星の話


2011夏コミ無配
ライル+ニール


 あの人のことを、俺は何て呼んでたっけ。
 愛してるんだ、これでも。思い出す分だけ愛が強くなって深くなって、離れたくなる。忘れたくなる。だって、あの人にはもう会えない。あの人は俺を置いて勝手に死んでしまった。それでも、思い出してしまう。距離を埋めるために大切だった時間の多くを離れてすごしたせいで、あの人に関するやさしい記憶のほとんどは昔話になってしまう。どんなに長く離れていても、俺は結局あの人から離れられない。血が繋がっているし、遺伝子が同じだなんて、つまらなすぎる。あの人は俺に忘れられないものを刻んでいった。それを恨んでいる。憎んでいる。
これはくだらない懐古に浸る思い出話だ。遠い昔話、でも記録というにはあまりにも鮮やかに思い出される。ずっと一緒にいたら思い出さなかったかもしれない話。



「お兄ちゃん」
まだ片手の指とちょっとで年齢を数えられる頃、ニールはいつもライルより早起きで、ライルよりも支度が早くて、でも先に学校に行ったりはしなくて、遅刻しそうになるライルを急かしながら、いつも遅刻ぎりぎりの時間まで待ってくれる。ニールが決めたぎりぎりの時間にも間に合わなくてニールが先に家を出てしまったある日、ライルは一生懸命ニールを追いかけ息を切らして走り、校門のほんの少し手前のところでようやくニールに追いついた。
「間に合って良かったな、ライル」
はぁはぁと荒く息をして肩を揺らすライルの頭をニールがよしよしと撫でて、風に乱れた髪を直してくれた。予鈴が鳴っているのを聞きながら二人で一緒に校門をくぐった。
 ライルとニールは別々のクラスで、廊下で別れてライルは教室に入った。一歩遅れて教室に入ってきたクラスメイトの男子はにやにやと笑ってライルを見た。
「こいつ、兄貴のことまだ『お兄ちゃん』とか呼んでんだぜ」
ライルを指差しながらクラス内に向かって大声で言った。悪気があるわけでもない、背伸びしたい気持ちと子どもらしいプライドが混ざってクラスメイトが言った一言に、女の子たちはくすくす笑った。大したことじゃない。いじめというにはほど遠い笑い話。
「んなのどうでも良いだろ、ほっとけよ」
「ライルちゃんはかわいいなー、ブラコンだなー」
ライルちゃんライルちゃん、ブラコンのライルちゃんとからかわれ抱きつかれるのを軽く流してライルは笑った。笑って流して冗談を言って、お前だってまだ姉ちゃんと風呂入ってんだろ、とか言ってクラスメイトが笑って、いつも通りの楽しい一日だった。


「ライルおかえりっ」
「お兄ちゃんおかえりー」
先に帰っていたニールと一日中家にいたエイミーに出迎えられて、ニールの屈託のない笑顔を見て、クラスメイトの言葉を思い出した。あぁそうか、俺って案外ブラコンなのかもしれない、とクラスメイトの言葉が腑に落ちた。周りからそう思われているとしたら、恥ずかしい。ニールは兄だが双子で、同い年だ。ニールの方が兄だと認めているようで、兄だから自分よりも有能だと認めているようで悔しい。
「ただいま、エイミー、……ニール」
一瞬だけ考えてから、ライルは答えた。
「……ライル、何かあったか?」
ニールは変化に敏くて、すぐに気づいたようだった。
「別に、何も」
「だって、ニール、って」
「この年でお兄ちゃんとか呼ぶの変だろ? 大体、双子だし」
双子なのに兄と弟で分けるなんて馬鹿げてる。人当たりの良い兄とひねくれた弟。双子で見た目もそっくり、声も同じなのに中身は全然違うのね、なんて、俺たちを少し知った気になっている奴の言葉は聞き飽きた。兄と弟、双子だから、比べられるんだ。不公平だ。双子じゃなくて兄と弟ならまだ良かったのに。
「ライル……」
兄だからって過保護っていうか、兄ぶってる。双子で生まれた順番がちょっと違うだけなのに変だ。寂しそうに名前を呼ぶニールを無視して自分の部屋に入った。自分の部屋と言ってもニールと同じ部屋だし、部屋には同じものが全部二つずつ。喧嘩にならないように同じものをライルとニールに。そんな配慮があって、髪型も同じで、服もそっくり。対称な双子で、でも中身は違うから比べられる。比べやすい。
「ライル、ご飯できたって、母さんが」
ニールの顔を見たくなかった。
「おにい……ニールだけ食べれば」
毛布を頭から被る。ライル、冷めるって、ライル、と何度か呼ぶ声がして、それから静かにドアが閉まる音がした。ライルのおなかがぐぅ、と抗議の音を立てた。ニール、ニール。明日ニールのことを呼ぶ呼び方を間違えてしまわないように口の中で何度も呟くうちに寝てしまった。


