺める。
「ミューちゃんもこればよかったのに」
「アイツが来るわけねぇだろ」
寿さんの言葉に黒崎さんが即答する。
「つーか腹減った」
「表に色々出店が出てたよね〜」
寿さんと黒崎さんがそんな会話をする。
「アイアイ、名前ちゃん、ぼくらちょっと何か買いに行くけど、ほしいものある?」
「特にはないよ」
美風さんの後で「私も……」と言った。
「そっか、じゃあ適当に買ってくるね〜いってきまーすってランラン置いてかないで!」
黒崎さんの背中はさっさともう坂の上に見えて、寿さんが慌てて追う。
やっぱりなんだろう、そういうことだろうか。
私は視線を落として静かになった空気を聞いていた。風が髪を荒らして、冷たく頬を撫でる。
「思い出したんだ」
はい、と相槌を打った。美風さんの視線は考えるように少し下に落ちていた。
「君に訊きたいこと……」
……はい、とまた相槌を返す。曇り空でぼやけた景色を見ていた。
美風さんがゆっくりと話しだす。
「……君が来てくれたとき、妙な感情になったんだ。よくわからないけど……嬉しかったっていうか」
私は美風さんを見るようで、その後ろの海を見ていた。
「それに、君を抱きしめてたとき、……ずっとこのままで居たいと感じた……。これって、何だと思う?」
美風さんは私を見る。難しい顔をして、私に答えを求めている。
風が美風さんの髪を荒らした。それに美風さんが片目を瞑る。
「記憶が、あったからじゃないですか。ドラマの、記憶」
私は目を合わせられなかった。
美風さんが少し目を見開いて、また難しい顔をした。
「ドラマの……記憶……」
私は震える息をゆっくり吐いて、冷たい空気を吸った。
「役が、役でしたし、似たようなシーンもありました。……それに美風さん、熱心に役作りされてましたから……」
「役を通じて、ボクが君に親近感を持ったってこと?」
「はい」
私が頷くと、美風さんは考えるように眉間に少しシワを寄せて、視線を下げる。
「確かに……ボクと君の役は恋人同士だったし、君が言うように似たシーンもあった……行動によって似たような心理になるというデータもある……筋は通ってる……」
美風さんが顎に手を当てながら呟く様子をただ見ていた。
「うん……そっか、そうかもしれない」
顔を上げた美風さんから私は目を逸らした。
静かに相槌を打って頷いた。
窓の外を眺めていた。
海沿いの高速道路を走る景色は、ずっと灰色の地平線を映している。
「名前ちゃんもういいの?」
「あ、はい、ご馳走さまでした」
寿さんの言葉にそんな風に返した。「結局ほとんどランランが食べてるね」と寿さんはドリンクホルダーに置いた唐揚げを摘んだ。隣で黒崎さんがアメリカンドッグを齧っている。
美風さんは何も食べなかった。
車が停まった場所は海だった。
「やっぱりドライブといえば海だよね〜」
寿さんがシートベルトを外しながら言って、「このクソ寒ぃのに……」と黒崎さんは言いながらもさっさと車を降りた。
美風さんも車を降りている。
シートベルトを外しドアノブに手をかける。美風さんの降りたドアが閉まって、車内は一瞬静かになった。
「名前ちゃんって意外とずるいおねぇさんだったんだね」
ドアノブにかけた手を止める。
前の座席を見る。頭が少し見えるだけだ。
ミラー越しに、寿さんは少し笑って、ドアを開ける。さざ波が聞こえ始める。
私も何も言わずに車を降りる。
ドアを開け地面に足をつけた所で視界に手が差し出される。
顔を上げると寿さんが笑ってその手を私に伸ばしていた。
「足下気をつけて、お姫様」
私は寿さんを見つめた。それからその肩越しに美風さんが見えることに気がついた。離れた所から、こちらを見ている。
「…………」
寿さんの手に、手を重ねるだけ重ねてほとんど自力で座席から立ち上がる。
と、カクっと足首が揺らいで体がぐらついた。
重ねていた手がギュッと握られて、引っ張って支えられる。
私は顔を歪めた。こんな時ばかり。
「……ありがとうございます」
私が顔を歪めたまま行った礼に、寿さんは少し悲しげな顔をして言った。
