蝉声 | ナノ



13 横溢


店に着くと、おじさんが私のことを覚えてくれたみたいで、挨拶してくれた。

涙ながらに、大変だったね、と肩を叩かれたときには不意にも泣きそうになってしまった。




死んだお父さんと昔来たときのことや、私の十年間のことを話して盛り上がった。
店には客が少なくて、ついついテンションが上がってお酒も進んだ。







そして、二時間後。



私はほぼ泥酔状態に近いところまで来ていた。
それはもう、おじさんが引くぐらいに。







「うーっ、ばかやろー」
「ちょっと、なまえちゃん飲みすぎだよ」
「うっさーい」
「もう家も閉店だしさ。ね、帰んなよ」
「いーやー! あんなとこに帰りたくない!」




あそこに帰るぐらいだったら公園のベンチで一夜を明かすよ。

あんな気まずいところになんか帰りたくない。




それにお父さんにだって怒られるかもしれないし。
小十郎さんにこんな私見られたくない。




帰ったって良いこと一つもない。




「そんなこと言わずに。そういえば、今日はどこに泊まるの?」
「政宗ん家」
「あー、そういえば昔からあそこの坊ちゃんと仲良かったね。じゃ、待ってて」
「えーおじさん、どこ行くのー」
「伊達さんのお屋敷に連絡」
「なんでー」
「内緒だよ。言ったらなまえちゃん暴れるかもしれないし」
「暴れないよー」





この年で暴れるなんてさすがにしないって。と笑うとおじさんは苦笑いして裏に行った。





この店にいるのは私一人だけ。




なんだか急に孤独感が湧いてきた。





このままおじさんが帰ってこなかったら、どうしよう。




一人になりたくない。





また、あんな思いしたくない。







この不安を取り除くためにお酒を煽った。




するとおじさんが裏から戻ってきて焦ったように言った。


「なまえちゃん! こら、もう飲んじゃだめだよ」
「なんでー。いいじゃん」
「だめだよ。これ以上飲んだら倒れるよ」
「別にいい」
「だめだって」





別に倒れても、誰にも迷惑掛からないし。
誰の損にもならないし。





……誰も、心配してくれないし。






脳裏に小十郎さんが浮かぶ。






私が倒れた、って知ったらどんな風に思うのかな。






何にも思わないだろうな。




だって、私に興味なんて無いだろうし。






「さいあく」
「どうしたの、なまえちゃん」
「なんでもない」








もう、やだな。


辛いよ。



昔は落ち込んでたとき絶対頭撫でてくれたのに。
大丈夫だ、って励ましてくれたのに。



これだけで、私は何度も救われてきた。




けど、けど、もう……。












「……小十郎さん」














「なんだ」








聞こえてきた声に、心臓が本気で止まるかと思った。








「な、んで……」
「ご迷惑かけてすみません」
「いや、いいんですよ」


苦笑いしているおじさん。
電話したんだ、迎えに来いって。



「おじさん!」
「ごめんね、なまえちゃん」



最悪だ、本当に。

よりによって小十郎さんが来るなんて。






「……帰るぞ」
「っ、やだ!」
「わがまま言うな」
「じゃ、じゃあ、一人で帰る!!」





小十郎さんの顔を見たくなくて、カウンターに突っ伏す。






「……はあ」




小十郎さんのため息が聞こえた。





「すみません、ありがとうございました」
「いえ、大丈夫ですよ」




小十郎さん、帰るのかな。
私の、わがままなところ嫌いだって言ってたよね。



ああ、余計嫌われた。







頭を上げられないでいると、急に浮遊感が訪れた。





「っ、あ、ええ!?」
「帰るぞ」




小十郎さんの声が上から聞こえてくる。
視界に入るのは小十郎さんの服と、床。




何これ、担がれてる!?





「や、やだ! 下ろして!!」






小十郎さんは暴れてる私を無視して店を出た。



いやだ、小十郎さんに触れてる。
こんな状況だけど、心臓が破裂しそう。




駐車場に着いて、後部座席に放り込まれた。




「いでっ!」
「大人しくしてろ」




荒々しくドアを閉められた。



っ、大人しくなんかできるか。
車ってことは、密室で小十郎さんと二人っきりってことだ。


映画見に行ったとき二人で乗ったこともあったけど、今は違う。
私は、はっきり言って酔ってる。
余計なことを言ってしまうかもしれない。
それに、あんな自分を見られた。




この前でも死ぬほど気まずかったんだから、今日は本当に死んでしまうかもしれない。








逃げるためにドアを開けようとしても、開かない。



鍵が閉まってるわけでもないのに。






「な、んで……!」





何回やっても開かない。


反対側のドアで試みても開かない。






なんで、なんで!


