10 愛顧 「部長、これ、頼まれてたものです」 「ああ、すまない」 「部長……息子が、その」 部長はそれだけで理解してくれたのか、入り口できょろきょろしている息子に気づいた。 私にしか聞こえないようなため息をついて立ち上がる。 息子に向かった背中を私も追いかける。 「わが社へお越しいただき感謝いたします。営業企画部部長の安田と申します」 「そうか」 「何か御用でしょうか」 「いや、その女を貸してくれればいいのだ。案内してもらうからな!」 「しかし、山本は何分未熟でして、今川様が満足いただけるような案内は出来兼ねます」 部長、ナイス! そのまま丸め込んでもっと位の上の人たちに案内させて! 私、案内なんかしたくない! するくらいだったら残業する! 「この女がいい!」 指を差すなこの野郎。 何で私、この人に気に入られてるんだろう。 別に何もしてないよね。 ……お坊ちゃまの考えることはわからない。 部長が私の顔を見た。 眉間に皺がよっていて、なんとなく申し訳なさそうな顔をしてる。 ああ、もう諦めろってことか。 「そうですか。では山本、くれぐれも粗相がないように」 「……はい」 「いくぞ!」 子供のような笑みを浮かべて息子はオフィスを出た。 「今川様、どこへ……」 「氏真でいい」 「……氏真様、どこへ行かれるおつもりですか」 「俺は食堂へ行きたい!」 なんでまた食堂? もっと違うところでもいいんじゃない? けど、会社を見回るところって言ったらそんなところしかないか。 だってここは見学するところじゃなくて仕事するところだもの。 見学なら地方の工場にでも行けばいいのに。 「父上や執事がいると煩くて行けんからな」 なんで煩いんだろう。 別に食堂くらい行ってもいいのに。 私の顔を見て、疑問に思っていたことがわかったのか、息子は続けた。 「今川家の血筋たるもの庶民と同じものを食してはならん! と言われてな」 何それ。 意味わかんない。 「だが俺は庶民の料理を食べたい」 「はあ……」 「だからな、こうやって誰もいない隙に食う!」 なんて単純な……。 もし私があんたの父親にちくったらどうするつもりなんだろう。 そんなこと欠片も想像してないんだろうな。 だってお坊ちゃまだし、先を読むことには疎そう。 ……それって、社長務まらないじゃん。 今川はこいつの代で終わるかもしれない。 なんて失礼極まりないことを考えてると食堂に着いた。 日当たりのいい席が無難だろうと思って、空いてる窓側の席へ案内した。 良かった、まだ昼時じゃなくて。 昼時だったら込みまくってるから大変なことになってたよ。 「おい、女! ……そういえば」 「はい、何でしょう」 「名前を聞いてなかったな」 「そういえばそうですね、申し訳ありません。山本なまえと申します」 「じゃあなまえ! いつになったらメニューがでてくる」 もう座って一分以上経つぞ! と少し怒っている。 ……ここは庶民が使う場所だっての。 あんたが通う高級レストランとかじゃないんだから。 「申し訳ありません。何分、ここは庶民の食堂でして。セルフサービスとなってます」 「そうなのか! ならどうしたらいい」 好奇心旺盛の少年のように目を輝かせる息子に食券の買い方、料理の取りに行き方を教えた。 自分で何にもやったことが無いということが嫌でもわかった。 こういう常識的なことは小学生並みだ。 息子は頼んだから揚げ定食のから揚げを一口食べた。 あ、これっておいしくなかったら、怒られるんじゃないの? どうしよう、父親に不快な思いをさせられた! とか報告されたら。 ……減給、ってういうかクビにされちゃう? 「おお! うまい!」 どうやら杞憂だったらしい。 坊ちゃんでも案外庶民の味も口に合うんだな。 「お口にあって光栄です」 「庶民の料理もなかなかだな!」 また口にから揚げを含む。 余程気に入ったのか食べるスピードが速い。 どんどん料理が減っていく。 けど、食べ盛りの男の子のような食べ方ではなく、どこか上品だ。 ……やっぱり坊ちゃんなだけあるか。 少し見直した。 咀嚼している様子を斜め後ろから見る。 本当は座りたいんだけど無礼者! って言われたらいやだし。 