緑なす黒



 四年間の時を経て戻ってきたソレスタル・ビーイング。四人のガンダム・マイスター。その中で、アレルヤ・ハプティズムの姿だけが欠けていた。
 正確には、ロックオン・ストラトスも、もうここにはいない。後を継ぐ者がいるが、アレルヤとは事情が違う。
 何故なら、アレルヤは生きているのだから。
 アレルヤはアロウズに捕らわれ、反政府勢力収監施設に収容されている。彼を救出、奪還する為に、予め潜入行動を頼みたい。
 そうティエリア・アーデに告げられて、刹那はほんのわずかに表情を沈めた。
「スメラギ・李・ノリエガの指示ではないのか」
「残念だが彼女はまだ士気を取り戻してはいない。それまでは僕がミッションプランを考案する」
「へえ。教官殿が戦術予報士の真似事までできちゃうとはね」
「軽口はやめろと言っている。刹那、これを」
 ライル・ディランディをぴしりと制しつつ、ティエリアが透明な横長の袋を刹那に差し出した。受け取って、袋の上から見下ろす。
「アロウズの軍服」
 端的に刹那が確認した途端、それまで壁に飄々と寄りかかっていたライルの態度が一変した。素早く身を起こし片手を高々と上げながら妙にきびきびとした調子で歩み寄ってくる。
「教官殿!その潜入ミッションは是非とも俺に」
「黙れ」
「でもアロウズの軍服ってここの制服より数倍」
「今すぐ黙れ」
 ティエリアが忌々しげに、それでも律儀にライルに対応する。
「君はアレルヤの顔も知らないだろう」
「写真とかあるだろ?」
「四年が経過している。年月の問題だけでなく、彼の身に物理的な損傷などが生じた可能性は否定できない」
「まあ、顔とかぐちゃぐちゃってのは拷問されてりゃあるだろうけどさ」
「刹那ならアレルヤの外観がどうあろうと判別できる。面識のない君ではそうは行かない」
 それに、とティエリアは躊躇なく続けた。
「この軍服は刹那のサイズに合わせて調達した」
 ライルは刹那の全身を頭のてっぺんから爪先までゆっくりと一瞥して行き、最後にそれでもいまだ物欲しげな目つきをたたまれた軍服に落として、ため息をこぼした。
「次回に期待するよ……」
 次回などあっては困る、とティエリアがいちいち嗜めるその傍で、刹那はひとりひそかに歯ぎしりをしていた。

 数日に渡って、極秘裡に入手した収容所の地図や資料を当たり、要所などを確認した。待機時間や落ち合う場所も打ち合わせ、後は遂行するのみとなった。
 その夜、ありふれた軍事用ジープの運転席に載りこむまぎわ、刹那はまたしても奥歯を噛みしめた。錯覚なのだろうが、ジープの座高の規格がこの四年で変わった気がしてならない。高い。
 そのぶん、足裏で地を蹴りはずみをつけるのにあわせて、若草色の裾がひらりとひるがえった。
「せめて助手席に座る役目ぐらい用意してくれても良かったろ?そもそもあんた、運転できるのかよ」
 執拗な恨めしさを携えて見送る私服姿のライルに、刹那は手短に答えた。
「運転ならガンダムで慣れている」
「あっそう。それより失敗したら今度は俺がやるから俺サイズの軍服ちょろまかして」
「刹那・F・セイエイ、潜入行動を開始する」
 場にそぐわないほど浮ついたライルの声を遮り、刹那はロングブーツの先でアクセルを踏んだ。
 遠ざかっていくジープと、それを受けて舞う砂埃を見るともなしに見ながら、「……あのセリフ、かっこいいな」と惚れぼれしていたライルの軽率さを、刹那が知る術はない。

 収容所に辿りついてからの任務は、それほど困難ではなかった。
 そのままアレルヤを連れて来いとなれば、やはりスメラギ・李・ノリエガのより繊細で的確な指示が必須となるが、今夜は短時間で指定ルートを一巡し、留意すべきポイントを発見した場合は記憶に留めてティエリアに報告するだけだ。
 慎重に動けば特に問題は起こらない。もしアクシデントが発生しても逃亡すれば済む程度で、待機時刻までに戻らなければその事実がそのまま次にティエリアたちが取るべき行動を示すことになる。
