お薬二人分


 おろおろ。
 アレルヤはおろおろしていた。
 心を落ち着けようと深呼吸をするものの上手くいかず、ドアの前を行ったり来たりする。ドアの向こう側にいるはずの人に声を掛けるためにパネルを操作しようと手を伸ばしては、結局引っ込める。そのドアは、同じガンダムマイスターであるロックオン・ストラトスの部屋のドアだ。大きな背を少し屈めて部屋の前をうろつく姿は、傍から見たら変質者に見えかねない。
 どうしよう。
 バカじゃねぇの。とっとと突っ込めば良いだろ。
 心の中での自問自答に自分の中に居る半身が答える。乱雑な口調で、しかしアレルヤを後押ししてくる。
 ロックオンが、今朝のブリーフィングに出てこなかった。ロックオンはいつも必ずブリーフィングに出席する。ブリーフィングはガンダムマイスターの義務ではあるが、我が道を行って従わないメンバーもいる中で、ロックオンは律儀に出席する。ミッションや世界情勢に対する意見を言うのは勿論だが、刹那とティエリアのような年少組を気に掛けて声を掛けたりすることを大切にしている。だから、ロックオンがブリーフィングに出てこないなんて、何かあったに違いないのだ。スメラギに訊ねても、ロックオンも寝坊することくらいあるわ、と曖昧に濁されるばかりだった。
 そこまで思い返してようやく、決心がついてパネルに触れる。
「……誰だ?」
警戒心のうっすら浮いた声が聞こえた。
「僕です、アレルヤです。その、どうしたのかと、思って……」
プトレマイオスの中で、なんで警戒してるんだろう。ここにはロックオンを傷つけるような人は誰もいないのに。
「早く持ち場に帰れって。今部屋片づいてなくて汚いし」
「ここを開けてください」
すぐそこにロックオンがいて、何か様子がおかしいのに顔を合わせずに帰るなんて絶対に嫌だ。神経をとぎ澄ましてドアの向こうにうっすら気配を感じながらドアの前から動かない。何かが変だ。超兵の直感のようなものがそう伝えてくる。お前は変なところで頑固だよな、とくつくつ笑う半身だって、ロックオンのことが心配なのだ。いつもなら自分のことだけ考えろとか言うくせに、今はそんなことは言わない。
「開けて」
強い命令口調で言う。アレルヤがひかないことを察したのか、すぅっとドアが開いた。
「……ロックオン?」
部屋に入ってみるとフットランプしか点いていなくて薄暗い。その奥、簡素なベッドの上に塊があって、もぞりと動いた。
「どうしたんですか?」
毛布を被って丸くなっている。
「……本当に寝坊?」
「これ見て寝坊とか、お前どれだけ空気読めないんだよ」
ばっかじゃねーの、とハレルヤも言う。
「え?」
「寒いんだって!」
「そう、ですか?」
トレミー内の空調はいつも通りで、それなりに快適な気温だ。
「快適ですが……」
あほ、とハレルヤが笑いすら抜けて呆気に取られた声を上げた。
「だから、風邪、ひいた……」
しゅん、と萎れた声がした。
「風邪?」
そういえば、言われてみれば、少し声が掠れているような。セックスの名残かとも思ったが、そうではないらしい。
「悪かったな、マイスター失格で」
毛布の塊から手が伸びてきて、ティッシュを一枚掴んだかと思うと、ロックオンはずびずびと鼻をかんだ。毛布から頭と手だけが出ていて、まるで亀みたいだ。
「かぜ……」
「何度も繰り返すなよ、情けなくなるだろ……だから、言うなってミス・スメラギに言っておいたんだけどなぁ……うつすかもしんねぇし」
「すみません、僕、あんまり病気したことないからそういうの疎くて」
気付かなかった。ロックオンの体調が悪いなんて。
「スメラギさんは特に何も言ってませんでしたよ。寝坊したからブリーフィングに来なかったって言ってました」
「それはそれでどうだろうな……」
鼻をかんだティッシュを丸めてロックオンが宙に放った。ふらふら漂うそれをつかまえてダストボックスに捨てる。
「風邪って、どんななんですか」
「寒い」
ロックオンは丸めていた身体を伸ばし、仰向けに寝た。勿論、毛布はしっかり巻き付けたままだ。
「大丈夫、ですか……?」
寝ているロックオンに近付いて顔を覗き込む。火照っているようで、いつもは真っ白な頬が真っ赤になっている。長い栗色の前髪を掻き分けて手のひらを額に当ててみる。
「っ、あつい!」
「だから、風邪だって」
風邪。自分自身には馴染みのない言葉を心の中で反芻する。風邪ってよく言うけど、こんなに辛いものだったんだ。当たり前だろ、ハレルヤが言う。
「大丈夫ですか?」
唐突に不安になって、ロックオンの潤んだ瞳を見つめた。
「大丈夫だって。薬も飲んだし、寝てりゃ、午後には熱はひいてるだろうから気にしなさんな」
「本当の本当に大丈夫?」
「大丈夫だって」
「僕に何か出来ることは……あっ、風邪ひいたときって、首にネギを巻くんでしたっけ? あれ? 梅干し?」
懸命に記憶を辿って思い出したことを、順序立てることも出来ずにぽんぽん口にした。確か、刹那がそんなことを言っていたような。あれ、違ったっけ? 巻くのはごぼう? 貼るのはきゅうり?
