14 悲憤 目を開けると、天井があった。 ……この天井は、政宗ん家だ。 「いっ……」 起き上がると、不快なものが一気にあふれ出した。 吐き気、眩暈、頭痛、だるさ、腰痛、喉の痛さ。 二日酔いだ。 けど、最後の二つは、二日酔いのせいじゃないことは分かる。 頭を抱える。 最悪だ。 気持ちも無いくせに抱いた小十郎さんも、流されてしまった自分も。 しかも、名前呼びだったし、ため口だったし。 酔ってたからって昔みたいな態度とって! ああ、馬鹿だ、私。 馴れ馴れしい。って思われたかな。 記憶なんか無かったらよかったのに。 そしたら何事も無かったかのように過ごせるのに。 なんで、小十郎さんは私を抱いたんだろう。 嫌いなんでしょ。 吐き気がするんでしょ。 なんで、なんで。 『――――嫌いじゃ……っ、ない』 昨日の小十郎さんの言葉がこだまする。 「っ、うわああああ……」 どういう意味なんだろう。 十年たって、私のことが嫌いという対象から離れたとか? それとも、もうどうでも良くなったとか? ……そうだ、そうなんだ。 私は、どうでもいい宣言をされただけなんだ。 無関心なんだ。 ほら、好きの反対は嫌いじゃなくて無関心だってよく言うじゃないか。 そうだ、そうなんだよ。 だから、私はちゃんと嫌われてる。 ……抱かれたのは、あれだ。 小十郎さんって忙しいからいろいろ溜まってたんだ。 だから、発散に……。 だめだ、自分で言ってて泣きそうになってきた。 自分が傷つかないように励ましてるのに、これじゃあ意味が無い。 「……そうだ」 小十郎さんは、酔ってたんだ。 だって宴会だったじゃん。 小十郎さんだってお酒飲んだはずだ。 ……車運転してたけど。 飲酒運転だったけど、あの時は多分お酒飲んでなかった人なんていなかったんだろう。 だからしょうがないんだ。 そうだ、しょうがない。 小十郎さんだって後悔してるはずだ。 嫌いを通り越して無関心になった女を溜まってたからって抱いてしまったんだから。 多分自殺しそうなほどの自己嫌悪をしてるはずだ。 お互いのためにも、これは無かったことにするべきだ。 無かったことにしたほうが、絶対にいい。 そうすれば万事解決!! 「よーし、よしよしよし」 がんばるぞ。 何事も無かったかのようにするんだ。 「なまえ、起きてるのか?」 「お、お父さん!?」 気合を入れてると、障子の外から声がして向くと影が映ってた。 今までの葛藤は声に出てないよね? 出てたら本当自殺もんなんだけど。 水を持ったお父さんが入ってきて、布団の近くに座った。 何も言わないってことは、声に出て無かったってことだよね? ……よかった。 本当に良かった。 「人様に迷惑をかけるな」 懐の深い伊達だから良かったものの、他だったら会社の信用にもかかわった話だぞ。と頭を小突かれた。 「……ごめんなさい」 そうだよね、せっかく開いてくれた宴会を内緒で抜け出して、違う店で泥酔。 挙句の果てには、相手側に迎えに来てもらうだなんて。 普通だったら、怒るよね。 「片倉殿にも、礼を言っとけ」 「……はい」 本当は嫌だけど、出来ればもう顔を合わせずに帰ってしまいたいけど、礼儀としてはだめだよね。 ああ、嫌だなあ。 「もうすぐ飯が出来る。着替えてから来い」 「……はーい」 本当は行きたくない。 食欲もないし、会いたくも無い。 みんな事情を知らないんだろうけど、なんとなく会わせる顔が無い。 それ以上に、小十郎さんがいる。 むりだ、泣いてしまいそうだ。 お父さんは早く支度するように急かしてから部屋を出て行った。 お父さんの置いていった水を飲んで、服を着替える。 「……っ、腰、痛っ」 出した声も、水を飲んだおかげで少しは軽減されてるけど、かれていて変だ。 これが二日酔いのせいなら良いのに。 「トイレ行こ」 身支度をして、部屋を出る。 どうか小十郎さんに会いませんように。 まだ心の準備が出来てない。 角を曲がった。 「わっぶっ!」 体中に衝撃があって、跳ね飛ばされた。 ああこれは、尻もちつくな。となぜか客観視できた。 けど、想像した痛みは来ず、腰に何かが巻きついて、それに支えられた。 「……大丈夫か」 目を開けると、目の前は言わずもがな、脳内を占める割合が一位の人。 