 だから、今回は小型の通信用機器などもいっさい身につけていない。
 却って怪しまれないよう、刹那は正面の門の前にジープを止めて降り立った。堂々としたあゆみで進み、見張り番の兵と向き合う。白い手袋をはめた右手をこめかみにかざして敬礼のしぐさを取った。
「エクヤール・ユシア准尉だ。アンドレイ・スミルノフ少尉の命を受け、少尉の紛失物を引き取りに来た」
 二人の番兵がちらと顔を見合わせた。
「確かにスミルノフ少尉は午前に視察に来られたが、何故わざわざこの夜更けに紛失物を?」
「少尉にとって非常に大切なものらしいが……ここだけの話」
 刹那は語調を少しゆるめると、ないしょを打ち明ける時のように身を乗り出した。それに応じて、番兵たちも足の位置はそのままに、わずか前のめりになる。腰を屈めつつ。刹那の身長に合わせるべく。それに気づいて幾度目か刹那は湧きおこる苛立たしさを冷静に抑えこんだ。
「あまり他人に見られたくないものなんだ」
「と言うと」
「本当は昼の間に回収したかったらしいが、誰も手が空いてなくて」
「なるほど。……上官に知れると叱られる様な感じの?」
「それならまだまし」
「私物ですか」
「小熊のぬいぐるみのキーホルダー」
 にやにやと、刹那は意地の悪い笑みを装う。
「シュタイフの本格的なやつで、それがないと少尉は眠れず、明日の任務に支障を来すんだって」
 番兵たちも含み笑いで幾度も深く頷いた。
「あの少尉ならあり得る話ですね。分かりました。紛失物なら発見次第、そこの窓口にまとめてありますが……」
「こっちに連絡なんかするわけないだろう?誰にも知られたくないんだから。ただ、心当たりの場所ははっきりしてるみたいで、俺が直接こっそり探して見つけて来いってご命令なんだ」
「ご苦労さまですねえ」
「早く出世したいよ」
「では、どうぞ」
「ありがとう」
 あっさりと門を突破。
 よほど兵が無能なのか、スミルノフ少尉とやらの人望がどうかしているのか。刹那は思わず内心でも訝るも、これで何の問題もないと言い切った立案者ティエリアの自信にあふれた声をよみがえらせるや、すべての疑問を捨て去ることにした。
 鉄の柵が何本も入った扉を開けて屋内へ入ると、すぐ横に大きな鏡が一枚、壁にかけられているのが目に入った。見取り図の通りだ。
 しかし、刹那は一瞬だけ、その場でとまって左右が逆になった自分を見つめる。
 モスグリーンを貴重に、腕や袖にそれよりも淡い緑が添えられた、アロウズの軍服。
 いつも来ている制服と同じくハイネックではあるが、こちらの方がよりかっちりとしているように感じられる。首を囲いこむ感覚が、どこか硬い。
 腰で留めたベルトの上衣からくるぶしの上まで、はんぱなコートのように覆いが広がっていく。それだけだとどこか女性的な印象だが、パイピングの黒が打ち消して軍隊らしさを強めている。身体の上を走るその黒い線の、歪みのなさも、たやすく秩序を連想させる。
 美しいと言えば、確かに美しい。ライルがこだわる気持ちも分からなくはない。
 ただ、それが自分の身の丈に合うかどうかは、また別の話だ。
 ついさっき通ったばかりの、あの門も、意味づけや演技力よりも、この制服によるところが大きいだろう。
 それはそれで良いはずなのに、刹那はどこか釈然としない。
 しかし、今はそんな埒もあかないことを考えている場合でもない。
 刹那は鏡から目を逸して、廊下を進んで行った。
 やや早足。かつんかつんと、深夜の収容所に靴音が鳴り響く。
 角を曲がり、階段を上がって、奥へ進む。その間に指定されたポイントをチェックし、廊下の幅や奥行きまでの距離、壁の角度などを頭に叩きこむ。窓の外へ目をやり、周囲の遮蔽物の数や機体で行動する際の限界値までも注意深く数え、さり気なく隅に寄ると隠し持っていたナイフで壁を軽く削り材質の資料としてポケットへ忍ばせた。