早くしないと小十郎さんが帰ってきちゃう。







「あいてよ!」





「無駄だ」

「っ!」




運転席のドアが開いたと思えば、そんな声が聞こえた。






「お前が逃げ出すだなんて想定済みだ」
「え」
「チャイルドロックかけた」
「なっ」







ちゃ、チャイルドロックか。

そんな方法もあるのか。
想定外だ。




子供と同じ扱いって、なんだかへこむ。









「俺にお前の行動が分からないとでも思ったか」
「――っ!」




ため息をつこうとしたときに落とされた爆弾に、心拍数が急上昇した。



頼むから、本当にやめて、そういうこと言うの。



酔ってるから。

私、酔ってるから。



何でも勘違いしてそのまま鵜呑みにするから。




私のことなら何でも分かるって意味に捉えるから。





頬に感じる熱に耐える。


すると、前からペットボトルが差し出された。




「飲め」
「え? なん……」
「いいから飲め」




さっさと酔いを醒ませ、といわれて素直に飲む。



車に乗るの少し遅かったのはこれを買ってたからか。







喉を潤して、ペットボトルのふたを閉める。
ほんの少しだけ落ち着いた。




「下ろして」
「無理だ」
「なんで!? ちゃんと帰るから、歩いて帰るから……!」
「出来るか」
「うー、お願いだから……」






懇願するように言えば、小十郎さんの言葉まで不思議な間があった。








小十郎さんがこっちを見ずに言った。













「……そんなに、俺が嫌いか」












「は?」





その声は、頼りなさそうで。
少し哀愁を含んでいた。




意味が分からなかった。

何の脈絡も無くいう小十郎さんに、間抜けな返事しか出来なかった。




何でいきなりそんなこと言うの。





今までの私の言動を振り返りたいけど、そんな余裕無い。
それに、記憶もあいまいだ。




小十郎さんの言った意味を噛み砕く。










よく噛み砕いた結果、今の私には、責められているようにしか意味が取れなかった。









「なに、それ……」





我慢しろ、私。
冷静になれ。


怒鳴り散らすなんて、子供がすることだ。





頭では冷静なはずなのに、口が勝手に動き出した。





「なんで、私が罪をなすり付けられてんの」



もうだめだ、止まらない。








「なんで、私が! 全部、全部悪いみたいになってんの!!」




「私が小十郎さんを嫌ってるから、小十郎さんは気まずい思いをしてる、とでも言いたいの!?」




「ふざけんな! 大概にしろ! 嫌ったのは、そっちのくせに!」






悔しくて、悲しくて、苦しくて、涙が出てきた。




泣いちゃ、だめだ。

だめなのに。




「こじゅ、ろうさんが、わたしを、すてた、くせにっ……!」



「わたしが視界に入るだけで、吐き気を、もよおすんでしょ」



「だから、こっちを見ないんでしょ」





小十郎さんがこっちを見ないのはその理由だ、絶対。





なんで、小十郎さんは私が小十郎さんを嫌ってるなんて言うの。




嫌いになれたら、とっくになってる。









「こじゅろうさんのほうが! わたしのこと、きらいなんでしょ……!」








車内に私の嗚咽だけが響く。
















「――――嫌いじゃ……っ、ない」











最後のほうは、掠れるような声だった。





だめだ、今は、卑屈になる。




小十郎さんの言葉は、どうしても、悪い方向にしか捉えられない。










「……っはは、いいよ、べつに。無理しなくても」
「違う」
「嫌いなんでしょ。……やめてよ、期待なんか、させないでよ!」

「違う!」






怒鳴るような声に、涙が止まった。

振り向いた小十郎さんの訴えかけるような視線に、怯んでしまった。





「どうしたら、わかる」






苦虫を噛み潰したような顔に動けなくなった。









「っ、し、知らない、よ……」






なんで、なんでそんなに、辛そうなの。



辛いのも、傷ついたのも、私のほうなのに。


私のほうが被害者のはずなのに。








見ていられなくて俯くと、運転席から音がした。








「え……」




小十郎さんが後部座席に移ってきた。




突然のことに、頭がついてこない。





小十郎さんと出来るだけ距離を保つためにドアに張り付くように下がった。




そんな私を小十郎さんが見逃すはずも無く、近づいてきた。

逃げる場所はどこにも無くて、冷や汗が出てくる。




小十郎さんの手が、私の手に重なった。









「嫌なら、本気で嫌がれ」
「っ、え……?」







「お前が、本気で嫌がるなら、やめる」







「……嫌がらないなら、分かるな」









小十郎さんの脳内に直接響くような甘い声に、くらくらする。





あの幸せだったころの、声色。
世界で一番幸せだったって、自慢できるような時期。






そんな小十郎さんが、目の前にいる。






抵抗なんか出来るはず無い。


嫌がる、なんてことはしようとも思わない。




「こうじゅうろう、さん」

「なまえ……」


久しぶりに私の名を呼んでもらえて、泣いてしまった。




(逞しい腕に、すべてを委ねた)
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