蝉声 | ナノ



03 矛盾


「なまえ、あれだけ言ったのに約束を破っただろう」
「……ごめんなさい」
「両親との思い出があり過ぎる此処には長居したくないというのは、分からんでもない。だが、いい加減勇気を持て」





お父さんの言っている事は少し的はずれだけど、そういうことにしておこう。
小十郎さんのことなんて知らないだろうし。




お父さんは私が寝ているベッドに腰掛けて私の頭を撫でた。


お父さんとお母さんのことを思い出したからこうやってベッドで沈んでると思ってるんだろうな。




そう思ってくれてるほうが都合がいいと思っていたら、私の頭を撫でるお父さんの手が止まった。







「ああそうだ。取引先から夕飯を一緒に、と言われた」
「へー……行ってきたら?」




私は適当にそこら辺で食べるし。と布団に顔を埋めたまま言った。
まあ、食べないけど。
ご飯が食べられるような気分じゃない。


多分、今食べたら吐く。






「それがな、お前も一緒に来い、と」
「は?」



意味が分からず泣きまくって目を腫らした人に見せられる状態じゃない顔をお父さんの方に向けた。
何でそこに私が出てくるの?


ってか、何で私の存在を知ってるの?





「先方のご子息と友達らしいな」
「え……? 今回の取引先って……」
「伊達だ」
「うそ、政宗!?」




伊達という言葉に飛び起きた。


まさか、取引先が伊達だったなんて……!


予想が当たっちゃったよ。
けど、よくよく考えたら宮城県にある会社と取引してこっちに利益が出るのは伊達ぐらいしかない。




「来るだろう?」
「っ、え、遠慮しとくよ……」




だって、政宗たちとご飯食べたら絶対におまけとして秘書、兼世話係の小十郎さんもついてくる。

せっかく諦めようってと決意したのに。
六時間掛けてやっと、涙が落ち着いたのに。


また会うなんて、耐えられない。



それにこんな顔見せたら泣いたことが一発でばれてしまう。
勘のいい小十郎さんだったらなんで泣いてたか気づいてしまうかもしれない。



そしたら、鬱陶しがられるかもしれない。
しつこい女、だって思われたら……。




また涙が出そうになる。




馬鹿だ、諦めないといけないって気づいてるのに、小十郎さんに少しでも好きになってもらいたいって思ってる。



ああ、馬鹿だ。



大馬鹿だ。






「それは無理だ。もう、了承してしまった」
「ええ!?」



私には拒否権ないわけ。
行きたくないのに。



決心が鈍る。





「体調が優れないって言っておいて」
「ご子息から伝言だ」
「え?」



何でいきなり? と思ったけど、その伝言を聞いて絶句した。





「『もし、来なければ、昔割った家宝の壷を弁償してもらおうか』と仰っていたぞ」
「うっ……!」
「お前、そんなことしたのか」
「……木刀でチャンバラしてたらつい当たって……」
「はぁ……行くしかないだろう」
「そ、だね……」





確か、あの壷三千万ぐらいしたって言ってたような……。
かなり怒られたなあ。


泣きじゃくりながら謝ったよ。



小十郎さんもはじめはめちゃくちゃ怒ったけど、政宗のお父さんには小十郎さんも一緒に謝ってくれたっけ。
俺が一生掛かっても弁償します。って言ってくれた時は嬉しかったな。