「なまえ」 「はい」 「お前は他の女とは違うな!」 「え?」 なに、他の女と違うって。 変なとこあった? ちゃんとお淑やかにしてたんだけど。 息子の言うことにはすべて頷いたし。 一回も否定してないのに? 「俺と接する女は大体媚を売るんだが、お前には一切そういうものは感じられない」 そりゃ、私はあんたの持ってる金には興味ないし。 ……それにどっちかというと私、あんたのこと嫌いっていうか苦手の内に入るし。 もしかして、私の感情バレてる? それってやばい。 「そ、その……」 「いや、責めているわけではないんだ!」 なにか言い訳しようとすると、息子に遮られた。 「新鮮なだけだ。このような女から普通の扱いを受けるのは」 ……よっぽど女から酷い媚の売り方されたんだろうな。 なんかトラウマ持ってそうだ。 御曹司も大変だな。 「元来、このような視線を受けるのも好きではない。……まあ、もう慣れたが」 周りを一瞥して箸を置いた息子。 周りからは好奇の目が向けられている。 他の社員は確実にこいつが今川の息子だって気づいてる。 だって、食券の買い方も分からないような世間知らずは、この会社にはいない。 ってか、あんだけ騒いでたら嫌でも分かるでしょ。 ばれたのは、半分以上……九割九分九厘あんたのせいだけどね。 「そこでだ、」 私のほうを向いて息子が何か言おうとしたとき、私の携帯が鳴った。 最悪! 空気呼んでよ、発信元! ってか、マナーモードにしとけばよかった。 「す、すみません!」 「いや、いい。出てかまわないぞ」 電源ボタンを押そうと、携帯を開いたとき、許しの声がかかった。 「え、いいんですか」 「ああ」 「すみません」 少し席から離れて、発信元を確認するとお父さんだった。 いつも仕事中に連絡なんてしないのに。 不思議に思って通話ボタンを押した。 「もしもし」 『なまえ、今川家のご子息と一緒にいるのは本当か』 「あ、うん。いるよ」 『はあ、そうか。ならちょうどいい。社長室まで連れて来てくれ』 「わかった」 そう返事すると、電話が切れた。 お父さん、疲れてたな。 かわいそうに。 少しでもストレスを減らすために、早く連れて行こう。 「あの、氏真様。氏真様のお父様がお呼びです」 息子のところへ戻ってそう伝えるとあからさまに嫌そうな顔をした。 「もう帰るのか……」 まだまだ遊び足りないといった子供の表情で、帰りたくない、と呟いた。 うわ、駄々こねられると面倒だな。 子供は好きだけど、目の前の男は見た目は大人、頭脳は子供といった感じだ。 見た目が大人には駄々をこねられても困る。 「しかし……怒られてしまいますよ」 「……そうだな。なまえに迷惑をかけるわけにもいかないしな」 「ご心配いただいて光栄です」 息子は案外あっさりと言うことを聞いてくれた。 食器を片付けて、社長室へ向かう。 ++++ 社長室について、大きな扉をノックする。 「山本です。ご子息様をお連れしました」 「ああ、入れ」 お館様の声が掛かって扉を開ける。 「おお、氏真よ。楽しめたかの?」 「はい父上」 「おほほほ、それはよかったでおじゃ」 扇子で口元を隠し笑った今川義元。 ……はっきり言って気持ち悪い。 さっさと戻って残った仕事をしよう。 けど、戻ったら佐助にいろいろ尋問されそう。 まあ、ここにいるよりかは一億倍以上マシだから帰ろう。 「それではお館様、今川様失礼します」 「なまえご苦労だった」 「いえ」 お辞儀をして部屋を出ようと背を向けた。 「まて!」 「へ?」 どう見ても今の声は私を引き止める声だったので振り返ると、息子がすごい剣幕で私をみていた。 え、ちょ、何かしたっけ。 もしかして背を向けたのがだめだった? 面倒くさいから今川様で、父親とセットに呼んだのがだめだった? ぐるぐると考えを巡らしても答えが出てこない。 「俺は、お前が気に入った!」 部屋の中にいた全員が目を見開いた。 もちろん私も例外はない。 何を言ってるんだこいつは。 「ま、また、出かけよう!」 「はっ、はい……」 礼だけして部屋を出た。 (気に入られたって……やばくない?) [戻る] ×
|