灰かぶり逃避行
150227 0021



豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ、なる表現がある。
もしもこれが「おまえなんか豆腐の角に頭ぶつけて死ぬのがお似合い」だの「人の恋路を邪魔するおまえは馬どころか豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ」などといった用法に適用されたなら、少なくとも私にとってはこれ以上はまず無いと断言できる程の罵詈雑言である。神の名をみだりに呼ばわるよりも果てしなく遥かに畏れを知らぬ、あまりに救い難い罪深い所行である。我が全細胞を敵に回す決定打である。もはや呪いである。悪徳である。精神の腐敗である。裁かれて然るべきである。言うまでもなく有罪、極刑が相応である。
何故なら、私は豆腐が嫌いだからである。
昔は偏食ぎみだった私だが、成長とともに大抵のものは食べられるようになった。強いて言うならば生のトマトはちょっと苦手だが、よそ様でお出しして頂いた場合なら努めて咀嚼、嚥下まで何とか遂行可能だし、消化だってきっと辛うじて身体がやってくれるだろう。珍しくもない話だがトマトでもスープやソースやケチャップであれば何の問題もない。また、とにかくまずいと酷評しかされていないイギリス料理にも不満を持ったことはない。いわゆるゲテモノ料理でも挑戦するにやぶさかではない。むしろそういったものをこそ旅先では食べてみたいと思う。食は文化とは良く言ったものだ。
だが豆腐は、豆腐だけは、豆腐に限っては、どうしても無理なのだ。
こう、豆腐と書いたり打ち込むことさえ厭わしい。目にするのも嫌だ。見ざる聞かざるで生涯を通したい。大仰でも何でもない。本当に駄目なのだ。
しかし、悲しいかな、この心境はなかなか同意を得にくい様だ。ことに日本国内においては。
「豆腐?え、なんで?味しないじゃん。嫌う要素がなくない?」
あるんです。たんまりと。あるんです。
「豆乳は?納豆は?食べられるの?好きなの?じゃあ豆腐もいけるでしょ。もとは同じなんだから。食わず嫌いじゃないの?」
かなり大昔ではあるが食べたことはあるし、そもそもぜんぜん同じじゃないです。豆乳と納豆に失礼です。ついでに言うと杏仁豆腐もちょっと……豆腐と名前がついているだけの飛ばっちりだと分かってはいるが、そこはもう理屈じゃない。チャイニーズフルーツポンチと脳内変換しても手遅れだ。
「豆腐ねえ……豆腐のどこが嫌いなの?」
すべてです。まず食感……と思い出すだけで具合が悪くなりそうなのでこれ以上は控えておく。
とにかく、そのまんまトマトが苦手派は理解者がいくらでも見つかるが、豆腐忌避者にはそうそうお目にかかれない現状だ。
唯一、近場の八百屋の店員さんがお仲間である。トマトと一緒に豆腐も売っているあたりアンチ豆腐の品格を損なっているきらいはあるが、そこは彼女も仕事なので辛かろうと同情することにしている。
が、先日、アボカドをレジに持って行ったところ、
「アボカドって豆腐みたいじゃない?ぐじゅぐじゅしててさー」
と言われてしまった。アボカドに謝れと一喝したい激情を抑え込み、熟れないうちならそんなにでもないですよ、と必死の思いでなごやかに反論するに留めた。
実際、アボカドと豆腐なんて似ても似つかない。緑だし美味しいしカロリーは高いし味噌汁や鍋に入れたりしないしそういった料理の底に白いカスとなってたゆたったりもしないし、豆腐とは縁もゆかりもないはず。以来、私はまたも孤独である。彼女は豆腐嫌悪を極めてなどいないのだから。
さて、豆腐の角に頭をぶつけて云々に話を戻そう。
これは察するに、おおよそ現実に起こり得ないほど間抜けな死に方の最高峰といった意味あいがあるのだろう。あの柔らかいアレがバールのようなものになる事案が起きたらそれは単なる奇跡である。
しかし何故、角なのだろうか。正面からではいけないのか。それともアレはアレなのか、角が一番やわらかいとかいう事情でもあるのだろうか。最大限に避けて生きてきたがゆえ、その生態に詳しくないので何とも想像すら困難である。出来ればこうして思いを馳せたくもないものだ。
とにかく私は、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬことだけは絶対にしたくないのである。死だけはこの世でたったひとつ、絶対的な平等だ。が、豆腐の角に頭でも足の小指でもぶつけて死ぬわけにはいかない。そんな逝き方をするぐらいならば永遠に生き続けた方が良い。
豆腐を特に嫌っていない平均的な日本人ならばそんな死因もまた一興だろう。だが物心ついて以来、懸命に豆腐を回避して来た私ひとりぐらい除外してくれたって罰は当たらないはずだ。
よって、豆腐の角に頭をぶつけて死ぬという表現も私に対しては無効。別の物言いを考えるべきである。
たとえば、アボカド……いや、アボカドに失礼だろう。豆腐に似ているなどという汚名を着せられただけでも可哀想なのに、これ以上の屈辱を与える権利が誰にあろうか。
とにかく柔らかくて、それぐらいでは普通は死なず、かつ大体がそこに頭をぶつけたら頭よりその物体の方が先にこっぱみじんになる様な、そんなものであれば良いのだろう。
……ゼリー、ヨーグルト、は、容器に入っているから不適切か?
ならばプッチンプリンか?だが、私はよくプッチンプリンをプッチンし忘れる。そのあたりはどうなのだろう。こうした疑問が残る時点で失格ではなかろうか。
しかし豆腐だって思えばプラスチックの箱に入っていたりするよなあ、いやでも、あれは現代人が利便性を追求した結果であって本来はむき身で売買されていたはず。食卓にのぼる時はほぼ全裸だろう。そういった点をふまえて考えなければいけない。
バナナ。氷点下で釘を打てる以上、難なく凶器になり得るので、却下。
おじや、おかゆ。調理してある段階でどうも違和感がある。
チーズ。柔らかいものからそうでもないものまで千差万別だと思うが、落としどころとしてはちょうど良いのかもしれない。細長いぷよよんとしたプロセスチーズならなお好ましい。
という訳で、今後、私に向かって豆腐の角に頭をぶつけて死ぬば?と言いたくなったら、ちょっとだけ譲歩して、チーズの角に、と訂正して頂けないでしょうか。お手数おかけします。
第一に、そんな罵倒を迂闊にも浴びることのないよう、私自身ゆめゆめ気ばたらきを怠ってはならぬ。それにしたって方々にご迷惑をおかけしてばかりでいけない。まったく、豆腐なんかのせいで。これだから嫌なのである。カルマの交換を天に直訴したい。いったい前世で私は何をしでかしたというのだろう。ああ憎たらしい。腹立たしい。豆腐こそチーズの角に……いやいや、そうなったら私はチーズにも触れなくなる。どこまで厄介なのか、あの輩は。
豆腐が豆腐の角に角をぶつけて自滅すれば万事解決しそうなものだが、そういった超常現象もなかなか起こりそうにない。どんなに豆腐が嫌いな私でもそうした怪奇ならば是非とも現場に立ち会ってみたいものだが、どうもこの世の中、思う通りにならないことばかりだ。

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