やば……また泣きそう。





「とりあえず、スーツは買ってきた。着替えておけ。それと氷だ」






その腫れた目を何とかしろ。と言われ、氷嚢を渡された。
そうだ、この目をどうにかしなきゃ。


お館様のところに行ってくると言ったお父さんをベッドの上から見送ってため息をつく。





会ったらまた泣いてしまうかもしれない。
けど、会いたい。

十年ぶりに再会して、会いたい気持ちが会いたくない気持ちを遥かに上回ってる。




自分の決心の緩さに情けなくなってくる。





どうせ、政宗だって壷を弁償させる気なんて無いはず。
なんだかんだ言って、政宗は人一倍優しい。


ただ私が来る理由を作っただけだってことはわかってる。




本当に行きたくなかったら断れた。
けど、断れない。



小十郎さんは私のトラウマだってことは十二分に理解してる。
会ったら、嫌われたくなくてびくびくするし、絶対にネガティブな思考しかできなくなる。



そしてまた自己嫌悪に陥って泣く。






確実にそうなることは分かっているのに、



もう一度、会いたいなんて……。





本当は小十郎さんには気づかれずに、陰でこっそり見たいんだけどなあ。
小十郎さんの視界に入るのは、戸惑いと不安が拭えない。


だって、これ以上小十郎さんを不快にさせたくないし、嫌われたくない。




本当に自分は馬鹿だ。




氷嚢を瞼に当てながら改めて思う。






ああ、早く切り替えないと。


いつまでもうじうじしても仕方ない。



諦めるって決めたんだから。
諦めなきゃ。



すぐに諦められるほど私の気持ちは軽くないけど、努力はしないと。




もういい加減一歩踏み出せ、自分。







そう自分に言い聞かせてるくせに、いつもより明るい色のチークを手に取ってる自分を鏡越しに見てますます自分が嫌いになった。








++++++++







高級そうなレストランの個室に入れば、政宗が抱きつく勢いで寄ってきた。
政宗の左目には苦笑いしている私が映っていた。


けど、私の目には政宗の後ろにいるあの人が映っている。




部屋の隅で佇む小十郎さんに胸が高鳴ると同時にどうしようもなく不安になる。
なんで来たんだ、とか思われてないかな。




ああ、やっぱりこんなことしか考えられない。



政宗はそんな私の心境を知ってか知らずかちょうど小十郎さんが私の視界から隠れる位置に立った。


ほんの少し安心した。
意識が小十郎さんから政宗に削がれた。




「Long time no see!」
「お、お久しぶりです、政宗さん」
「Ah!? なんだその余所余所しい話し方は!」
「ただの社員が取引先のご子息様にタメ口なんてきけませんよ」



いきなりタメ口で話したらお父さんに怒られるだろうし、少し政宗をからかってやろうと敬語を使えば、政宗は鋭い目で睨んできた。

……相変わらず目付き悪いな。


けど、格好いい。
まあ、十年前も格好よかったけど、今は大人になっててもっと格好よくなってる。





「テメェ……壷、弁償させてやろうか……!」
「うわ、冗談! 待って、そんなお金ない!」
「Ha! それでいい」


満足そうに笑った政宗はまだまだ少年のようで、とても私と同じ年とは思えない。
……二十五歳に見えない笑顔だ。





「感動の再会はそれくらいにしておけ。政宗」
「Sorry.親父」
「あ、お久しぶりです、おじさん」
「いい女になったな、なまえ」
「目がやらしいです」



そう言えば、十年前と変わらない笑顔でおじさんは笑った。


……伊達家は老けない体質?

サイヤ人か。





「お前くらいの年が一番触り心地がいいからな! 今夜どうだ?」
「いや、俺がどのくらい成長したか確認してやるよ」
「親子揃って女好きは健在ですか」




親の前で口説かないで下さい。と言えば今度はお館様が大笑いした。




「輝宗殿とは気が合いそうですな!」
「お、信玄公も、まだまだイケるクチですか?」
「はっはっは、こればっかりはいつまで経っても衰えてくれませんのでな!」





うわ、卑猥トークし始めちゃったよ、この親父共。
幾ら成人したからって、子供の前ではそんな話しないで欲しいな。


政宗は面白そうに聞いてるけど、私はどういう反応していいかわかんないんだけど。
なに? 素直に笑えばいいの?



すると、お父さんがごほん、と咳払いを一つした。




「お館様、席につきましょう」
「む? そうじゃのう」



流石お父さん。
お館様を一言で動かせるとは。
伊達に長年秘書やってきたわけじゃないよね。



改めてお父さんを尊敬して、席についた。





「輝宗様、私はこれで……」




その声に肩が小さく跳ねた。
……俯いてて良かった。
顔が見えてたら、やばかったよ。





「なんだ、小十郎。お前も食えばいいだろう」
「いえ、私は……」
「三対二では人数が揃わん。お前も此処で食え。命令だ」




なんで引き止めるの、おじさん。
出て行くって言うんだから出て行かせてよ。

私を殺す気か。




しかも、合コンじゃないんだから、別に三対二だろうが関係ないじゃん。
もう、なんなのおじさん。
必死でため息をかみ殺す。




……まあ、おじさんは私と小十郎さんが付き合ってたことすら知らないんだから仕方ないよね。
海外とか飛び回ってて家にあんまり居なかったし。





「なまえ……」



依然俯いたままでいると、政宗の戸惑ったような声が聞こえた。





その声色で政宗は私が酷いフラれ方したことを知ってると分かった。



私と小十郎さんって周りには相思相愛で通ってたし、あんな別れ方したら噂で耳に入るだろうな。








……私は相思相愛のつもりだったんだけどな。
小十郎さんは、そういう風に思われるの心の底から嫌だったんだろうな。
命令でいやいや私の恋愛ごっこに付き合ってたんだから。