 アレルヤが監禁されているとされる部屋の、下の階で歩を止める。そこにシュタイフベアのキーホルダーが落ちていた、ことになっている。
 けれど、拾うそぶりのかわりに、刹那はつい首をかしげて見上げた。
 アレルヤがいるだろうところを。床の隔たりで、見えるはずもないのに。
 本当は、今すぐにでも助け出したい。
 でも、感情に任せて不要な危険を犯したところで何の益にもならない。
 すまない。待っていてくれ。
 ただそれだけ、アレルヤに向けて無言で告げてから、刹那が忍ばせていたキーホルダーを取り出して、いったん床に落とそうとした、その時。
「そこで何をしている」
 男の声が、刹那の手を押し留めた。
 ここに来るまで、何人かのアロウズの兵士とすれ違っている。軽い挨拶もかわしてきた。だが、刹那の中で警鐘が鳴ったのはこの夜、これが初めてのことだった。
 しかし臆すことなく、刹那は姿勢を正すと敬礼しつつ男と対峠した。最低限、薄暗い明かりの中では、顔がよく見えない。
「エクヤール・ユシア准尉であります。アンドレイ・スミルノフ少尉の極秘任務でここに」
「私がアンドレイ・スミルノフ少尉だが」
 二人は一瞬、その場で立ち尽くした。
「ソーマ・ピーリス中尉の任で熊のキーホルダーを探しに来たのだが」
「これでしょうか」
 刹那は白々しく、隠し持っていたシュタイフベアを差し出した。ああ、と男がかすかにはずんだ声を上げる。
「そう、それだ。ピーリス中尉が大事にしているキーホルダーだ」
「なら良かったです。ちょうど見つけたところでしたので。どうぞ」
「ありがとう」
「いえ。では、失礼します」
 ゆらりと揺れるキーホルダーをにこやかに差し出すと、男はもう一度、ありがとう、とごくごく素直に受け取った。控えめな笑みを消さぬまま、刹那はそのまま場を辞そうと、した。
「待て」
 返したばかりの踵を、仕方なく止める。靴底をわずかに上げた、不安定なかたちで。
「私がアンドレイ・スミルノフ少尉だが」
「……そうですか」
「……侵入者だ!警報を鳴らせ!」
 男が大声で叫びながら、自ら警報機を叩き割ってサイレンを作動させた。それと同時に刹那は走り出していた。
 階段を三段飛ばしに降り、素早く角を曲がって、階下へ。この場の間取りはすべて把握している。何の問題もない。
 収容所内にいたアロウズ所属、その他の兵が集まって来ても、小柄な体格を活かして俊敏に立ちまわり、振りきって、逃亡を図る。
 何の問題もない。
 何の問題もない、はずだった。
 にわかに腕を掴まれた、その時までは。
 反射的に振り払う間も与えられず、強引に引き寄せられる。想定外の部屋の中へと。
 確かここは、と頭を巡らせるうちに、いっそうのぶしつけさで柔らかい感触に抱き寄せられていた。
 そしてそのまま、どこか狭い隙間へといっしょになって引きずりこまれた。
「侵入者はどこへ行った!?」
「こっちだ!」
「いないぞ……ん?」
「どうした」
 兵の声が交錯する間、刹那はただ耳をすまして息を潜めているほかない。
「……いや、なんでもない」
「なんだよ」
「ミスター・ブシドーがコーヒー飲んでるらしい」
「そうか。侵入者はじゃあ、あっちか?」
「俺はそっちを探す。とりあえずこっちじゃないな。まったく、どこへ消えた」
「私の、かいなの中へ」
 ふいに低い声が刹那の真上から降り注いだ。
 刹那はそっと顔を上げて、仰ぐ。
 耳におぼえのある、その声の持ち主を。
「……あんた」
 廊下よりも少しだけ明るい、そのかすかな光で、どうにか視界に捕らえる。
 一度だけ機体の外で直接にことばをかわした、あのときの面影は、そこにはない。刹那にははかりしれない、鈍色や赤に隠されてしまっているから。
 けれど、わかる。
「生きてたのか」
 彼の瞳がすっと細まると、それに誘われるようにして、仮面が電光色を乱反射する。
「無念にも」
 刹那はその、生きた身体の両手に包まれ、抱きこまれている。目線だけを下ろすと、今この瞬間、自分が着ているそれとまったく同じ軍服の色にぶつかった。
