Aug.26th


8/26BrainBreaker無料配布




 紅雀がここに帰って来た時、びっくりした。
 女によくモテる紅雀なら、島よりも本土にいた方が綺麗な花をよりどりみどりだろうし、何より、連絡がなんにもなかったし。ある日家に帰ってみたら紅雀がなんかフツウに座ってて、ばあちゃんとドーナツ食いながら話してた。
 紅雀はすぐに島に馴染んで、島の顔になっていった。腕っぷしは強いし、顔は良いし、商売は髪結いだ。ふっと息を吐き出して笑いながら長い指で髪を弄られたら女はイチコロ、なのかもしれない。女との話し方は勿論だけど、なんていうか、紅雀は誰にでも平等に接するし、あしらい方が上手い。それでも変にふっかけてくる男ってのはやっぱ居て、女絡みでの喧嘩を買っているうちに紅雀はあっという間に男の信頼も取り戻していった。前に島にいたときと同じだ。何も変わってなくて、どういうわけかほっとした。前より色気五割増しくらいで前よりも女に囲まれるようになってる気はしたけど。
 紅雀の取り巻きは順調に増えていって、ちょっとしたチームみたいになってた。みんな気の良い奴だけど、紅雀の周りには女も多いし、面倒なことには関わりたくなくて、俺から紅雀に近付くことはあんまりなかった。勝手にうちに上がり込んでご飯食べるとか、そういうのは年中だけど。
 蝉がうるさく鳴く、八月も終わりに近付いた日。
「お、蒼葉じゃねえか」
 夕方、陽が落ち始めて建物の影が長くなり、少しは涼しい風が吹き始めた頃。配達のバイトからの帰り道、女と腕を組んで歩いている紅雀に声を掛けられた。女連れの時は無視するのが一番だ。だから、聞こえなかったふりをして道を曲がろうとした。家までにはちょっと遠回りになるけど仕方ない。
「おい、蒼葉、蒼葉って!」
 ごめんな、といつもより低く囁く声が聞こえて、きゃっ、と小さく黄色い声が聞こえて、それから近付いてくる足音が聞こえた。
「つれねぇじゃねーか」
 肩をがっしりと掴まれた。コイツ、無駄に育ちやがって。横幅はがっしりしてるし縦は長いし、もう壁だ。
「紅雀サンみたいに愛想良くないからなー、俺」
 棒読みで言ったのがいけなかったみたいだ」
「嫉妬か?」
「男が男に? 言ってろ」
 ふん、と鼻を鳴らして笑ってやる。
「なぁ、」
「ん?」
 するりと横に並んで肩に手を回してくる。大きく腕を回してくれてるのは髪に触らないようにしてくれてるんだろう。こういうことが男相手にもできるんだから女にはもっと気を使ってるんだろう。
「今夜はうちに来いよ」
「紅雀んちに? ばあちゃんの飯じゃなくて良いのかよ。お前って料理できたっけ」
 紅雀が肩を竦めると広めに開けた襟の間から見える鎖骨が動いて濃い色の影が出来る。
「タエさんの料理も食べたいんだけどな。まぁ、とにかくうち来いよ、このまま。仕事は終わったんだろ」
「お前は良いのか、夜のお仕事」
「言うようになったなー昔はそんなけがれたこと言わなかったのに」
「ばあちゃんに連絡しとく」
 紅雀の家にはあんまり行ったことがない。どっちかというと紅雀が俺の家に来ることの方が多いからだ。コイルを弄ってばあちゃんにメールする。背中を押されながら歩くうちに陽が落ちて紅雀の家に着いた。紅雀は洒落た感じの建物の三階に住んでる。二、三回しか来たことがないから、周りの雰囲気や空気にはまだ馴染めなくて、なんとなく緊張してしまう。
「お邪魔します」
 部屋に行くまでも入るまでもぎこちない感じになってしまって、他人行儀に言ったら。
「いらっしゃいませ、お嬢様」
 冗談めかして言われた。腕を前に回して一礼。こんなところが女の子にモテる秘訣なのか。わからない。とりあえず、一気に気が抜けたのは間違いない。客商売に向いてるよなぁホント。
「……うわぁ」
広いわけではない紅雀の部屋に一歩踏み入れて驚いたっていうか、引いた。
「何なんだよこの大量の花とか、花とか、高そうなお菓子とかその他もろもろ」
 部屋いっぱいに詰まっている花束の数々。色とりどりの花がいっぱいだ。かわいらしい、女の子が好きそうなリボンや紙で包まれた高級菓子。
「こういうの溜めこんで女の子に渡して営業してるのか?」
 他人の部屋のどこに座って良いかわからないまま部屋の端に立っていると、紅雀は大きなベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「あー、お前、ホント鈍いよな。かなり傷付いた」
 ベッドに大の字になって装飾品をぽいぽいと隅の方に投げてどんどん身軽になっていく。全部外して目を瞑っている紅雀は、外にいるときと違って少し疲れてるように見えた。紅雀でもこんなことがあるんだ。こんなに崩してくつろいでるところを見るのは初めてかもしれない。
「鈍いって、なんだよそれ」
 あんまりな言い方に眉を寄せてベッドに近付く。ぽんぽん、とベッドを叩いている。誘われてベッドに座るとふわふわで沈み込んだ。