「ほんとに、神さまに気に入られてるのかもね」
寿さんはそう言って最後力を抜いて笑って、私を優しく引っ張って立たせた。
バタンとドアを閉める。
ゆっくり手が離れる。寿さんが笑う。私は顔を歪めて、それから視線を外した。
美風さんの方へ歩いた。
灰色の雲が空を覆い、靄のせいか海も同じような色に姿をぼかしていた。
黒崎さんが波打ち際を向こうへ散歩するように歩いて行っている。寿さんがランラーン!と声を張って黒崎さんの方へ向かっていく。
波打ち際、美風さんの側まで行き足を止めた。
「……レイジと、何話してたの?」
美風さんは難しい顔をして言った。困惑するように眉間にシワを寄せている。
「……転びそうになったので、助けてもらっただけです」
私は砂を見て言う。「そう……」と美風さんは言って再び考え込むように視線を下げた。
波が寄せては返る。灰色が地平線をわからなくする。
「……あのさ、」
美風さんがゆっくり口を開く。視線は波に向いていた。
「君はドラマがあったからだって言ったけど、レイジと君が仲良くしてるのを見て、なんだか釈然としない気持ちになるのも……」
「美風さん、」
唐突に美風さんの話を遮った私の声に驚いたのか、美風さんが「えっ、何……?」と声を上げた。
「…………」
「…………」
何も言わない私に美風さんが不思議そうな顔をして、俯く私の顔を覗き込んだ。
「ナマエ?」
私は身を引いた。美風さんが推し量るような顔をする。
「どこへ行くんですか」
「え?」と美風さんが言う。私は顔を歪めて、俯いていた。
「……どういうこと?」
美風さんが怪訝な顔をして問う。私は、震える呼吸で冷たい空気を吸った。
「美風さんが私を好きで、私も美風さんを好きだとして、どこへ、私達はどこへ行くんですか」
砂しか見えない視界が滲み始める。
「何もわからないんです……美風さんがどういう仕組みなのかも、どういう人生を生きるのかも、永遠に死なないのか、怪我をしても壊れるだけなのか、血は出ないのか、美風さんに何かあった時、どうすればいいのか……」
何もわからないんです、と最後に言った声は掠れて波音の中に消えた。
美風さんは目を見開いて私を見ていた。私はずっと俯いていた。波の音だけがする。呼吸の音も一つだ。
「…………それは、」
美風さんの声がした。随分と掠れた声で、私は顔を上げた。
「どう……だろう……でも、ううん……君が…………」
「美風さん、」
私は思わず名前を呼んだ。美風さんが頭を抑えて苦しげな顔をしていた。
「待って……かん、がえるから………う、……」
私は口を開いて、けれども声が出ない。言わなければ、考えなくていいって、全部忘れてくださいって。
グラリと美風さんの体が傾いて慌てて受け止める。思わず離してしまいそうなくらい熱かった。
「アイアイ!? どうしたの!?」
焦ったような声が聞こえて、寿さん達が駆けてきた。寿さんは見たこともない顔をしていた。
「アイアイ!」
「大丈夫です熱、熱が昨日まであったらしくて」
触れられてはいけないと私は慌てて口にする。人間の持つ熱じゃない。
「じゃあとっとと運んだ方がいいだろ。おい貸せ」
黒崎さんが美風さんの腕に手を伸ばす。
「だ、大丈夫です」
「は? 大丈夫って、てめぇが運べるわけ……」
「大丈夫です!」
思わず声を荒げてしまい、驚いた黒崎さんの顔が見える。
私は瞳を揺らして、もう一度「……大丈夫です」と呟いた。黒崎さんが眉を歪めて、それから難しい顔をしたが何も言わなかった。
「ぼくなるべく近くに車寄せてくるね」
寿さんがそう言って車の方へ走って行った。
私は美風さんの腕を肩に回してなんとか歩いてみる。砂に引きずるような跡ができる。
数歩歩いたところで体が左に傾いて、体重を持っていかれそうになった。
が、体は保たれる。黒崎さんが反対側を支えていた。
私は祈るように黒崎さんを見たが、黒崎さんは前を向いたまま何も言わなかった。そのまま歩き始める。
私も視線を落として、美風さんの重さを乗せて歩いた。
