──八月五日(1)



 八月五日──
それは司にとってまさに青天の霹靂と言うべき日となった。


当時中学二年だった司は剣道部に所属しており、その日も夏休みの練習を終えて夕方帰宅した。
カレンダーとホワイトボードの予定表通りであれば、家にはもう既に父と上の兄が二人、それから下の姉がいるはずだ。
今日の夕食当番は次女の律。
夕食のメニューを楽しみにしながらいつものように家路に着いた。




あの日の記憶は、司の中で今でもループのようにぐるぐる回る。

茜の差す日差し。
蒸せ返るような熱さを含んだアスファルト。
鳴り止まない蝉の声。
時折吹く人肌よりも生暖かい風。
すべてを背景にしながら走る自分。

いつもなら忘れるであろうその記憶達はまだ司の傍らに在る。


『ただいまー』


今日は講義のない父が出迎えてくれるはずなのに、玄関のドアを開けても誰の声も返ってこない。


『あれ、いないの?』


確認の為に声を上げる。

薄暗い室内。
外の蝉の声だけが響く廊下。
半開きのリビングへのドア。
やけに静かな家の中へと足を進めた。

自分の足音と衣擦れの音だけが厭に耳につき、進むにつれてリビングに電気が付いていないことに気付く。

訝しみながらもドアノブに手を掛け、押し開ける。


『ただい、』



今思えばドアなんか開けない方が良かったんじゃないかと思う。

開けようとしても何かに突っ掛かり動かないドア。


薄暗がりの部屋の中。


何気なく覗き込んで、





司は声にならない声を上げた。


『………っ?!』


ドアの行く手を防いでいたのは、人。

一瞬何がいるのか理解できなかったが、時間が経つにつれそれは俯せに倒れた人だと気付く。



『玲児兄さん!!』


それが二番目の兄である玲児だと分かると、司はすぐに玲児を抱き起こした。


『玲児兄さん?!玲児兄さん?!』


大学生である玲児の、しかも力の抜けた体を支えるのは中学生の司にとってかなりの重労働であったが、なんとか上体を抱き起こす。




ぬるっ。

支える手に生々しい感覚が這う。
手を見ればそこには暗がりでも分かるほどにべっとりと血が付いていた。


『玲児兄さん、』


滴り落ちはしない、でも確実に玲児の服をぐっしょり濡らす生暖かい血の感触に司は弱々しくしか玲児の名前を呼べなかった。







一体何が起こってる? 





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