「……アロウズにいるのか」
「それは私が問うべき疑念。少年」
 詰問とともに、抱擁の力が容赦なく強まった。刹那は思わず呼吸が止まりそうになる。
「よもや君がアロウズにとあらば」
 違う、と否定するより早く、彼が接いだ。
「敢えて容赦し、君をこの夜闇より解き放とう」
 刹那は再び彼の瞳を見る。
「どういう意味だ」
「君の死に場所は私の一存」
 ふ、と彼の腕の強まりが解けた。
 そして、目と口もとをほころばせる。
「無論、この私の胸での永眠は已む無いが」
 それは地上ではなく、空でこそ生ずべきこと。
 そう言いながら、彼は刹那がまたたきも終わらないうちに取り出しかけたナイフを、手袋に守られた指先で摘み、花を散らすようにしてやわく放った。
 刹那はそれでも抗わず、ただ、一歩ぶんだけ距離をとろうとした。が、すぐにとん、と背がぶつかる硬質さに気づいた。
「……何故、自動販売機の隙間に?」
「私の余生に残された数少ない安寧の場。であるからには、君を匿うにこの上なく相応しい」
 刹那はそのあまりに不可解な台詞を受けて、改めて彼の佇まいを眺めわたした。
 基盤は確かにアロウズのそれと何ら変わらない。
 しかし、その上に纏う羽織りらしきものは一体どういうわけなのだろう。不可思議に尖った肩が自販機の影から覗き、兵の目くらましとなったようだが、それはさておいても一体どうしたことなのだろう。
 いや、と刹那は自問を自答で打ち消す。自販機が照らすあえかな光と闇のはざまで。考えても無意味だ。こと、この男に関しては。
 この四年のあいだに、何度、さいごの会話を思い出して、理解しようとしただろう。
 孤独をまぎらわすのには、それも良いよすがだったかもしれない。
 だが今は、どうやら再び敵と味方の立ち位置に戻り、すれちがうばかりの言葉を重ねているだけだ。
 なら、確かにこの男の言っていることの一部は、驚愕すべきことに、ほんとうに正しい。
 ここでのんびりと話したり、ましてや捕まって死に瀕している場合ではない。
「還るのだ、少年。私に討ち倒されるべき場所へと」
 刹那はブーツを履いた足を横に滑らせて、彼の隙間の世界から這い出した。
 振り返ると、彼はいかにも慣れた様子で自販機に背を預け、まぶたを伏せがちにしている。
 彼のその体温を、いまだ身に残していることに、刹那は気づいた。
 あたたかいというよりも、熱い。
 あるいは、それは自販機の電熱の影響かもしれない。
「……四年前」
 逃げる好機なのに、刹那はどうしてもそこにいて、彼へと問いかけてしまう。
「あんたは、愛だと言った」
「愚行ではあったが悔いは無い」
「愛を超越すれば憎しみになるとも」
 かすかにその唇の端が弧を描いたのは、自嘲のしるしだろうか。
「愛と憎しみは共存しないのか」
 彼はほんの少しまなざしを上げて、宙を見つめた。
「私は情の逆順をたがえたのだよ、少年」
 そして、はじめて、その物言いに後悔をにじませる。
「ことはじめに、私は恋をすべきだった」
 彼のてのひらが上向き、この休憩スペースの隅の、ちいさなドアを示す。
「業者用の茶道口だ。その先に外部へと出づる扉が一つ。逃亡に適うだろう」
 行け、少年。
 促されて、今度こそ刹那は背を向け、歩き出した。
 ひとつ、足を前へ送るたび、軍服がばさりとはためいては、まとわりつく。
 ドアを開けた時、刹那は気づいた。
 あの隙間に封じられた理由も、彼の腕の中に完全に隠れることができたからくりも、すべてはこの身体にあったことに。
 熱が少しずつさめて、あたたかくなっていく。
 しかし外界に戻った途端、吹きぬけるみずみずしい風にさらされて、そのぬくもりすらも否応なく奪いとられ、すっかりかき消えてしまった。




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