状況を全く飲み込めていない様子のウルに青年は少し眉を下げて苦笑する。
 たったそれだけの表情の変化が様になるのだから不思議で仕方ない。
 思わず見惚れそうになったウルは慌てて目を逸らす。
 
「立ち話もなんだし、向こうへ行こうか」

 手を差し出されてウルはおずおずと自身の手を乗せた。
 そして。順番が前後した気がするのだが、この男の名が分らないという事に気付いた。
 
「あの、失礼を承知でお尋ねしますが、貴方は……?」
 
 見上げなければならない程背の高い彼は、庭園が見渡せる位置にある椅子に座るようにウルを促した。
 
「僕はスバル」
 
 自身はその向かいに座る。
 タイミングを計って侍女達がお茶の用意を始める。
 
 彼はテーブルに肘をついてニコニコと笑いながらウルを見つめてくるばかりだ。
 というか、彼はあっさりと向かいに座ったけれど、イナミはどうしたんだろうか。彼女がここに来たらどこに座るのか。彼はイナミが来るまでの場繋ぎで、彼女が到着すれば退くのだろうか。
 侍女が淹れた紅茶を覗き込むと、困り顔の自分がいた。
 
「えっと……イナミ様はまだ来られないのでしょうか」
「そうだね、ごめん」
 
 何故謝られたのか分らず首を捻る。
 
「君が待ち望んでいるイナミは来ないよ。もうこの世にはいないんだ」
「……は?」

 男は瞳を揺らしながら、でも真っ直ぐにウルを見据えて。
 
「もういない。僕が食べてしまったからね」

 危うく手に持っていたティーカップを落としかけて慌てて指に力を入れる。
 まだ中に半分ほど残っていた紅茶が波紋を作った。
 言われた意味を正しく理解しようと食い入るように男を見た。彼は表情を崩さない。
 
「ああごめん、実際にモグモグ食したわけじゃないよ」
「もぐもぐって……」
「ウルが慕う、愛してやまない王女のイナミは消えて、僕になったんだ」
「も、申し訳ありません、仰ってる意味が、その」

 にこやかに彼は一体何を言っているのか。目を白黒させる。
 ウルが理解しやすいようにかなり噛み砕いた説明をしてくれたようだが、如何せん人を食べただ消えただと不可解な言い回しについて行けない。
 
 イナミが消えて、スバルになった?
 今、目の前に居る男性に、なった。
 
「ぶ、分化が……っ!?」

 がたりと腰を浮かせてしまった。漸く理解したらしいウルに、スバルは満足気に頷く。
 
「父上達があれやこれやと画策したけれど、僕は期待に応えられなかったよ」

 とんでもない事なのに、何故かスバルは楽しげだ。
 衝撃の事実にウルは頭がくらくらした。
 
 竜人は人間とは異なる生物だ。彼等は性別を持たず男でも女でもない中性として生まれてくる。
 そして外的要因、つまり生活環境と己の心理によって性別が別れるのだ。
 だから国王達は将来王太子との間に継承問題が起こらぬ様、イナミを女性にさせようとした。
 
 女性のドレスを着せ、そのような振る舞いを教え、ウルと引き合わせたのも妹のような存在の世話をすることで母性を引き出そうとしたのだろう。
 
 そうまでしたというのに、結果はこれ。見目麗しい貴公子が出来上がってしまった。
 
「兆候が顕れたのは僕が十二歳になる前。大慌てで生活環境を一変させられて、どうにか女になるようにしたかったようだけれど、一度男に傾いたものをどうこうするなんて、無理な話だよね。僕の気持ちの問題なんだから」

 心地よいテノールで語られる衝撃の事実をウルは黙って聞いていた。
 いや、何を言えばいいかなんて分からない。言えようはずもない。
 表情は固まり、脳は半ば思考を放棄している。
 
 今思えば、イナミが王都を離れる事になったあの状況はあまりに性急だった。
 何かに急き立てられるかのようで。
 それもそうだろう。焦っていたのだ。全部を切り離して心機一転し男への分化を阻止しようとした。
 
「気持ちの問題、ですか」

 周りがどんなに固めたところで、本人の意志が男性化に向いていればそれは仕方がない事だ。
 しかし過去を振り返ってみて、イナミがそんな素振りを見せていたかどうかウルは思い出せない。
 
 未だぐらぐらする頭を押さえながらウルはスバルを見やった。確かにイナミと同じく柔らかな笑みを称えてはいるのだが、同一人物としてはやはり見れなかった。
 
 両親を筆頭に周囲の期待と義務を蹴ってまで男性になった、その強い意志は何処からやって来たのだろう。
 とても穏やかで他者を慮る人だったのに。
 
「ウルは覚えているかな? 僕が男だったらウルと結婚するのにって話をしたの」

 子どもながらの、微笑ましいエピソードだ。頷くウルにスバルは笑みを深くした。
 
「あれが決定打だったと思うんだよね」
「は?」
「だから、僕が男になったのって、ウルをお嫁さんにしたいなって考えたからなんだ」
「……はぁっ!? あ、え!? 何言って」

 今度こそ紅茶は犠牲になった。テーブルを強く叩いて立ち上がったせいで、カップは倒れて少しだけ残っていた中身はテーブルに零れた。
 慌てず急がず、侍女が二人の会話を邪魔しない絶妙な立ち位置でそれを片付ける。
 
「立派なご令嬢に成長したけれど、そういう所は変わってない。可愛いねぇ」
「な……っ!」

 貴方は変わり過ぎです! そう叫びそうになるのを耐えた。目の前に居るのは誰だ。数年前まで共に過ごしていた幼馴染のイナミではないのか。
 そういう所ってどういう所よ。
 褒められたのだか貶されたのだか分らない言葉に恥ずかしくて頬が赤くなった。
 
「僕が王都に帰ってきたのも、今日君をここに呼んだのも目的は一つなんだ」

 テーブルについたままの手をそっと取られた。
 
「ウル、僕と結婚してください」

 手の甲に優しく口づけを落とされる。
 テーブルを挟んで少し前かがみになって立っているウルに、椅子に座ったままの姿勢のスバルが。
 貰った言葉は間違いなく求婚のもので。
 
「はああぁっ!!?」
 
 ふざけるな、なんだこのムードもへったくれもない流れで言いましたみたいな求婚!
 あんたリラックスし過ぎじゃないか!?
 
 一応は結婚に夢見るお年頃なウルは、まずそこに怒りが湧いて叫び、後から言われた内容の突拍子の無さに眩暈がした。
 
「結婚!?」

 私と、貴方が?
 問えばスバルはにこにこと頷く。
 
 脳と心の許容量がオーバーしたウルはそこで意識を手放した。
 
 
 
 

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