15 辛酸 一週間後。 まだ、あの時の小十郎さんの表情がフラッシュバックする。 本当にもうどう足掻いても無駄なんだろう。 嫌悪だけでなく、激怒の感情まで出させてしまった。 もう、どんな行動を起こしても回復する見込みなんて、ない。 仕事中だっていうのに泣きそうだ。 キーボードに置いていた手を膝に移す。 力いっぱい拳を作ってみる。 爪が手のひらに当たって痛い。 けど、小十郎さんはもっと痛かったんだよね。 壁がめり込むほどの一撃だったんだから。 血も出てた。 痛かったよね。 私だったら大騒ぎするほどに。 けど、小十郎さんは何も言わなかった。 痛みよりも怒りのほうが勝ってたから。 私がそうさせた。 だめだ、涙がこぼれる。 「なまえ?」 席を外していた佐助が帰ってきた。 何も言えずに俯いたままでいると、察してくれた。 「大丈夫?」 頷くと、頭を数回緩く叩かれた。 佐助は、この前のことを何も知らない。 聞かないでいてくれた。 何も事情を知らないのに、私を慰めてくれた。 何も言わず、そばにいてくれた。 私が求めたときだけ、手を差し伸べてくれる。 ここが政宗と違うところ。 政宗は意地でも事情を聞きだす。 そして、私が安心する言葉を、前に進める道筋をくれる。 種類は違えど、両方ともかけがえのない私の救い。 「移動しよっか」 頷くと、佐助は私を置いて出て行く。 これも佐助の優しさ。 私と変な噂が立たないように配慮してくれてる。 何で私の周りの人はこんなに優しい人ばかりなんだろう。 数分待って、佐助の居る場所に向かう。 こんなときは、人気の無いあの廊下しかない。 資料室へと通じる廊下へ向かうと案の定佐助が壁に凭れて座っていた。 笑った佐助は隣を叩いた。 その叩かれた場所に座ると、ミルクティーを差し出された。 「……ありがと」 「どーいたまして」 あったかいそれに口をつける。 心まであったまるようで、ほんの少し幸せになった。 佐助もコーヒーに口をつけた。 そしていきなり確信を突いてきた。 「また片倉の旦那?」 「っ、うん」 「あのさー……今のなまえにはちょーっと悪報なんだけどさ」 「え」 今このタイミングで言う? こんなに落ち込んでるのに? そう思ったけど、佐助はこんなときにいきなり話を飛ばすようなやつじゃない。 ということは、小十郎さん絡みだ。 今度は何。 もう嫌なんだけど。 「十二月十四日、伊達が大将の屋敷に来るって」 「え」 「もちろんなまえは絶対条件」 「っ、政宗……」 今度ばかりは本当に無理だ。 「行けない……」 「ま、そうだろうーねえ。今回ばかりは行かなくてもいいと思うよ」 こんな様子の私が行っても、みんなの雰囲気を壊すだけだ。 「伊達政宗は知らないの? 状況」 「うん」 だって、この前はもう逃げるように帰ったから政宗とは一回も話してない。 佐助がうまいこと理由をつけて誰も部屋に近づけないようにしてくれたから。 あれから政宗とは連絡してないし。 伝えなきゃいけないなあ。 「言ったら?」 「うん。けど、聞いてくれなさそうだなあ」 「そう? 案外聞いてくれると思うよ」 電話してみなよ。と私の頭に手を置いて佐助は立ち上がる。 「え、けど仕事……」 「俺様に任せて」 「……ありがとう」 にっこり笑って佐助はオフィスへ行った。 佐助の言葉に甘えて携帯を取り出す。 「……あ」 政宗の誘いを断るには絶対に外せない理由を作らないと。 そうだ、また温泉行こうって友達と言ってたんだった。 まだ日にちは決まってないから、この日にしよう。 それがいい。 政宗もさすがにキャンセルしろとは言わないでしょ。 友達に電話を掛ける。 一分ほど発信音を聞いていると、ぷつりと止んだ。 「……仕事中なんだけど」 「ご、ごめん……あのさ、この前言ってたいつか温泉行こうって話なんだけど」 「うん。それが?」 「それ十二月十四日にしない?」 「……いきなりだね。まあいいけど」 「ありがと! 他の二人にも伝えておくから!」 「う、うん……」 「じゃあ、仕事がんばって!」 一方的に話して通話を切った。 よしよし。 これで理由が作れた。 今度は政宗だ。 目的の人物に掛けると、ワンコールで出た。 ……仕事しろよ。 『Hello』 「もしもし、私。なまえ」 『What's up?』 「お泊り、行けない」 『Ah? なんで。……そーいや、また小十郎の態度がおかしいな』 「そっち行ったときにもう取り返しがつかないことになったから」 『ほう、言えよ』 政宗にすべてを説明した。 やっぱり、話すとあの時のことが鮮明に思い出されて、また泣いてしまった。 「Oh……」 「っ、ぐす……ずっ」 政宗も絶句してる。 これで分かってもらえたはずだ。 もうどうしようもないことが。 いい加減、小十郎さんと私を会わせようと考えなくなってくれるだろう。 「……馬鹿だな、お前」 「は?」 もっと慰めの言葉をくれると思っていたのに、まさかの馬鹿発言。 意味わかんない。 驚きで涙が止まった。 「ちょっと! なにそ……」 「意味が分かってない時点で、馬鹿決定だ。a big fool」 「英語で言われると更にむかつく!」 「来いよ。泊まり」 「無理だって」 「NO.拒否権はねえ」 「そ、その日はもう友達と温泉に行くことになってるから、無理!」 これなら政宗も無理強いは出来ないはず。 だって友達は大事だし。 いい加減政宗も分かって欲しい。 本当に無理なんだって。 もう収拾なんてつかないんだから。 お互い離れて暮らすほうが幸せなんだから。 近づけばお互いを嫌な気持ちにさせる。 そんなことなら、もう二度と会わないほうがいい。 「……政宗?」 いつまで経っても返事が無い政宗に不安になる。 もしかして私を引き止める方法を考えてる? ……困る。それは本当に困る。 だって政宗に口で敵わない。 もっともらしい理由をつけられて、流されてしまうのがオチだ。 今までに何回もそういうことがあった。 「……どこの温泉に行くんだ」 「え、○○温泉だけど」 「……そうか」 「え、なに?」 なんか怖いんだけど。 ちょっと声も低くなったような感じがするし。 次の政宗の言葉にびくびくする。 「ま、しゃーねえな」 「え」 「いくらなんでもそこまで俺は引き止めねえよ」 「ま、政宗……!」 なんていい奴なんだ。 政宗も成長したなあ。 「楽しんで来いよ」 「うん! お土産買ってくるから」 じゃあね、と言って通話を切った。 「よかったあ」 これでもう小十郎さんと顔を会わすことは無い。 もう二度と……。 「っ、」 ばか、泣くな。 もういいんだって。 なんで会えないことで悲しんでるんだ。 ばか。 「っ、ばか」 携帯を握り締めた。 (窓の外で鳴いてるはずの蝉の声は聞こえなかった) [戻る] ×
|