 翌朝、早く寝たライルは寝坊しなかった。ニールより早く支度を終えて、パンを口に突っ込んでニールより先に家を出た。
「ライル、ちょっと待てって」
後ろからニールの足音がして、ライルは走った。ニールとの距離が再び離れていく。息を切らしたまま校門にたどり着いて、何事もなかったかのように息を調えながら階段を上り、教室に入る。
「あれ? 今日はあの人と……ニールと一緒じゃないの?」
クラスメイトの女の子ががっかりしたように言う。ニールは小さい頃から誰にでもすごく好かれていた。大人からも子どもからも、女の子からも男からも。女の子があの人、と言ってから躊躇いがちにニールと呼んだのを聞いて、あの人、という言葉がとても便利に思えた。
「あの人のことなんてどうでも良いだろ」
ライルがニールのことをあの人と呼んだのはその時が初めてだったかもしれない。あの人、という言葉は声に出すと思った以上によそよそしくて、距離があって、ちくちくしていた。
「それより、俺と付き合わない?」
クラスで一番可愛いと評判の女の子に笑いながら言った。ライルは別にその子のことは何とも思っていなかったけれど。
「あの人と顔も声も一緒だし」
「え……」
この子はニールのことが好きなのだ。
「あの人のフリ、してあげても良いし」
別にこの子はどうでも良いし、あの人のこともどうでも良い。ただちょっと、遊んでみたくなった。幼い子どもの恋人ごっこ。女の子が誰が一番格好良いとか、あの子が好きとか、そんな話題で盛り上がってるのにちょっと乗ってみようかと思った。ニールがどんな顔をするのだろうと思った。女の子がニールとライルの違いに気が付くのか気になった。それに、付き合えば、この子と帰ればニールと帰らずに済む。
その日の放課後、黒板に一筆書きの傘とライルと女の子の名前が描かれてひやかされて、その女の子と手を繋いで下校した。帰る途中でぱっと女の子の手を放して別れて、付き合うのをやめた。ニールのことばかり聞かれるのが嫌だった。俺とニールはいつだってちゃんと区別されてるんだ、優れているか優れていないかというところで。


「ライル、彼女出来たんだって?」
帰ったら、どこからそんなに早く伝わったのか、ニールが自分のことみたいに喜んでいた。
「俺の彼女じゃない、もう別れたし」
「え?」
「あんたの彼女」
ニールのことが大好きで、でもニールはそんなことには興味がないから、だから女の子は仕方なくライルを選んだ。つまらない。おもしろくない。自分で自分をつまらなくしてる。恋人ごっこなんて、女の子の遊びだ。本当に大切な人はきっとこういうのじゃない。
「外、行こうぜ兄さん」
兄さん、なら良い気がした。いい年して「ちゃん」なんてつけるから変なんだ。兄さん、とライルが呼ぶとニールはライルの手を引いた。
「行こう、ライル」
空の東側、沈む夕陽の反対に一番星が見える。近くに月もある。うっすらと光っているそれは満月だ。日没も同時にやってくる。ニールはいつまでもいつまでも、ライルの兄だ。月と地球が引き合うように、いつだって互いに引き寄せられる。




「バカみてぇ」
子どものすることだし、当然だ。自分の過去を掘り起こして、ライルは眼下に地球を見ながら煙草の煙を吐き出した。お兄ちゃんと呼ぶのを嫌がっておきながらおてて繋いで仲良く散歩だなんて我ながら情けなさ過ぎて笑っちまいそうだ。
「どうした、ライル」
「ん? あぁ、刹那。ちょっとあの人のことを……兄さんのことを思い出してた」
「そうか。楽しそうだな」
無意識に笑っていたらしい、ライルは慌てて表情を引き締めた。
「そんなことねぇし、あの人は最悪な兄さんだったよ。すっげぇブラコンだし。どうせお前のことも甘やかしてたんだろ?」
刹那の口元からふっと力が抜けて、いつもまっすぐで硬い唇の端が少し持ち上がった。
「いつも牛乳ばかり飲ませられた」
ははっ、と軽く笑うライルの声に嘘はない。ここにはライルの知らない時のニールを知っている人がたくさんいる。その一人ひとりが不意に漏らすニールの顔はガンダムに乗っていても変わっていなくて、駄目な兄で、何も真面目な顔をしなくても良いのだと勝手に顔が緩んだ。
「兄さんはずっとお節介だったんだな」
「似てるんだな」
過去形の会話は寂しくて懐かしい。大丈夫、双子だ。地球は丸いからたとえ反対方向に進んでたって会いたい人にはいつか会えるし、だだっ広い宇宙にも限りがある。引力だってあるから、どんなに遠いところにいるとしてもまた兄さんに会える。そうだった、俺も相当、兄さんのことが好き。
ふと、暗い宇宙と明るいデッキを分断するガラスに映る自分の顔を見つけた。ニールそっくりで、けれど煙がたなびいていて、思いの外近くにいたニールと自分に苦笑した。


つまり、いつでもそこにあるけれど手の届かない星の話。




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