十六、【 テ ン ポ ル バ ー ト 】 






愛らしい磁器人形(ビスクドール)のようなお嬢様より、

寝首を掻こうとその切っ先を突き付けるくらいの気丈な女(ひと)が好い





部屋に流れるのは、荘厳なる聖譚曲(オラトリオ)。
壁際に置かれた蓄音機(フォノグラフ)から詠唱(アリア)が情緒豊かに漂い響く。
少し開いた出窓から入り込む風。
染み一つない白の帳の繊細な細工の刺繍を嫋やかに揺らす。
外は暖かみを含んだ光が溢れ、照明の点いていない部屋をその反射光と透過光でほんのり明るく照らしていた。
まだ真新しい柱時計は、朝というには遅く、昼というには早い時間を指している。

落ち着いた色調ながら品良く簡素にまとめられた部屋の奧、ゆらりと揺れる帳の横目に、璃王は安楽椅子に身を預けていた。
何をするわけでもなく、円盤(レコード)に刻まれた神に捧げる独唱に耳を傾ける。
頬を手に預け、静かに空間へと溶け込む。

今は派手な着流しではなく、部屋に馴染む白のシャツに黒のベスト、スラックスに革靴。
絹の袖口に在る上等な金緑石(アレクサンドライト)のカフス釦が微かな太陽光を受けて濃緑色を示す。
いつものように顔の左側を器用に覆う包帯はなく、
代わりに長めの滑らかな黒髪がさらりと流れて顔を隠した。


「悪趣味ネ」


聴覚を刺激したのは箱物から流れる機械的な音ではない、幼さを残す肉声。
その声のする方へ璃王はゆっくり顔を向けた。

向けた顔の先には青のリボンタイを首元に飾る洋装の少年がお盆を持って佇んでいる。
愛らしい部類に入る顔に表情はあまりなく、口調も可愛げがあるとは言い難い。
それを特に気にする事無く璃王は古拙の微笑を浮かべる。


「そう?」

「神サマなんて信じてナイくせニ。お願いでもしたいノ?」

「いいや、まったく。むしろ喰らい付いてその玉座から引きづり降ろしてやりたいところだな」

「熾天使(セフィラム)に燃やされるダケで無駄死にネ」


くすりと笑う璃王に少年 ―― 月(ユエ)はお盆に乗せた洋杯(コップ)を突き出した。
淡い光を透す液体は透明。
中身は只の水だろう。
そう思って受け取ると意外にもふわりと仄かに爽やかな香りが鼻孔を擽った。


「檸檬水?」

「香茶は服に匂いが付くカラネ」


月のさり気ない気遣いに、璃王は柔らかな笑みで応えた。


今日の璃王は機嫌が良い。
いや、最近の璃王は機嫌が良いと言った方がいいだろう。

先日の円鵠楼の件。
二度に渡って爆破をするのは予定外だったが、それは予想できる範囲内のこと。
首尾としては上々だろう。
軍の情報網・ゆるすべに姿を晒したのも予定の内。
わざわざ危険を冒してまで二度も爆破現場に行ったのはこれがその時期だと悟ったからだ。


一年前まで璃王は一条暹太郎率いる反政府組織・夜郎衆に属しながらもその名すら表に晒したことがない。
内輪でも顔まで知っていたのは極々一部。
つい最近までは参謀と資金援助に留まっていた。

それなのに何故表に出たかと言えば、璃王は自分を象徴(シンボル)と位置付けたからである。

派手な格好、突飛な言動、目立つ仕掛け。
しかし失敗などしない。
やることなすこと記憶に刻まれる宗璃王と云う男を、結束力と士気を上げる為に創り上げる。
行動には理由が必要で、人を動かすなら尚更だ。
それが人道的だろうが、感情的だろうが、論理的だろうが、決起の為に、切っ掛けになる為には理由を要する。
今は理由付けの時期なのだと璃王は判断した。

次の段階に行くまでに『宗璃王』と云う存在は、神話の英雄のように神秘性と絶対的な強さを装わねばならないだろう。

只の名前が時には神をも凌ぐ。
大袈裟だが、ここまでしなければ恐らく自分が目指す段階には行けない。

璃王はその為に洛叉監史にも姿を晒すことを選んだ。
彼らの目に留まれば自ずと軍に、軍総統に、そして帝にまで脅威になり得る。
欲しいのはそこだ。

加えて洛叉監史に何らかの損傷を与えれば箔が付く。
彼らの戦闘能力は群を抜き、一分隊が二十人にも満たない組織でありながら最強部隊の呼び声高い。
だから璃王は月を連れて円鵠楼へ赴いた。
動けば必ず洛叉監史も動く。
そうなるように餌を撒き、機を待った。



