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 現在時刻十七時ジャスト。
 自分のデスクの上を片付け上着を羽織った興津 上総(おきつ かずさ)は、きりりとした表情で言い切った。
 
「お先に失礼します」

 ぽかんとする同僚先輩方の返事も待たず、すたすたとその場を立ち去り身分証を出退勤読み取りの機械に通す。
 ピッと高い無機質の音がフロア中に響いた。

「ちょっと、興津さん」

 ちっと舌打ちするのをなんとか堪えて、にこりと笑顔を張り付けて振り返る。
 すぐ後ろに立っていたのは、予想通りのお局の女性社員で、予想通りの険しい表情を浮かべていた。
 
「何でしょう?」
「いや分かるでしょ。今何時だと思ってるの」
「ウチの会社の定時は五時だから何も問題ないですよね」
「あるから言ってんのよ、普通この状況で帰る?」

 手を振ってフロアを見ろと指示され、素直に上総は見渡した。
 興味津々で眺めている者、またかと呆れている者、面白い事になったとニヤニヤしている者。
 殆どの人が着席している。それがどうしたというのか。
 
「皆さんは仕事が残っているのでしょうが、私は分担された分は全て時間内に終わらせて課長にも承認をいただいてます」
「あなたの分は終わってても他のみんなは終わってないんだから、手伝うとかそういう考えはないわけ?」

 ねぇよ。咄嗟に本音が口を突きそうになるが、さすがにそれを言えば金輪際この会社に足を踏み入れられなくなると理解しているので張り付けた笑顔のまま黙る。
 
 どうして、タバコ休憩だなんだと日中にぷらぷら長時間サボったせいで残業する羽目になっている人の分まで仕事を請け負わなければならないのか。
 こちとら早く帰る為に昼休憩まで削って仕事してたんだバカヤロウ。
 唾を吐く勢いで捲し立てる。もちろん心の中で。
 
「他誰も帰ってないでしょ、ちょっとは空気読みなさいよ」
「やる事もないのに無駄に会社に居座って残業代だけ毟り取るより、よっぽど空気読んだ選択だと思ったんですがね」

 ちらりとフロアをもう一度見れば、何人かが居心地悪そうに目を逸らした。
 テメェ等の事だ、と言ってやりたかったが我慢する。
 
「あの、すみません。私この後用事があるんですよ。そろそろ帰らないとホントにちょっと」

 腕時計を確認して、拙い! と言いたげに眉を寄せる。演技だ。
 
 用事はある。スーパーに寄って惣菜とビール(ダースで)を買い、更にレンタル屋でDVDを借りて家でまったりと見るという使命が。
 今日は所謂花金というやつだから、明日の朝の心配など微塵もせずに自堕落に過ごせる素晴らしい夜だ。誰が好き好んで残業などするか。
 
 もうこれ以上付き合ってられんと、「すみません」と一応形だけは謝り(何に対してかは上総にもよく分からない)、お局先輩の横をすり抜けてさっさとフロアを出た。
 
 
 上総は証券会社の営業課で働いていて、今年で四年目になる二十六歳だ。
 トレンチコートをなびかせて高いピンヒールで颯爽と歩く姿は、堂に入ったキャリアウーマン。
 だが会社的に見れば四年目などまだまだ新米も同然で肩身は狭い方だ。先輩方から小言をもらう事も多い。
 だが持前の負けん気の強さと図太さのおかげで、多少の波風は立てつつも何とかやってきている。
 逆にこの性格のせいで風当たりが強くなっているのは否めないが、本人は特にその辺を直そうなどという殊勝な考えはない。
 
 コートのポケットに入れていた携帯が震えているのに気付いて取り出す。
 画面に表示されている名前に顔を顰めつつ耳に当てた。
 
『おっまえなー! 気持ちは分かるけど、やりすぎ!』
「うっせーうっせー、私は悪い事なーんもしてない」
『悪かぁないがとんでもねー馬鹿だよなー』
「ばーかばーか、お前がばーか」
『小学生かっ!』

 笑い声の向こうからガヤが聞こえてくる。まだ会社に居るらしい。
 一体何の用で掛けて来たのかと思ったが、からかいたいだけのようだ。
 
「あんたもはよ仕事終わらせて帰れや」
『お前と違って俺空気読むからなー、仕事多いしなー』
「チンタラやってっからだろ無能。……あん?」

 カツ、とヒールを鳴らして立ち止まった上総は自分の前で起こっている事象に釘付けだった。
 金の光が地面から天に向かって突き刺すように放たれてた。
 
 イルミネーションかと思って位置をずらして覗いてみたが、ライトもなにもない。
 クリスマスにはまだ早いし、そもそもそんなこじゃれたものをするような場所でもない。
 
 『どうしたんだ?』と同僚の声が聞こえたが、上総は構わず通話を切った。
 



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