white rosy grave marker


 しとしとと雨が降っていた。トシマにいた頃のように突き刺さる程無慈悲なわけでもなく、ただただ地面に水分を与えている。それはアキラに何の感慨ももたらさず、雨と名付けたところで結局は物質でしかなかった。



 人気のない建物の一室に籠もって数日経った。シキは、まあ当たり前のように恨まれることが多かったから、トシマを出て以来命を狙われることが多々あるわけで、今だって逃げている。
 情けないとは思う。
 こちら側も相手側も話すことすら出来ず、いつだって暴力を振るうことしか出来なくて。解決には程遠く、性交にも酷似した獣染みた行為。
 アキラだって、トシマで人を殴って殴って殴り続けて……喜んでいた自分がいたことは否定したくても否定出来ない事実。
 トシマを出てからもナイフの訓練は欠かさなかった。いつ襲われるかも分からない状況でのんびり暮らしている訳にもいかず、いくら復讐だからと言われても、はいそうですかと言って命を簡単に差し出してやる程の自己犠牲精神に溢れているわけでもない。自分のことすら満足に出来ない人間が他者に対して優しくなれるわけがない。
 いつか、珍しいことにシキがアキラの練習に付き合ったことがあった。トシマを出てしばらく経った頃だったろう。
 ナイフと刀がぶつかって金属の噛み合う不愉快な音が響いた。そして己の得物を取り落とす。

 シキが。

 シキの愛刀が地面に転がった。
 アキラは一瞬言葉を紡ぐことすら忘れた。
「……何、やってんだよ」
絶対的な強さを持っていたシキ。
 ……nを殺した時、間違いなく何かを失ったシキ。
 最近だってアキラよりも的確に素早く敵を斬っていた。
 それなのに。
「本気か? 真面目にやれよ!」
思わずシキに掴みかかった。今度こそ防がれるだろうと、そう思ったのに。
 あまりに易々とシキに手が届いた。
 何かを失った赤い瞳が見るともなくアキラを見ていた。そして。
「何故殺さん?」
今度こそ目を見開いた。シキの言っていることの意味が分からなかった。
「本気なのだろう?」
どんなにシキの顔を見つめても何も分からなかった。以前はあまりに冷たくて表情が読めなかったが、今はただ虚ろで。
 シキの服を掴んでいた手を放した。そうすることしか出来なかった。
「シキ」
名前を呼んで、地面に落ちた刀を拾い上げて渡した。シキは無反応に受け取って鞘にしまった。
「強くなったな」
シキが言う。
 違う。いや、そうだ。強くなったに決まってる。……シキが弱くなるわけはない。つまりは俺が強くなったんだ。絶対、そうだ。


 そんなこともあった。思い出しつつ窓の外を眺める。
「……シキ?」
黒い影。
 てっきり同室にいるとばかり思っていた。改めて周囲に視線を走らせてみればアキラ以外の人間の気配はない。
 だとすれば、外で佇んでいるのはやはりシキなのだろう。
 あれが?
 以前ならばどんなに黒い服を纏っていたって、闇の中でさえはっきりとした存在があったのに。いつだって鮮烈で怜悧な、見間違えようのないシキだったのに。
 今は空気に限りなく溶け込んでいるかのようだ。黒い服も漆黒の髪も薄闇に混じってしまって。
 今にも消えてしまいそうで。
 窓を開けて名前を呼ぼうとして思い止まった。僅かな刺激にも吹き飛びそうな不自然な均衡を、少しでも長く保っておきたいと思った。
 立ち上がって部屋のドアを開け、廊下に出る。建物から出て角を曲がる。
 シキが先程見た時と変わらぬ姿で佇んでいた。全身に雨の雫を受けて、革の上で雫はさらに小さな飛沫へと弾ける。
 すぐ近くに見えていて、しかしそこにはシキがいないような感覚。アキラはもどかしささえ覚えて、シキの方へと歩みを進めた。
 どんなに近づいてもやはりシキの気配は希薄だった。それにシキは綺麗だった。
 ただそれは以前のような強さに由来し、何者をも近付けない美ではなく、例えるならば桜の美しさ。しかも散る間際の不安定さを感じさせるような、虚しさを感じるような儚さ。思わず抱き締めたくなるような。
 シキの周りの時間は止まっていた。
「風邪引くぞ」
何故だか居たたまれない気分になってシキに話し掛ける。
「……くだらん。俺が風邪か?」
言葉は昔から変わらないのだけれど。
「……今のシキなら」
シキは何も言わなかった。
「こんなとこで何してたんだよ。こんなに、濡れて」
「昔を思い出してな」
「昔?」
「お前を拾った時も雨が降っていた」
結局同じことに思いを馳せていたのだと気付く。だがアキラにとってはまだこんなにも身近なことなのに、シキにとっては。
「……つまらん感傷だったな。忘れろ」
そう言って、天を仰いで目を細める姿はあまりに儚い。
 今にも雨と一体になってしまいそうに思われて、アキラはシキの服を掴んだ。
「何だ」
そう言われてしまえばきまりが悪くなってすぐに手を放す。
「……とにかくこんな所に立ってたら冷えるだろ」
アキラが先に歩き始めると後ろをついてくる気配があって、何故か胸を撫で下ろした。



 しとしとと雨が降っている。トシマにいた頃のように突き刺さる程無慈悲なわけでもなく、ただただ地面に水分を与えている。
 水にすぎないはずなのに、何故寂しくなるのだろう。
 静かに降り続く雨は重い。



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