『ご笑味千万』 






『三 千 世 界 ノ 鴉 ヲ 戮 シ テ』― 番外編『 ご笑味千万 』






昔、エスカルゴというものを食べたことがある。
こちらでいうところの蝸牛(かたつむり)だ。
貿易商の父が仕事関係で知り合い、たまたま仲良くなった西の国の人が郷土料理として振る舞ってくれたのだ。

わざわざ誂えた真っ白なテーブルクロスに、真っ白い大皿に盛られた鮮やかな緑の見慣れない料理。
当時幼かったオレは初めて見る料理に大層興奮したことを覚えている。
何が使われているかさっぱり分からなかったが、請われるままにそれを口にした。

食べてみると、普段嗅ぐ香ばしい醤油の匂いや出汁の鰹や昆布の風味と違い、香草独特の香りや牛酪(バター)のこくのある風味は少し諄(くど)かったものの、濃い旨味が割りと口に合った。
それは一緒に食べていた兄と弟も同様らしく、一口、二口と次々と料理が胃袋の中に消えていく。
粗方食べたところで、彼は手品の種明かしをするようにその食材の正体を明かした。


「エスカルゴだヨ、シュシュ」


エスカルゴが何なのかさっぱり分からず兄弟揃って首を傾げると、父がすかさずそれを端的に説明してくれた。


「向こうの言葉でかたつむりって意味だそうだ」


得意げに、満面の笑みで答えた親父とそれを見てうんうんと頷く彼。


だがその答えを聞いた途端、オレ達兄弟が表したのは笑みでも驚きでもなく、絶叫だった。

実際叫び声を上げたのはオレと弟で、兄は瞬間的に顔を真っ青にして口を必死に押さえていたらしい。
おそらく客人の手前吐くわけにはいかないという長兄の意地と根性がそうさせたんだろうが、生憎オレはそれを知る由もない。
オレはオレで凄まじい叫び声を上げた直後にある名前を叫んでいたから。


「きょんちゃん!!!」


それは当時飼っていた(というかただ捕まえていた)蝸牛の名前だ。
弟が気に入って持ち帰ってきたので弟の名前をもじってつけたのだ。
幾分幼く、また素直だったオレは目の前のエスカルゴと世話をしていた蝸牛を混同してしまったようだ。

オレの一言に今度は弟が断末魔のような悲鳴を上げた。
もうその後はある意味阿鼻叫喚の地獄絵図、は言い過ぎかもしれないが結構な惨状であった。

兄は結局耐えきれずに無礼を承知で飛び出し廊下で嘔吐、弟は絶叫の後に泡を吹いて勢い良くぶっ倒れ、オレはその場で声が嗄れるほど盛大に泣きじゃくった。

珍しい異国の料理を食べさせてやろうという父のささやかな親心であったが、見事失敗した一例である。

ちなみにこの惨劇の概要は後日母から聞いたものだ。
後日二日間寝込み、お陰で蝸牛が大の苦手となった兄と弟に聞けという方が酷な話だろう。




大袈裟に言えば我が家の禁忌(タブー)ともいうべき出来事を思い出したのは、瞬弥と麗と交わしていた雑談からだ。

最初はこの季節だから西瓜が食べたいだの心太(ところてん)が食べたいだのから始まり、やれ三好屋の餡蜜がいいやら但馬香味堂の冷や麦がいいやら流行りの店のお勧めに話が移り、そして何故か下手物へと転がった。

オレは奏浜(かなはま)の港町育ち、瞬弥は山海豊かな四隈(よのくま)地方の出、麗は帝都・西京生まれだが外国暮らしが長く三人が三人とも生活環境に違いがあるので食の認識も異なる。
自分の晴れの日のご馳走が相手に食物と認識されていないことなどざらだ。

蝸牛もそんな内の一つだ。


「蝸牛でもいいから食べたいと何度思ったことか」


そう言って遊撃戦を想定した山間訓練を振り返りながら言ったのは瞬弥だった。

この訓練は軍に籍を置く者なら誰もが一度は経験する大規模な訓練の一つだが、その過酷さでも有名である。
特に食料は訓練期間よりも明らかに少ない配給の為、強制的に現地調達と食料難を余儀なくされる。
教官及び上司は命に関わる危険物以外は教えず、結果山に馴れない者は笑い茸や毒草などその他諸々の餌食となるのが大半だ。
空腹か嘔吐、下痢、痙攣、麻痺かで血迷う者も少なくない。
蝸牛などまだましな方に見えるのだ。