泣きそう……。
だめだ、だめだ、深く考えちゃ。

こんなみんながいるところで泣くなんてありえない。





唇を噛んで涙をこらえる。




ああ、早く政宗に答えなきゃ。
みんなに不審がられてしまう。







「政宗」




目で政宗に大丈夫だと訴えかけると、眉間に皺を寄せて何か言いたそうにしたが押し黙った。
ああ、やっぱり政宗は優しい。
一番私が傷つかないように行動してくれてる。






「分かりました……」




小十郎さんは、渋々と言った感じで、座った。
私と一緒にご飯食べるなんて気分悪いんだろうな。


……ああ、もう、このネガティブ思考何とかしたい。





震える手を隠すようにテーブルの下に隠すと、豪華な料理が運ばれてきた。







+++++++++





料理の味なんか分からないまま箸を進め、無理矢理胃袋に詰め込んだ。



政宗やおじさんと話すか、料理を食べるかに集中した。
けど、ふと話すことをやめたり咀嚼してるとすぐ意識が小十郎さんに向かう。




綺麗な食べ方は昔と変わってない。
そういえば、箸の持ち方は小十郎さんに習ったな。

スパルタだったけど、綺麗に使えるようになったときは頭撫でてもらったっけ。



ああ、泣きそう。
あんな優しい手つきで撫でられたのも、よくやった、って笑ってくれたのも全部演技だったなんて。





ああ、死んでしまいたい。


そうやって、とめどなく溢れてくるネガティブな思考に埋もれていると政宗が話しかけてきた。





「なまえ」
「なに?」
「明日には帰んのか?」
「うん。明後日仕事だし」


ってか、今日も明日も仕事なんだけどね。




そう言うと、政宗はあからさまに嫌そうな顔をした。
何? そんなに私が帰るのいや?




……正直に嬉しい。
私だって政宗ともっと一緒にいて話したい。





けど、そうするには大きなリスクがある。
一緒にいてる間に少しでも小十郎さん嫌な顔をされたら心が壊れてしまう。





「せめてもう一泊しろよ」
「えー、だって仕事あるし」
「んなもん、サボれ」
「サボれって言われても……ってか、政宗も仕事忙しいでしょ。次期社長なんだし」
「……Don't worry」




政宗が俯いたままそう言った。
……その様子じゃ心配大有りなんだね。



相変わらず、サボり癖は治ってないみたい。
昔と変わってない政宗に小さく噴いてしまった。








「政宗様」





今まで口を開かなかった小十郎さんが戒めるように声を出した。
思わず下向いてしまったけど、みんなに変だと思われてないよね?





「っ……」
「な、なんだよ、小十郎……」
「今日ないがしろにされた仕事を明日して頂かなければなりません」
「うっ……」




相変わらず、小十郎さんに怒られてるんだ。
懐かしいな、私も小十郎さんに勉強しろってよく怒られたっけ。



……ああ、久しぶりにこの怒ったような呆れたような声聞くと、胸が締め付けられる。




やっぱり格好いいよ、小十郎さん。







「わしも、なまえとゆっくり一度酒を飲んでみたいな」
「おじさんも明日、仕事あるんでしょ?」
「……サボれんか?」
「輝宗様、諦めてください」




ああ、親子揃って怒られてるんだ。
少しはちゃんとすればいいのに。




「では輝宗殿、仕事が一段落した時にわしの家に来て下さればよい」
「信玄公、それは誠で?」
「うむ。わしも、輝宗殿と時間や仕事に追われずゆっくりと飲み交わしたいのでな」
「それはいい考えですな! では、今度、わしの家にも来てくだされ」
「ほう、そうすれば二度も宴会が開けるのう、勘助?」




「……一段落してからですよ」





溜息を吐きながらお父さんはそう言った。
……苦労人だね。




ってか、お館様の家に政宗達が来る時って、私も呼ばれるのかな……。

最悪だ。
けど、嬉しい。




こんな調子じゃ、いつまで経っても……。



(惹かれてやまない)
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