林檎ウサギの幸運


アレティエ






「スメラギ・李・ノリエガに頼まれた」
物音に目を覚ますと実に不機嫌な表情で恋人が入り口に立っていた。そこからベッドで寝ているアレルヤに近づいてこようとはしない。
「……もう少しくらい近付いてくれてもいいんじゃないかな」
「盛るなよ?」
「僕のこと何だと思ってるの、ティエリアっ」
「生物は死が近くなると生殖本能が強くなるらしい」
「そんなんじゃないから! ただの風邪だよ!」
「お前でも風邪ひくんだな」
恋人は僕のことを馬鹿だと思っているらしい。
渋々といった様子でアレルヤに歩み寄ったティエリアは不遜な態度でベッドから少し離れた場所に置かれた椅子に座った。横たわったままティエリアに触れようと手を伸ばしたら、逃げられた。
「風邪がうつる」
「平気だよ、これくらい」
「君はまず、マイスターとしての恥を知れ。体調管理もできないとは……」
「ごめんなさい……」
その点については反省するしかない。確かに、ミッションに支障をきたすようなことをしてはならい。ガンダムに乗る者ともなれば代わりもきかない。素直にうなだれていると、頭にぽんと手を乗せられた。
「悪いと思っているなら構わない」
「へ?」
予想外の手はすぐに離れていってしまう。名残惜しく思う間もなく、アレルヤ腹の上にどさり、と何かが乗った。籐で編まれたバスケットだ。
「重いよティエリア……」
「見舞いだ」
ティエリアがバスケットを覆う白い布を外して現れたのは艶やかな赤い林檎。
「え、え……ティエリアから……」
「スメラギ・李・ノリエガに頼まれた」
……こういう時に無視して欲しかった。夢を見せてくれたって良いじゃないか、ティエリア。


ベッドの傍らに置かれた椅子に座る恋人を見て溜め息を吐いた。うさぎさんの形をした林檎がしゃりしゃりと噛み砕かれて花弁のように愛らしい唇に飲み込まれていく。
「あの、林檎……」
「林檎がどうかしたか」
一切れ食べ終えたティエリアが林檎の蜜に濡れた指を赤い舌先でちろちろと舐めている姿に目を奪われる。アレルヤはどこまでもティエリアに弱い自分にがっくりと肩を落とした。
「あのさ、普通は看病する人が剥いて食べやすいように小さく切ってくれたり、あーんして食べさせてくれたり、あわよくば『熱を冷ましてあ、げ、る』って襲ってくれたりするんじゃないの?」
「君は案外器用だな、アレルヤ・ハプティズム」
ベッドの上で上体を起こしているアレルヤは、はぁ、と溜息を吐いて自分の手元に目を落とした。切りかけの林檎とナイフがアレルヤの手の中にある。
お前が剥け、とばかりに二つの品を押しつけられれば、悲しいかな、断ることも出来ずに素直に手にとってしまう。しかもわざわざ可愛らしいうさぎさんに切った林檎はティエリアの口へ運ばれた。結局、アレルヤが食べたのはウサギさんを作るときに切り取ったほんの少しの皮だけだ。
「アレルヤ」
「ん、何?」
「もう一切れ」
「わかりました、お姫様」
「茶化すな」
「そう言ったって……」
病人に林檎を剥かせるのだから、それ以外に何と言ったらいいのだろう。別に林檎を剥けないほどに体調が悪いわけでも、剥かされることで苛立つわけでもないから構わないけど。
弓形に一切れ切り取って、皮を途中まで剥き、切れ込みを入れる。その作業が珍しいのか、ティエリアはアレルヤの手元をじっと見つめている。切り取った皮の欠片を自分の口に放り込み、出来上がったうさぎさんをティエリアに手渡す。置くための皿も、食べるためのフォークもティエリアは持ってこなかった。ティエリアに常識を求める方が間違っているのだ。
ティエリアは受け取った林檎ウサギをそのまま口に運び、もぐもぐと無言で食べている。日頃食べ物に全くと言っていいほど興味を持っていないティエリアにしては珍しい。
「美味しい?」
問えば素直にこくりと頷く。これもまた珍しい。
「林檎なんて珍しくもないでしょ?」
「こんな形は初めて見た」
「あぁ、そっか」
ティエリアは好奇心自体がない訳ではないのだ。一度興味を失ったらそれまでだが、新しいものに対しては幼い子供みたいに何でも知りたがる。
「君も作ってみるかい?」
「僕が?」
すぐに身を乗り出してくる。
「うん、簡単だよ」
にやけそうになるのを堪えながら優しげににっこり笑い、切りかけの林檎とナイフを差し出す。しずしずと受け取ったティエリアがアレルヤの方を伺ってくる。
「まず、一切れ分切り取って……」
ティエリアがおどおどとナイフを持つとぎこちなく林檎に埋めていく。見ているアレルヤまでハラハラしてしまう。滑らかとはいかない動きでゆっくりと時間を掛けて弓形に切り取られた林檎の断面は凸凹だ。
「それから、皮を半分くらいまで……」
「――ッ、もういいっ」
皮にナイフを入れるところで投げ出したティエリアは、そのまま皮ごとむしゃむしゃと食べてしまった。半分ほど残っている、まだ芯の付いている方の林檎はアレルヤの口に押し付けられた。
「えぇっ、ん、む……」
押し付けられるままに受け取り、もごもごと食べる。噛む度に溢れる果汁のせいで手はべたべただ。残った芯をごみ箱に放り込む。
「食べ終わったならとっとと寝ろ」
ぷいっ、と顔を背けて不機嫌なティエリアの要求に逆らおうと思えないのは惚れた弱みなのだろう。
「でも、手を洗いにいかないと……」
「手? あぁ」
果汁に塗れて光っているアレルヤの手を見て、ティエリアはぐいっとアレルヤの手首を掴んだ。
「そんなの舐めてしまえばいいだろう」
「へっ?」
言うなり、ティエリアはアレルヤの指にぺろぺろと舌を這わせ始めた。
「ちょ、ティエリアっ?」
とんだ爆弾発言と行動だ。舐められたところが熱い。そこが心臓になったみたいにどくどくと脈打つようだ。指先、手のひらから、指の股まで、丁寧に舌が貼っていく。赤い舌がちろちろと動く。林檎よりも赤いそれに本物の心臓が跳ねた。ちゅっ、と仕上げとばかりに人差し指を吸いながらティエリアが離れた。その様子を見つめる。
「何か不満か?」
「そういうわけじゃないけど……他の人にはこんなことしないでよ?」
「馬鹿か。君以外の奴にこんなことをするわけがないだろう? それくらいの常識はある」
偉そうに胸を張ってから、ティエリアの白い頬が林檎みたいに真っ赤に染まる。
「それって……」
アレルヤが言い終える前にぐいっとティエリアに肩を押され、そのままベッドに倒れ込む。ぎしりとベッドが軋む。くるりと反対を向いてしまったティエリアの細い背中を見上げる。
「び、病人は早く寝て治せ。そうでなければ誰が僕の林檎を切るんだ」
言い捨てると、椅子を引っ張って入口の横まで遠ざかってしまう。それが妙に可愛くて、そのままにして瞼を閉じる。寝たフリをしてみたら、そろそろと近付いてくる気配。

……襲ってもいいかな?

馬鹿なことを考えながら、今度こそ、安らかな寝息を立て始める。



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