──現の夢境







『……司』



浮遊する意識の中で、囁かれるように呼ばれた自分の名前に気付いて司は瞼を上げた。


『……たくみにいさん?』


目に捉えた自分と同じ亜麻色の髪の持ち主に司は擦れた声でその名前を呼ぶ。


『悪い、起こしちまったな』


司の名前を呼んだのは匠だった。
バツが悪そうな顔をして司の頭をそっと撫でる。


『気にしないで。来てくれてありがとう』


撫でられる感覚が心地よくて司はまた瞼を閉じた。
眠るわけではないか、その微睡むような雰囲気に安堵する。


ここ数日、司は時折意識を失っていた。
前は咲夜や匠が訪れても話ができたのに、今は眠るように動かない姿を眺めることしかできないこともある。
この日は久々に匠が来ている時に目が覚めた。



『あー、何か飲むか?唐木さんがさっき来て飲み物くれたからさ』


伝う汗を匠が拭う。
まだ熱は引かない。頭は未だに微睡みの中にある。


『いまは、いいよ』


ゆっくりと擦れた声しか出ない。
手を動かそうにも思うように動かなかった。
その手をやんわりと匠の手が包み込む。


『……そっか。じゃあ、あんまり無理するなよ。お前は変に我慢するから』


両手に額を少し当てるように俯いて匠が言った。
それは匠兄さんも一緒だよ、と言おうとしたが巧く言葉が紡げない。


とても、もどかしい。

これ以上心配をかけたくないのに、何一つ満足にできない。
手を握り返すことも、
大丈夫と微笑むことも、
気の利いた言葉もかけられない。

辛いのは匠兄さんも咲夜姉さんも同じ。
なのに二人は自分以上に気遣ってくれる。
これほど辛い優しさなんて知らなかった。

涙が溢れそうだった。




『今は休め。何も考えるな』


また匠が撫でながら優しく髪を梳く。
するすると流れる指先が霞んでは澄む瞳にも細く硬くなったことが分かる。


『だから寝な、司』


匠の声がやけに響いた。






でもね、眠れないんだよ。


あの闇がやってくるから。
目を瞑ったらあの白い手が伸びてくるから。
あの眸ですべてを射抜かれて、血で目の前が見えなくなるから。
薔薇の鎖が煩く響いて忘れさせてくれないから。



そしてその中に聞いちゃいけない言葉が混じるんだ。



『 き み が た く み ?』



ああ、耳から離れない。

どうしてそう呼ぶの?
どうして兄さんを呼ぶの?
何故か悲しそうに聞こえる声のアナタは誰なんですか?




『……司?大丈夫か?』


目が虚ろになり始めた司に気付いて匠が声を掛ける。
久々にこれだけ起きていたのだ。
多分疲れたのだろうと思って匠は布団を掛け直そうとした。



『……だれなんですか?』


先程より格段にはっきりとした声音に匠は思わず手を止めた。



『誰なの?……だれ?』



更に司は言葉を続ける。
その瞳は何かを映しているようには見えなかった。
でも確実に何かを視ていた。



『ねぇだれ?アナタは誰?』



記憶の底から手が伸びる。

それは白い、白い、あの時の手。

闇から更に昏い漆黒の髪と衣が絡み付く。

そこから時折覗く薔薇は作り物の銀の雫を煌めかせる。

そしてあの眼がすべてを縫い止め、痛みと共に暗赤の血が撒き散らされる。

赤が、白が、銀が、黒が迫りくる。



『なん、で?何で兄さんのなまえを、よぶの?』




 逃げられない

 逃げ切れない

 赤 白 銀 黒    
         赤白 銀黒
赤 白
    銀  黒

   赤 白 銀 黒

赤白銀黒赤
     白銀黒赤 白銀黒   赤白 銀黒 赤白銀黒
赤白銀 黒赤  白銀 黒赤 白銀黒 赤白 銀黒赤白銀 黒赤白銀黒赤白 銀黒赤白 銀黒赤白 銀 黒赤白銀 黒  赤白銀黒 赤白銀黒赤 白 銀黒 赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀黒赤白銀 黒赤白 銀 黒


逃げても逃げても追い掛けてくる



『ねぇなんで?どうして?そんな声でよばないでよ!なんでたくみって呼ぶの?!』



急に司が叫んだ。
腕を振り払い、点滴の針が抜けてもあらぬ方向に声を荒げる。



『なんで?!なんで?!なんで?!』


『司?!どうした?!落ち着け!!』



この痩せ細った小柄な体のどこにこんな力が残っていたのかと思うほどの暴れ様に、匠は驚きながらも必死に司を押さえつける。


知らない、識らない、分からない、解らない、判らない



『なんでよぶの?!なんできたの?!』




『何で殺したの?!!!』





その叫びは断末魔のごとく。
耳にこびりつくほどの血を吐くような絶叫の後、
司は糸が切れた繰り人形のように倒れ、力なく意識を手放した。



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