「蝸牛って食べないの?」


不思議そうに聞いたのは麗だ。
僅かばかり目が見開く。
また違った意味で瞬弥も瞠目した。


「え、食べるの」

「前菜で出ることもあるわよ。牛酪(バター)炒めとか」


ここでエスカルゴ料理を知らないのは瞬弥だけらしい。
瑞穂では常食する話を聞かないので当然と言えば当然だが。
オレもあの時食べなければ知らなかっただろう。


「へー。オレが知ってるのは精々黒焦げまで炒めて喘息の薬にするくらいだぞ」

「何それ、漢方?魔術?」

「呪(まじな)いの類じゃない?近所の祓い屋の婆さんがよくくれたから。オレ飲んでないけど」

「蜥蜴(とかげ)じゃなくて?」


瞬弥の発言にオレも頭を掠めたことを麗が先に口にした。
しかしそれは用途が違うので「それは惚れ薬だろ」と述べておく。

ついでに「どっちも椿さんと久保井さんに効かないって一刀両断されそうだな」と言うと、


「「確かに」」


二人とも同じように頷いた。


「燎介は食べたことある?」

「おう。あるぞ」

「お前、山間訓練でそんなに腹が減ってたのか」

「いや、そこでは食ってねぇよ」


木天蓼(またたび)の実を食べるか、木天蓼で山猫捕獲作戦を決行するか、班で揉めはしたか蝸牛には手を出していない。
瞬弥の軽そうな頭を軽く叩いて件の蝸牛に関する話をしたのだ。






「食卓の惨劇、伏兵のエスカルゴだな」

「こういう場合ご冥福をお祈りします、であってるかしら」


我が家の禁忌(タブー)に対する二人の感想は以上の通りであった。

取り敢えず瞬弥には何となくもう一発食らわせておくとして、麗は咄嗟に上手い切り返しが思い付かなかったので「死人は出ていないからそれは違う」と訂正だけは入れておいた。


「あーでも申し訳ないけど笑えるなぁ。ご冥福よりご愁傷様だ」

「燎介似の家族があたふたしてる様はちょっと面白いわ」

「笑うなって言いたいところだが、オレも家族には悪いけど何故か笑える」


子供の頃は蝸牛に怯える弟や青ざめる兄、この話に少しでも触れると居たたまれなさが尋常ではない父、蝸牛一匹で空気が変わる家族に気を使ったものだ。
しかしこの歳にもなるといい大人があれに翻弄されているのも滑稽なものである。
人格者の兄と優秀な弟なら尚更そう思う。
過去の泣き叫んだ自分の情けなさも相俟って最早笑い話だ。
流石にこれで笑うのは自分と母親だけだが。


「燎介は嫌いじゃないのね、エスカルゴ」

「オレはね。なかなか瑞穂じゃ食べられないから残念に思うくらいは好きだな」

「エスカルゴってぬめぬめしない?あれ口に入れんの想像つかないんですけど」

「ぬめぬめって、生で食べるわけじゃあるまいし。
ぬめぬめだったらオレはなめ茸の方が無理だ。食品が滑(ぬめ)るっていう現象があり得ん」

「オレには蝸牛を食す方があり得ない」


瞬弥との間で蝸牛対なめ茸どちらが食材として不可か不毛な論争が展開しかけたが、麗が「じゃあ一度食べに行きましょう」と一言告げたことで論争は早々に終止符を打たれた。


「何を?」と聞き返す瞬弥に、
「エスカルゴ、もとい蝸牛」
となかなか佳い笑顔で麗が答えを返す。

黙っていれば異国情緒漂う艶やかな美女だ。
その笑みは美しいが有無を言わさぬどころか捩じ伏せる迫力があった。


「綺潟(あやかた)に西洋料理店があるから丁度いいわ。お昼も近いし、これから行きましょう」


思い立ったが吉日とばかりに麗は瞬弥の腕を掴んで立ち上がった。
即座に抵抗するが華奢で女らしい体躯に似合わず接近戦を一番得意とする麗に不意打ちを食らった瞬弥が敵う訳もなく。
捕物帖よろしく見事に引っ捕らえられた。