喉を鳴らして璃王が笑う。
それを怪訝そうに月が見た。


「キモチ悪い、リオ。変なモノ食べタ?」


月の辛辣な物言いにも動じず、璃王はまだ笑い続ける。


洛叉監史がかかれば誰でも何人でも良かった。
一分隊来たなら少し相手をして巻くだけでも良い。
一人なら殺せば良い。
今の段階ならそれで事足りる。

だが、あの日自分の眼に入ったのは、事もあろうか洛叉監史副史長だったのだ。

何と幸運なことだろう!
いもしない幻想の神に祈りたい気分だった。

洛叉監史において一、二を争う剣技を有し、神の意匠と畏怖される美貌と妥協を許さない判断力と行動力を兼ね備えた男。
相手にとって不足はなかった。
前哨戦としては最高の選択肢だ。
璃王が満足したのはそれだけではない。

あの、眼だ。
翠緑玉の瞳。

硝子玉の如く透き通るわけでもなく、
宝玉の如く煌めくわけでもなく、
自分を真直ぐ睨み付けるその、瞳。

明日に希望を見出だした眼ではない。
すべてに絶望を映し出す眼でもない。


嗚呼、あれは狂気に濡れる眼だ。


あの様子だと多分自分でも気付いていないだろう。
それに気付いたことすら璃王は歓喜する。

あれは自分の好みの類だ。
外側を装う容姿ではなく、内側から隠しきれない性質が、研がれず磨かれずまだ塊(まろかし)の狂気が。
まるでお気に入りの玩具を見付けた子供のように璃王は嬉しく思った。


行動には理由が必要だ。
しかし、それは人を動かし巻き込む時であって、自分の為に突き動くならば何ら必要ない。
敢えて理由を付けるなら
それは本能というモノ。
あれが欲しいと純粋に希(こいねが)う。



「捕まえられるなら首くらいやっても好いかな」


誰に聞かせるでもなく楽しそうに璃王は呟いた。


「リオ、頭大丈夫?」


本格的に心配になったのか月は璃王の顔を覗き込む。
覗き込まれることによって近くなった月の頭を璃王は徐ろに撫で始めた。
光によって極彩色の光彩を映す不思議な銀の色を持つ月の髪。
それは光の性質に合わせて色を移ろわせる金緑石(アレクサンドライト)のように煌びやかで神秘的である。
しかし、璃王が欲するのはこの光に染まる銀の髪ではなく、何もかも拒絶する銀の髪。
弾くのは光ばかりではない。
何にも染まらずすべてを拒む白銀の絹糸。
幻想的で絶望的で、それでいて酷く甘美な。
その銀(しろがね)の持ち主がこの手に堕ちれば狂喜する他ないだろう。


「大丈夫。ちょっと楽しいことを思い出しただけ」


人が見惚れる笑みを添えて璃王は答えた。


「ソレ、あんまりイイ考えじゃないデショ」

「俺にとっては最高の思考だよ?」


年端もいかぬ子供のように笑う璃王に月は小さく溜め息を吐いた。


「……ほどほどにネ。センとシムの胃、穴ボコだらけになるヨ」


月が釘を刺しても未だくすくすと璃王は楽しげに笑う。
その時、控えめに扉を叩く音が耳に入る。
続いて外から声が聞こえた。


「社長、お時間です」


その声に璃王は軽く答えて安楽椅子から立ち上がった。


「いってらっしゃいませ、社長」


折り目正しく腰を曲げ、月が恭しく礼をする。
璃王はその脇を通り抜け扉に向かった。

歩きながら髪を撫で付け、しまっおいた黒の眼帯を取出し眼に当てる。
左の眼ではなく右の紅眼に。

自然光から白熱灯へ。
場所を移動していくうちにカフス釦の金緑石(アレクサンドライト)が濃緑色から赤紫色へと変化を遂げる。
璃王の顔付きもそれに伴うように色を変えた。


「志村さん、」


扉を開け、別人のように嫋やかに微笑む璃王がそこにはいた。


「行きましょうか」


破綻的で、胆略的で、何より純粋で醜悪な感情をその笑顔の下に潜ませて、璃王は扉を静かに閉めた。


【了】
 

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