十五、【霞明け 一】 円鵠楼第二の爆破から三日後。 朝靄漂う早朝の西京の街を一台の黒い車が整備された石畳の上を黙々と走っていた。 淡い朝日を受け、黒光りする厳つい車体は軍仕様のもの。 帝への忠誠を表す、浮き上がる百合の彫金細工の紋章が何よりの証。 車内には運転手の他に二人。 共に漆黒の洋装をきっちり着込み、東からの旭日を浴びながら後部座席に座っている。 左側には色素の薄い柔らかな茶髪の男。 女性かと見間違うほど繊細で柔和な作りの顔と灰色の瞳は手に持った分厚い書類に向けられている。 右側には左側の男よりも少し短めの髪を軽く撫で付けた黒髪の男。 縁なしの眼鏡の奧から覗く紫紺の瞳は流れる風景に向かい、組まれた腕と足は微動だにせず形を保持している。 凛とした涼を含む清閑な住宅街から射し込むような空気を匂わす厳格な軍の敷地内に差し掛かったところで右側の男が口を開いた。 「渦嶋(ウズシマ)君、円鵠楼の件を再度確認できますか」 外に向けていた視線を僅かに隣に移して問う。 眼鏡に切れ長の眼とあっさりとした面立ちのせいか、その雰囲気は神経質さが際立った。 対する渦嶋と呼ばれた男は無表情にも関わらず、その顔立ちから穏やな柔らかい雰囲気を醸し出しながら書類に目を向け答えを返した。 「円鵠楼が最初に被害を受けたのは五日前です。未明に何者かによって爆破、被害状況は五基の塔の内二基が全壊、一基が半壊、残り二基は損壊を免れましたが修復不可能。死傷者はなし。 次に二度目の爆破が起こったのは三日前。全壊を免れた二基が爆破されました。爆破直前に現場付近で監査方が不審者七名を確認、追跡し五名を捕捉しましたがいずれも雇われただけの浮浪者で特定の組織関係者ではありませんでした」 「囮、か。それは確かですか」 「ええ、私が確かめましたから。吐かせるのが得意なのはご存じでしょう?」 呟くように出た質問に渦嶋は嫋やかな笑みで答える。 他人からすれば美しく和むそれは、気付く者には嫌に目につく微かな薄気味悪さが残った。 その差異を気に留めさせる間を与えず渦嶋は言葉を続ける。 「残りの二名ですが、追跡は失敗、追跡していたと思われる監査三名の内二名が死亡、一名が現在意識不明の重症です。夕美副史長が二名の内一名を追跡したそうですが、捕捉には至らず負傷しています」 渦嶋が一通り言い終える頃、車はゆっくり滑り込むようにある場所に止まった。 朝独特の霞が立ちこめる空気の中、目の前に聳えるのは洛叉過監史本部・白鶯館。 「詳しい話は夕美君に伺いましょうか」 そう言って男は渦嶋に続いて停車した車から降り立った。 整然とした歩みで男は真っすぐ白鶯館へ進む。 途中男を見た門番が直ぐ様敬礼をする姿を横目に見ながら二人は館内へと入っていった。 * * * * * * * * * * 始業時間前の白鶯館ではあるが、事件があれば朝も昼も勿論夜も関係ない。 今も先のテロ事件の関係から、早朝にも関わらず館内には夜勤明けと宿直、早朝出勤や臨時出勤の隊史で廊下がちらほら埋まっていた。 だが、最も慌ただしい場所はそれだけが原因ではなかった。 「副長?!何でいるんですか!?」 声を上げたのは木津宮。 持っていた議事録を落としそうな勢いで叫んだ木津宮の目の前にいたのは、いつものように眉間に皺を寄せる上司だった。 「仕事しにきたからに決まってるだろ。木津宮、お前今日は勤務か?」 「いや、臨時で入りましたけど。それより副長こそ何しにきたんです。今療養中でしょ?」 木津宮の言う通り、紅は脇腹に受けた刀傷の為抜糸する一週間は療養期間に入っているはずだ。 しかし当の本人はきっちり隊服を着込み通常業務をこなそうとしていた。 「己に休みなんざねぇんだよ。傷も大したことねぇから横になっても腐るだけだ」 慌てる木津宮を余所に近くにいた隊史にいくつか指示を出し、紅は足早に廊下を歩き出す。 「副長!そんな無茶したら本気で腐りますよ、傷が」 「そうですよ」 言い募る木津宮の発言に重なる声が廊下に響いた。 声の方に振り向けば視界に真っすぐ入り込んできたのは二人の男。 先ず目に入ったのは縁なし眼鏡に黒髪の男。 まとまった髪に細身で長身の風貌は神経質そうな文官を思わせる。 その男の一歩後ろにもう一人。 亜麻色の柔らかそうな髪をした穏やかに笑う男。 文句なしに美人と言えるような中性的な面差しは目を引く。 共に紅達と同じく漆黒の隊服を身に纏い、二人は対峙する。 先程声を発したのは黒髪の男の方だった。 「椿(ツバキ)輔佐官!」 咄嗟に敬礼する木津宮に対し、紅は不機嫌そうに眉間に皺を寄せただけで何も言わない。 黒髪の男はそれを気にする様子もなく更に言葉を発した。 「今は自宅待機との報告を受けていますが。 夕美君、貴方は木津宮君の言う通り、傷口を腐らせたいのですか?」 朝の澄んだ空気に刺さる硬質の声音。 透る声は聞きやすく耳馴染むが、怒気を含んでいないのに冷たさ故にその場に居合わせた者は否応なく背筋が伸びる。 「動くのに問題はない」 「誰が自主判断しなさいと言いました。戻りなさい」 一言で切り捨てる紅に椿はきっぱり言い返す。 椿の後ろに控える男以外は皆おろおろと様子を伺い見ていた。 「断る」 「却下します」 どちらも一歩として引く気はないのは明白。 運悪く巻き込まれてしまった木津宮と隊史達は、早急に胃潰瘍か頭痛に襲われそうなこの辛辣な空気に飲まれ、動くに動けない。 「では、選びなさい 今ここで抜糸されるのか、 昏倒させられて病院に強制搬送されるのか、 私の話を大人しく聞くのか」 最終通告とばかりに確実にかつ意図的に選択肢が狭められた選択を迫る。 紅にまったく物応じせず淡々とこの最終通告を告げるのは、洛叉監史史長輔佐官・椿真琴(ツバキ マコト)大佐。 「抜糸なら私にやらせて下さい」 唯一穏やかに笑みを浮かべ物騒に聞こえなくもないことを言うのは洛叉監史秘書官・渦嶋ヨキ少佐。 「……己の執務室でいいか?」 「それくらいは譲歩しましょう」 是と言う代わりに紅は来た道を引き返し、椿はその後に従う。 「あ、お早う御座居ます、木津宮中佐」 展開についていけず二人を見送ることしか出来なかった面々に、渦嶋だけが無邪気な笑みを添えて朗らかに朝の挨拶を言うのだった。 【続】 |