「誰だよ、そんなこと言ったの……」
はぁ、と深くため息を吐いているロックオンの隣で、アレルヤは再びおろおろと挙動不審に陥っていた。大切な大切なロックオン。彼のために、何が出来るだろう。
「食べ物は消化に良いおかゆ? 栄養補給にステーキ……?」
ぐるぐるぐる。頭の中が整理できない。
 ったく。舌打ちが聞こえた。ロックオンではないが空耳でもない。ハレルヤだ。お前の身体とっとと渡せ。そしたらすぐ終わらせてやんよ。そんなにぐだぐだしてたら治るもんも治らなくなるだろ。
「えっ、え……ッ」
「ん? どうしたアレルヤ」
「んァ? 誰がアレルヤだって?」
ロックオンが一瞬だけ目を丸くして、すぐにまた布団に潜った。
「また、すげぇうるさいやつが出てきたな……」
「ひでぇ言い草。俺はあいつより役に立つぜぇ?」
言って、ハレルヤはすぐにロックオンの部屋を出た。後ろも振り返らずにすたすた歩いていってタオルを見つけ、桶に水と氷を入れる。そうしてすぐ、部屋に戻った。
「ほら、これがありゃ、ラクだろ」
「……お前、どうして詳しいんだ?」
アレルヤが寝てる間に調べたなんて言ってやるものか。いつか、こいつが風邪をひくとか、そんなことを考えたわけじゃない。馬鹿は風邪をひかないとは言うが、アレルヤがいつか風邪をひくかもしれないと思ったのだ。断じて、こいつのためじゃない。
「薬も飲んだなら、とりあえず寝たいんだろ? これ乗っけてとっとと寝ろよ」
桶に浸してびしゃびしゃに濡らしたタオルを絞り、放り投げるようにしてロックオンの額に置いてやる。
「お前がこんなにお節介だとは知らなかったな」
「お節介だぁ? 俺様に風邪うつされたら困るだけだ」
「へぇ」
「とっとと寝ろって。眠れないなら子守唄でも歌ってやろうか。それともずっとここに居ておててでも握っててやろうか?」
それは僕がする! とアレルヤがうるさい。お前は寝てろよ、俺がやる。
「あー……そうだな。ここに、いてくれよ」
「……気持ちわりぃ、素直で」
「熱あるからだって」
ハレルヤが手をロックオンの毛布の中に入れるかどうか迷っているうちに、手が勝手に動いた。アレルヤの仕業だ。
「ちょ、てめ……」
「ん……? 手、冷たくて気持ちい……」
もう眠りに入りつつあるのだろう、目蓋を閉じてぼんやりとした声でロックオンが言った。ロックオンの手は熱を孕んで酷く熱い。
「二人とも、いてくれよ? ここに」
一人で二人、二人で一人。一人より、二人で看病した方がきっと治るのも早い。
 薬が切れてロックオンが目を覚ますまで、二人は静かにロックオンの寝顔を視姦しつづけたのであった。




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