ついでに暴れられても面倒なので拘束されていない反対側の腕はオレが掴んでおいた。
昼に外出する口実が出来たのだ。
退屈しのぎの好機を逃す手はないだろう。


「まだ書類の決済が!西家(サイケ)ちゃんに怒られるから!」

「それ、アンタの副官の通常業務じゃない。いつも丸投げしてるくせによく言うわ。
そこまで拒否するなら意地でも連れてくわよ」


丁度いいところで話題に上がった瞬弥の部下、道行く西家曹長と目が合ったので、その場で小一時間ほど出掛ける旨を伝えた。
「昼を外で食べようかと思って」と言えば、
「三分と八分の副官にも伝えておきます。ごゆっくりどうぞ」と快く送り出された。
見捨てる気か、とか裏切り者とか少々物騒な瞬弥の声が聞こえたが気にしない。
むしろお前の部下はお小言も言わずに気が利くじゃないか、贅沢者め。


「好き嫌いは駄目よ。大きくなったら誰も注意してくれないんだから」

「百聞は一見に如かず、だ。嫌うのは食べてからにしても遅くないぞ」


多分この時オレは麗に負けず劣らず佳い顔をしていたと思う。
瞬弥は予算決済前に椿さんへ直談判しに行く時に匹敵するほど顔が引きつっていた。

しばらく両側から拘束しての連行で抵抗は無駄だと諦めたらしく、
「あーもーいってきますっ!」
とやけくそ気味にオレと麗を引っ張っていく。

いい歳の大人が何を腕を組んでるんだか、なんてことが頭を過ったが気にしないことにした。


今日はほろ苦い過去でも笑い話でもなく、割りと楽しい思い出になりそうな気がするので。




【了】 



木津宮中心、夏の日常小咄でした。
木津宮家で蝸牛は禁句です。がっつりトラウマ。
でも木津宮は何もないあたり変にタフですね。図太いともいうのか。

麗と瞬弥とはよくつるんでます。友達のような弟妹のような構ってあげたくなる感じ。
入隊が同期なので下らない話を上司にどやされない程度にしています。
多分恋バナもするんだぜ。
でも恋バナってほど甘くなくて主にきづみんが聞いて損するんだぜ。可哀想ww

最後で結果的に三人で腕組んで歩いてるのは微妙にきついです(^o^;)
もうちょっと若かったらまだ可愛かったんですが、アラサーですからねぇ。


木津宮のお話を書くと高確率で食べ物とセットな気がします。
他の連中は食事を蔑ろにするか偏食かですからね。

ご笑味感謝致します。


最後に、というか前ブログからの移転の関係で消えそうだった後書きのような蛇足を足しておきます。

ちろっとしか出てきませんが、出てきた新キャラをちょっとご紹介。
書きたいけれどこの機会を逃すと名前どころか存在すらログアウトされそうなので(^∀^;)

【木津宮桜介(キヅミヤ オウスケ)】
木津宮家長男、32歳、妻帯者。
家業の貿易商を継いで日々頑張るきづみんのお兄ちゃん。
しっかり者で頼れる、きずみんがリスペクトする一人。
好い人過ぎて押しに弱い。
父親に似てお涙頂戴の苦労話にも弱い。たまに騙される。

【木津宮鏡介(キヅミヤ キョウスケ)】
木津宮家三男、22歳、学生。
帝国大に通う苦学生。
きずみんが学費を工面。
真面目で優秀、正義感が強いきづみん自慢の弟。
曲がった事が嫌いでトラブルに首を突っ込むこともしばしば。

【西家乃木丸(サイケ ノギマル)】
洛叉監史第九分隊所属、曹長、27歳。
民間から出向した瞬弥の部下、九分の事務方的存在。
瞬弥がやらかした経費はこの人がどうにかして帳尻を合わせる。
サイケデリック財テク発動。
ですます調の癒し系。
その割りに椿さんの追及をかわす強かさもある。
瞬弥がぼろを出さなければ経費改竄成功率は9割8分。

良くも悪くも真ん中っ子きづみんですね。
調整役はいつも彼です。
洛叉監史の連中ほどではないけれどこの兄と弟も多少やらかしてくれます。
多分きづみんはママさん似だな。

頼れる部下の西家さん。
ぶっちゃけ裏帳簿つけてるんじゃなかろうか。
第九分隊はもう一人彼より年下のちょっと頑張りすぎな上司がいるので彼が調整役。逃げる隊長と突っ走る副官の手綱を握る財政係。
九分のおかんですな。
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