「これで気付かないって鈍いだろー」
 紅雀が、ベッドサイドに置いてあった花束からピンクと黄色の華やかな花を一本引き抜いて、俺の髪を結んでいる紐の隙間に挿してきた。そこならあんまり痛くないってことを紅雀はよく知ってる。
「くすぐったいって」
 髪を花で擽られて、痛くはないけどくすぐったい。花。部屋いっぱいの花。女の子が好きそうなお菓子いっぱい。
「え、あ……」
 え? あ。失敗した。うっかり忘れてた。
「馬鹿蒼葉」
「馬鹿って言うなよ……悪かった」
「おいおい、本気かよ」
「ごめん……」
 忘れていた。
「先週、だよな? 誕生日」
 今日は、二十六日だ。
「サプライズか何かかと思った」
 紅雀はベッドに寝転がって目を瞑ったままで、長い手を伸ばして俺の肩を軽く叩いてきた。
「あんま凹むな」
「……凹んでねーし」
 嘘。かなり凹んでる。幼馴染で、何度も何度も俺を助けてくれたやつの誕生日忘れるとか。馬鹿。俺最高に馬鹿だ。よいしょ、と紅雀が身体を起こしてきて俺と視線を合わせてきた。
「別に良いから。女の誕生日ならともかく、野郎の誕生日なんて俺もろくに覚えてないって」
 情けない。俯いて、ぱらぱらと落ちてきた自分の髪で顔を隠した。恥ずかしいってより、本当に情けなかった。大切な人が生まれた日なのに。
『蒼葉。こればかりは仕方ない』
床に置いておいた鞄から蓮がひょっこり顔を出す。
『比較対象をごく一般的な成人男性として、その思考回路の強度を仮に一〇〇とすると蒼葉は……』
「ああもう」 
 こんな時に髪を掻きむしれれば良いのに。
「ごめん、ほんと、ごめん」
「ほーら、蒼葉」
 痛くない強さで頭を撫でられる。紅雀が立ち上がって、部屋中に置かれた包みをいくつか手に取った。
「こっち来いよ」
「う……」
 紅雀はテーブルに座り、言葉もない俺に手招きした。
「気にすんなよ。随分離れてたしな」
 紅雀は本土にいた時の話をほとんどしない。そういうことに少しでも触れる時には遠い目をしている。
「ごめん……」
「今日はそういうつもりで呼んだんじゃないって」
 ぽん、と乾いた音がした。赤ワインの口が開いている。いつの間にか用意されていた二つのワイングラスにとぷとぷと赤ワインが注がれる。
「もらいすぎて一人じゃ飲みきれねぇし、食べきれねぇし。だからお前に一緒に消費してもらおうって思ってな」
「……モテるやつは良いよな。そういやバレンタインもチョコの山だったもんな……」
 僻むみたいに言って、俺はまだ、忘れてたことを引きずってる。
「不特定多数の女の子からもらうのも良いけどな、タエさんからの一個の方が大切だろ」
「紅雀だってばあちゃんからもらっただろ」
 椅子に座って俯いていると、突然、視界に紅雀の手が入ってきた。
「あーおーば」
 甘やかすような口調で名前を呼ばれて、頬を撫でられた。昔、泣き虫だったころ、よくやってくれたんだ。
「ほら、飲むぞ」
「来年は絶対、絶対ぜっったいに祝ってやるから逃げるなよ!」
 ゲームのラスボスの捨て台詞みたいに言って。華奢なワイングラスを掴んで天井を向いて一気飲みした。
「おい、おいおい。お前強くないだろ」
「良いんだよ、おかわり!」
 紅雀のやさしさは嬉しくてつらくて、でもこんなことで悩んでるのも女々しくて情けない。一気に飲んで忘れよう。ゆっくりと顔色を変えずに飲む紅雀をまともに見られないまま、俺は何杯も飲んだ。何杯飲んだか覚えてない。ワインボトルが二本、日本酒の瓶が二本、気付いたら転がっている。でももっとあるようにも見える。ふらふらしてよくわからない。紅雀も相当飲んだはずだけど、俺もかなり飲んだ、んだと思う。多分。気持ち良い。ふわっふわする。
「紅雀ぅ」
 がた、と音を立てて椅子を転ばせて立ち上がる。
「蒼葉、顔赤いぞ、大丈夫か」
 椅子に寄り掛かってくつろいでいる紅雀に近付く。ぐい、と、おでこがくっつくくらいに顔を寄せた。
「この顔」
 むに、と紅雀の頬を掴んで引っ張る。
「痛い、って」
「この顔ずるい、んだって。余裕、ぽくて」
 紅雀の足を跨いで座って、向かい合う。すぐ近くに紅雀の目がある。きらきらして綺麗だ。全然酔ってない。もっと見たくて、紅雀の髪に指を入れて顔を近付ける。さらさらした髪が熱くなった手に触れて気持ち良い。
「ずるいって、なにが」
「かっこよく、て……ずるい」
 もう舌は回らなかったけど、紅雀の顔はよく見えた。
「っ」
 紅雀が息を呑んだ気がしたけど気のせいに決まってる。紅雀は女に慣れてるし、きっとこういうことも慣れてるし、こんなことで動揺するわけがない。
「こう、じゃく」
 くらくらして身体が傾いた。
「おい、蒼葉……っ」
「紅雀……誕生日、おめでと」
 傾いて倒れて紅雀に近付いて。


 唇と唇が、触れ、て――?



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