桜花、君に。


「ユフィ」

 雲ひとつない青空の下、ノイシュタットに咲き誇る桜の花を私は一人、見上げていた。

 桜の花の命は、僅かなものだ。蕾が咲き誇ったかと思えば、数日も経たないうちに散ってしまい、青々とした若葉たちが生い茂る。

 一年も経てばまた花は咲き誇る。けれど、それは以前咲いたものとは違っていて。例え花は同じに見えても、周りの景色や空気、人々が違っている。それがなんだか、とても切なく思えて。

 そんなことを考えていた私に、背後から声がかかる。ああ、この声は幼い頃から何度も耳にしている。

 振り返れば、こちらに駆け寄ってくる幼馴染ーーリオン・マグナスの姿が見えた。少し額に汗が滲んでいるようにも見える。

「リオン?どうした、待ち合わせの時間にはまだ余裕があるようだけれど」

 今日はリオンと出かける予定だった。とは言っても、その辺りを回ったりするくらいなのだけども。けれど、待ち合わせ予定の時間にはまだ一時間もあるし、何故リオンが走ってきたのかが分からない。

「……」

「リオン、黙ってても何も分からないんだが」

「……今日はお前と出かけるんだ。浮かれて早く来るのは、悪いか?」

 その言葉を聞いた私は驚いた。リオンが私との外出で浮かれた?まさか。あの客員剣士様が私なんかとの外出如きに浮かれるはずが……自分で言っていて少し虚しくなったのは私だけの秘密だ。

「別に、悪くはないけど……君が浮かれるなんて、珍しいなと」

「今日くらいは羽目を外しても良いと言ったのはユフィだろう」

「……ああ、そういえば」

 そんな事を言ったような、言ってないような。なんだか記憶が曖昧で思い出す事は出来なかったが、まあそれは良いだろう。

 リオンに手を差し出す。紫水晶の瞳をぱちくりと瞬かせた彼に、私は声をかけた。

「少し早いけど……季節的には遅いのか?いや、どっちでも良いな。……じゃあ、行こうか」

「……そう、だな」

 そう言った彼は、なんともいえず悲しそうな顔をしていたような気がしたけれど、それは一瞬のことで、すぐにいつもの彼に戻り、私の手を軽く握った。



 ーーーどうか、この夢は覚めないで。





「ユフィ!」

 姿が見えた。桜の木を下から見上げている、愛しい彼女の姿が。

 今はもう一面真っ暗で、星の光や月の光頼りの時間だと言うのに、その一点、桜の木の周りだけは何故か明るく見えた。花弁が白に近い色だからだろうか。

「……リオン」

 あの日と同じように、彼女はゆっくりと振り返る。自身の名前を呼ぶその声は、ほんの少し湿っているようにも思えた。その表情は薄暗くて見ることはできない。

「こんな時間に呼び出して、何のつもりだ」

「何のつもりって?」

 冷たい風が頬に触れた。春と言えど、まだ夜は寒く、風も冷たい。

 隠れていた月が顔を見せる。月明かりに照らされて、ようやく彼女を見ることができた。見えたのは、何とも言い表せないほどの悲痛で、悲しげな苦笑を浮かべた彼女の顔だった。

「お別れを言うつもり、かな」

「なに、を、」

ーーーチク、タク、チク、タク、

 何処からか、時計の針の音が聞こえてくる。何かを急かすかのように、だんだんとその音は大きくなっていく。

「ユフィ」

「背中を押してよ。私、やっと自由になれるんだ」

 目を閉じて開く度、見える景色が変わる。幼少期に本を読んだ場所。剣術を競い合った場所。城の中。旅で寄った場所。あの雨の日。海底洞窟。

「そう、か。お前はもう」

「思い出した?」

「ああ……全て思い出した」

 彼女は、ユフィは、あの海底洞窟で喪失した。表向きでは死亡は確認されていないため、そう言われている。
 けれど実際は……

「だったら一思いに押してよ」

 私、眠りたいんだ。
 そう告げる彼女の表情は先程とは打って変わって穏やかなものになっている。

「そうか……」

 そう呟いて、僕は、彼女の を、 ーーー





「リオン?」

「……ユフィ」

「うん、私はユフィ。おはよう」

 随分と現実味のある夢を見ていたらしい。いや、夢ではないのかもしれないが。

「何か変な夢でも見た?魘されてたけど」

「……変と言えば、変な夢だったな」

 心配そうに顔を覗き込んでくるユフィ。夢の中の彼女とは大違いだ。こちらの彼女は幾分か大人しくて、言葉遣いも女性らしくて。夢の中の彼女は、見た目はこちらの彼女とほとんど変わりなかったけれど、中身は違っていた。客員剣士だった頃の彼女なのだろうか。

「ふーん……」

 今の彼女は、本来ならこの場にいない存在なのだ。今は一時的にいるだけで、いつか本当に姿を消してしまうことだってあるのだ。じっと翡翠の瞳を見つめていると、おもむろにユフィが口を開く。

「ねえ、リオン」

「……なんだ?」

 ユフィの手が頬に触れる。優しくて小さいその手に触れられていると、何だか心が落ち着く。

「私は、いつか消えてしまう運命だけど、それでも今は、幸せだよ」

 ユフィが柔らかく、落ち着ききった表情でそう告げた。読心術でも習得しているのだろうか。

「そうか。それは、嬉しいな」

「それと」

「ん?」

 まだあるのか、と不思議に思っていれば、思いもよらない言葉が彼女の口から出た。

「私は桜に攫われたりしないからさ、安心してね」

 少し悪戯っぽく笑うユフィ。やっぱり読心術が使えるんじゃないかと気になってしまう。

 でも確かに、今の彼女なら、安心できる。


ーーー桜花、君に。

ーーー儚い、花の。



ユフィとリオンの桜にまつわるお話。
リオンが桜の木の下でユフィに声を掛けたのは、「今にも消えてしまいそうな儚さを醸し出していたから」という理由があったりします。
これ時系列バラバラだけど。
え?読んでて意味がわからない?うーん、本編更新し直し終わるまで待て!



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