密着した身体に、近距離の顔。 体中の熱が上昇した。 「っ、わああっ! す、すみませっ……!」 昨日の記憶がフラッシュバックして、急いで離れる。 今の瞬発力、絶対人生で一番すごかった。 「っ、と、その、あのえーっと……」 どうしよう、顔が見れない。 いや、もともと小十郎さんの顔なんて直視できなかったんだけど。 今はいつもより数億倍見れない。 ってか、赤い顔なんて見られたくない。 「あー……身体は大丈夫か」 二日酔いのことを訊かれてるんじゃないと、すぐ分かった。 ……昨日の、行為のことだ。 小十郎さんも気まずそうな雰囲気だ。 やっぱり、後悔してる。 そりゃ、そうだよね。 なくしたい過去になってるはず。 やっぱり、無かったことにするべきだ。 「き、昨日、迎えに来てもらったそうで……その、お手数かけました」 「は?」 「この年にもなって、本当みっともないですよね。酔いつぶれないように今後は気をつけますね」 ははは、と軽く笑って見せるが、目の前に広がるのは床。 顔見ながらなんて言えるわけない。 「覚えてないのか」 「え、もしかして、私何か変な行動おこしました? すみません、どうも記憶が曖昧で」 こんな、泣きそうな顔、見せられるわけ無い。 「……本当に覚えてないんだな」 語気が鋭くなった。 「な、何がですか」 肩が張る。 だめだ、突き通さなきゃ。 私は、何も覚えてない。 鈍い音が鼓膜を揺らした。 まるで鈍器で人を殴ったかのような。 その予想外の音に床を見つめてた視線を上げた。 壁に拳をつけた小十郎さんが目の前にいた。 その顔は今まで見たこと無いような顔。 敵と判断した相手を見るような表情。 拒絶するような表情はあの時見た。 けど、これはあの時よりやばい。 警鐘が鳴る。 これは、本気で、取り返しがつかないことになる。 本能でそう悟った。 「あのっ……」 何を言うかは考えてなかった。 何を言えばいいかなんて分からなかった。 何か言わないといけないと思った。 その思いは話を遮られることで断ち切られた。 「俺は!」 「っあ……」 怒鳴り声に怯むと、小十郎さんが気づいたように、壁についていた拳を下ろした。 「……そうしたいなら、それでいい」 「え……」 「何も無かった。……何も」 刹那、小十郎さんの傷ついたような表情が見えた。 けど、それは本当に極めて短い時間で、すぐに無表情になった。 感情が無いような瞳。 視線は私を捉えてるのに、瞳に私は映っているのに。 私を見ていない。 そのまま小十郎さんは、何も言わず私の横を通り過ぎた。 「あっ……っ」 だめだ。 本気で、怒らせた。 小十郎さんが殴った壁を見ると、拳がめり込んだ痕があった。 そこには赤色も見える。 視線を床に戻せば、そこには赤い斑点。 拳が割れるほどの怒りを与えてしまった。 ああ、もう、成す術がない。 「っく、ふ……」 どうしたらよかったの。 何が、正解なの。 どうしたら小十郎さんの怒りを買わなかったの。 なんで、こんなことになったの。 「ひ、っく……っあ、う」 小十郎さんだって、無かったことにしたほうが良かったんでしょ。 私みたいな女抱いただなんて、小十郎さんの株を下げるだけだから。 だから、小十郎さんのために。 こうするしかなかったのに。 こうすることでしか、小十郎さんも、私も、護れないのに。 なんで、なんでなんで。 「あ、なまえ。ちょっと、片倉の旦那見た? もう鬼も逃げ出すような顔して、た……って、なまえ?」 佐助が覗き込んできた。 今は、佐助の顔を見ることも出来ない。 見ないで、見ないで。 こんな情けない私、見られたくない。 誰にも、見られたくない。 お願い、放っておいて。 「……部屋戻ってな。みんなには適当に言っておくから」 背中を押されて、部屋に入れられた。 何も分かってない蝉の鳴き声だけが、部屋に響く。 余計に独りと強調された。 「こじゅうろう、さん」 ねえ、答えを教えて。 私はどうするべきだった? (どうしたら、私は傷つかなかった?) [戻る] ×
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