車が少しずつ暗くなっていく景色の中走る。
美風さんは荒い息をして、座席に体を預け瞼を閉じている。
私は座席に座ってじっと自分の膝の上の手を見ていた。
布の乾いた音がしたと思ったら、私の髪に何かが触れた。
驚いて見ると美風さんが私に手を伸ばしていた。
私は名前を呼ぶことすらできなくて、ただ瞳を揺らして美風さんを見た。
美風さんが苦しげな表情のまま私を捉える。
「……めんね、ごめん…………ボクがきみを……悲しく、させてたんだね…………」
私は目を見開いたまま首を横に振った。
「違う……違います、すみません私が、余計なことを……」
美風さんの指がするりと髪を通って落ちた。
瞼はもう閉じられていて、荒い呼吸が繰り返されている。
ヴーヴー、ヴーヴーとポケットの中のスマホが震えた。見ると博士の番号だった。
「……はい」
静かな車内に私の声が響く。
「……いますよ、……はい……はい…………わかりました」
静かに通話を切って、スマホを下ろす。
「……すみません、行き先変えてもらえますか」
「うん? いいけどどこに……?」
博士の研究室の住所を告げた。寿さんがナビに入力しようとして、事故る、と黒崎さんが代わった。
研究室の前に車が止まる。
「……ここでいいの?」
「はい、……美風さんの叔父さんがいるんです」
美風さん家に帰っても一人で心配だからって、と私は即興で付け足した。寿さんがそっかと頷く。
黒崎さんが窓からすぐ横の塀を訝しげに見つめている。
「ありがとうございました」
「うん、手伝わなくて大丈夫?」
「はい、後で叔父さん呼びますので……」
私は一度車を降りて、美風さんの側へ回りドアを開ける。美風さんの腕を肩に回す。ふらりと力なく美風さんの体が持ち上がる。
「本当にありがとうございました」
「うん、気をつけてね」
寿さんは心配そうな顔で振り向いている。
「……寿さん、」
私はドアに手を添えたまま口を開いた。「どうしたの?」と寿さんが言う。
「……すみません」
私はそれだけ言った。けれども寿さんには全て伝わったようだった。
寿さんが一瞬難しい顔をして、それから眉を下げて笑った。
「謝らないで? ぼくが勝手に……やいてるお節介だからさ」
私は何も言わずに一度頭を下げた。
バタンとドアが静かにしまった。
塀の中まで、なんとか美風さんを支えて歩いた。研究所の前に博士が立っていた。美風さんを受け渡すと、冷え切った空気が、体の芯まで冷やした。

「叔父さんって、ぼくが思ってたより二人は進んでたのかな〜」
ハンドルに置いた手に顎をつけながらバックミラーを見る。もう二人の姿はない。
隣のランランの目線が動いた気がする。
「……てめぇは、随分と藍に構うな」
ランランが視線を窓の外に向けながら言う。
「藍が悩んでるからって、こんな遠出までしてよ」
ぼくは少し笑った。
「アイアイとは歳が離れてるせいか、つい構いたくなっちゃうんだよねー。あっでもランランも、ぼくちんにとっては可愛い後輩だから、相談事があったら乗るよ? 任せて!」
「てめえに相談するなんて最後の手段だろ」
「ガーン! ランランどいひー!」
ランランは窓の外を見て頬杖をついている。それきり何も言わない。
すっかり暗い辺りの景色と、車内。
「……アイアイにはね、幸せになってほしいんだ」
ぼくの呟きは静かな中にゆっくり消えた。
自分勝手以外の何でもないけれど、それで何かが変わるわけではないけれど、変わってはいけないけれど。
願わずにはいられない。
「……けどランランも、アイアイが心配だったからついてきてくれたんでしょ?」
「どの口が言ってんだ、散々しつこく誘ってきたくせに」
「も〜素直じゃないなー」
あははとぼくは笑って車のエンジンをかけた。
この寒々とした気温だからか、空に瞬く星は綺麗に澄んでいた。


next→2/2
prev next
back top
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -