蝉声 | ナノ



07 期待

ああ、やばい、やばいよ。
小十郎さんがこんなに近くにいるなんて……。



まだ二十分ほどしか一緒にいないけど、もう限界に限りなく近い。




足がもつれて上手く歩けない。

出来るだけ距離をつけたいから、道の端によって歩く。



そのお蔭か、私たちの間は二メートルほど開いている。



ほんとはもっと離れたいけど、店の廊下の幅がこれ以上ない。
だって私は、もう壁に凭れるように歩いてるし。




私がまだ普通にしてられるのはこの距離と小十郎さんが一度もこっちを見ないおかげだ。
まあ、嫌いなやつをわざわざ見るような馬鹿いないよね。






周りの学生たちはきゃぴきゃぴと楽しそうにしてるのに、私たちだけ雰囲気違う。
なんか、黒い雰囲気が漂ってるような気がする。



しかも、その黒い雰囲気が私たちの周りの人たちにも伝染してるようなんだけど。
通り過ぎる人はみんな俯いてる。



ちらりと小十郎さんを見ると、小十郎さんもそれに気付いているみたいだ。
けど、もう慣れてるみたいで気にせず前を見てる。


普通に見える顔でも小十郎さんが何考えてるか分かるなんて、なんか優越感。




やっぱり、拒否反応でても、好きなんだなあと、改めて思う。
手汗とかやばいし足も震えてるのにやっぱり近くにいれるのは嬉しい。


私のために貴重な休日を使ってくれたのが嬉しい。
……例え、政宗の命令だから仕方なくだったとしても。
本当は私の事が大嫌いで一緒の空気が吸いたくないと思ってたとしても。



ああ、相手の気持ちを考えないなんて、私は我侭で強欲な女だなあ。


なんて思いながら、目を合わせないようにしてるのか、ただ怖いだけなのか下を向いている人たちを見る。




……まあ、こんなスーツでこんな強面だったらヤクザにしか見えないよね。

私は、そんな小十郎さんが私は好きでたまらないんだけど。
っても、私も直で小十郎さんを見るなんて中々出来ない。


人のこと言えないかあ。

まあ、周りの人の小十郎さんを見れない理由と私の見れない理由は全く違うけど。





そういえば、昔もそういう事たくさんあったなあ。

政宗も入れて三人で公園で遊んでも知らず知らず他の子供達が逃げていくんだよね。
最終的には公園貸切状態になってたし。



「ぷっ……」



あの時の小十郎さん複雑そうな顔してたなあ。
まあ、すぐに慣れてたけど。




「なにを笑ってる」
「え、いやーこんな状況久しぶりだなって…………あっ……」


や、やばい、昔のこと思い出してたら思わずタメ口に。

早く謝らないといけないと思って顔を上げると、二メートルの間が五十センチに変わっていた。
うそ、なんで。こんな、近くに……。


「っ、あっ……はっ、え」
「……混んできたから、逸れる」
「っ、は、はい……」



そっか、映画館に近くなってるしね。
今日は休日だし注目の映画とかも、今日から上映の映画もあったしなあ。
そりゃ混むな。


くそ、こんなに近くにいるなんてやばい。


死にそう。




小十郎さんの匂いも分かる。
くそ、怖いのと嬉しいのが交じり合ってよく分からない。

この気持ちを表す単語なんて存在しない。




上手く息が出来なくて、不快だけど心が温かくなる胸の締め付けに慌てる。
どうしよう、こんな気持ち、どう処理していいかわかんない。



落ち着け、深呼吸しなきゃ。

肺の奥まで酸素を送らないと。




挙動不審になっていたからか、震えていたためか、手の甲が、小十郎さんの手に当たった。



「っ!? す、みま、せ……っ」


腕をすぐさま引っ込めた。



「構わねえ」


ど、どうしよう、触れちゃった。
すぐに謝ったけど、小十郎さんの声が一段と低くなった。


最悪だ。
構わないとか言ってたけど、建前だ、絶対。

内心すごい怒ってる。



……これ以上嫌われてどうすんの私。


手汗がやばいよ。
服で拭いても拭いても溢れるように出てくる。




「はあ……」


思わず溜息が出た。
ああ、ほんと帰りたい。


一緒に居たいけど、一緒に居たら居たで、嫌でも私は小十郎さんに嫌われてるんだって再確認させられるし。
こんなことだったら、家で妄想に耽ってるほうがよっぽど傷つかなくて済むし、何より全て思い通りにことが進む。


妄想万歳。




「おい。席取ってくるからここで待ってろ」
「へっ!? あ、はい……」




突然声を掛けられ顔を上げると、もう映画館についていた。
うわ、もう着いたの。
全然気付かなかった。



たくさんの人でごった返してる受付に歩いていく小十郎さんの背中を眺める。
……こんなに人がいっぱい居ても小十郎さんの歩く道はちゃんと開けるんだね。


ここで突っ立って待ってるのもなんだか悪いし、ポップコーンとかジュース買いに行ったほうがいいのかな。
あ、けど、小十郎さんってポップコーン食べたっけ?



十年前にも二人で映画観に来たけど、確か食べてなかったような。
小十郎さん、一度観だした映画は最後まで絶対に目を離さずに見続けるからね。

その隣で私はポップコーンをひとりで黙々と食べるんだけど。


あー懐かしい。
あの真剣に映画を観る小十郎さんの横顔も格好よかったな。





ってか、そうじゃなくて、ポップコーンどうしよう。
買おうかな。
うーん、けど、小十郎さんは食べないだろうし、食べる? って聞いて、お前が買ったものなんか食いたくねえ。なんて言われたら泣く。


それに、二十五にもなって映画観ずにポップコーン食べてたら引くかな。
つーか、成長してないって思われるかも。
……私だって大人になったって事を証明しないと。


やっぱり、買わないほうがいいな。


けど、ジュースくらいは……。
ああ、どうしよう。
ジュースなら二人分買った方がいいよね。
一人分だけだったら、自分勝手な奴だな。って思われるかもしれないし。
けど、二人分買って、いらねえ。って言われたら心折れる。




ああ、どうしたらいいんだろう。
私は、ポップコーンとジュース欲しいんだけどなあ。
いくつ買ったら正解なんだろう。



「うーん……」




……食べたいのに。
やっぱりここは何も買わないのがいいのかな。






頭を抱える勢いで悩んでると、小十郎さんが帰ってきた。




「おい」
「っ、あ、はい!」
「なんだ。飲み物買ってなかったのか」
「へ? えっと、は、はい……」





買っとけばよかったのか!
ああもう、悩んでないで買っておけばよかった。

絶対小十郎さんに使えない女だと思われた……。




迷ってないで買いに行けばよかった。





ああ、もう最悪だ。



何やってるんだろう。





これ以上嫌われるなんてほんと、どーすんの。




泣きそうだ。




思わず俯く。






「…………」






この無言で気まずい雰囲気に押しつぶされそうだと思っていると、急に小十郎さんの靴が見えなくなった。





どこ行ったんだろう。

帰ったとか、無いよね。
けど、小十郎さんははじめから帰りたそうだったし。


それなのに、私は余計に帰りたい、と思わせるような行動をとったはず。
せっかく小十郎さんが席を取りに行ってくれたのに、私はのうのうと待ってるだけだったし。



絶対怒ってる。
怖くて顔が上げられない。



前を向いたとき、小十郎さんの姿がもう無いって考えるだけで震える。







「っ、」







目の前が滲んでパンプスがぼやけていく。




やっぱり、小十郎さんと一緒にいるのは辛い。


悪い方向にしか思考が働かなくなる。
恐ろしいほど自分に自信が無くなる。



吐きそうだ。









滲んだ視界に見覚えのある靴が入ってきた。



顔を上げると、滲んでよく見えないけどたぶん驚いたような小十郎さんの顔が見えた。





「おい! どうかしたのか!?」
「へ? え……、あ、ちょ」




小十郎さんの左手が私の肩をつかんでガクガク揺さぶる。



「う、っ、えっあ……お、ええ」




の、脳みそが揺れる!
やば、本当に吐く。


こんな人の多い場所で公開嘔吐だなんてやだ。




「わ、悪い」




私が本格的にやばそうなのを読み取ってくれたのか、小十郎さんは揺さぶる手を止めてくれた。




「い、いえ、大丈夫です」




よかった。
公開嘔吐しなくて本当によかった。





「何かあったのか?」
「え? 何も無いですけど……」





何かあったっけ?


ってか、脳みそ揺れてよく思い出せないんだけど。
あれ、これって一種の記憶障害?
……まあ、そんなことは無いんだろうけど。




私別に何も無かったよね。

うん、ただネガティブになってただけのはず。
これは心の中で思ってることだから、表に出ることはない。




……もしかして、顔に何かついてた!?
それとも、虫に刺されたっけ!?
顔腫れてる!?




一人でパニクってると小十郎さんの顔が険しくなった。





「……涙目になってんじゃねえか」




目尻を親指で優しく拭われて、心拍数が一気に上がった。


だ、だめだ。
こんなことされたら、顔赤くなる。
死んじゃう。




「あっ、その……め、目にゴミが入った、だけで……」




赤くなっただろう顔を隠すために俯く。

目にゴミなんか入ってないけど、本当のことなんて到底言えやしない。






「……そうか」




ならいい、と小十郎さんが上映場に向けて歩き出したので二歩ほど後ろをついていく。







……あれ?

小十郎さん……ポップコーン持ってる、ジュースも。




もしかして、買ってきてくれたの?
小十郎さんって、ポップコーン食べないよね?
なのに、なんで。




自惚れてしまいそうになる思考を必死で振り払う。





「あのっ」
「なんだ」



小十郎さんが足を止めて振り返る。




「そ、その、それ……」





指を差せば言いたいことがわかったのか納得したかのように、ああ。と声を出した。






「心配するな、バター醤油だ」
「え」
「あと、オレンジでいいんだろ」





小十郎さんはそれだけ言うと歩き出した。











……ポップコーンのバター醤油味にオレンジジュースは映画を見るときの私の常備品。








「っ……」





なんで、なんで。



なんで、覚えてんの。




やめて、やめてよ。


お願いだから。




だめだ、自惚れるな。
自惚れは私を不幸にするから。


赤くなるな。
高鳴るな。
涙、こみ上げてくるな。



やめて、やめて。

これ以上傷つきたくなんて無いんだから。



(期待、させないで)
[ 7/25 ]
[*←] [→#]
[戻る]
×